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ウォーキングと旅行でのひとり言

山口県 萩城下町散策 その8

⑨番の旧久保田家住宅から出てきたところです。





(上の地図の、赤い線の四角の拡大部分です。)





旧久保田家住宅の前の道で、”御成道”と言います。





藩主が参勤交代などで通った道だそうです。


これを東に歩いて、11番の”木戸孝允旧宅”に向かいます。





右側が菊屋です。


東へ少し歩いて、2つ目を右に入ると”江戸屋横町”の通りにきました。



御成道に面して藩の豪商の江戸屋、伊勢屋、菊屋が並んでいました。

そのため、城下町にある3本の横町にはそれぞれの名が残っています。

この江戸屋横町は、木戸孝允の旧宅や、蘭方医の青木周弼の旧宅が並んでいました。


江戸屋横町に入ってすぐに、”木戸孝允旧宅”につきました。





中に入ります。


藩医の家だったので、患者用と来客用の2つの玄関がありました。

こちらは内玄関で患者用だと思います。





萩城下町の図





写真がかかっていました。





左が妻の”木戸松子”で、右が木戸孝允と養子の彦太郎です。

木戸孝允(桂小五郎)が、京都に赴任したとき、長州藩攘夷派の中心として活躍します。

しかし、新選組から命を狙われる身となった小五郎は、芸妓の幾松に匿われるようになります。

幾松は小五郎の危機を何度も身を挺して救いました。

その後も潜伏活動を続ける小五郎を支え、のちに小五郎と結婚して”松子”と呼ばれました。








この旧宅は、木戸孝允(桂小五郎)の実父の和田昌景の家です。

木戸孝允は、天保4年(1833年)に、ここで生まれました。





木戸孝允8歳の時に、近隣の桂家に養子にいって”桂小五郎”と名乗ります。

養父母死亡のために、江戸に出るまでの約20年間ほどをこの家で過ごしたそうです。





























この家を見学して、木戸孝允の匂いを少し嗅げたか…………。

明治維新後に、桂小五郎を木戸孝允と改名しました。

近代国家の樹立に大きな功績を残し、「維新の三傑」の一人として称えられています。

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コメント一覧

西風21
お疲れ様です♫
いつも素晴らしい水彩に心ある
癒されます。
ありがとうございます。

萩も此方からは案外近いのですよ。
最後に訪ねたのがコロナの前の年でした。

色々な思い出が蘇ってきました。
UPに感謝です☺️☺️☺️
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