キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

ムッシュ村上と『異国の丘』

2005年12月25日 | ☆個人的日記
今日、テレビを見ていたら、料理研究家の服部先生が出ていました。
帝国ホテルの料理長で、NHKの今日の料理にも出ていた「ムッシュ村上」というシェフの紹介をしていました。
その中で「りんごを料理してパイナップルに見せる」エピソードが紹介されました。

あ!
この話知ってる!!

子供の頃、教科書だか何かの本でこの話を読んだことがあります。
とっても印象的で、子供ながらに感動した覚えがあります。


シベリア抑留の話だとは知りませんでした。
ムッシュ村上という人は、帝国ホテルでコックとして働いていたときに召集されて満州へ行き、そのまま終戦を迎え、シベリアへ抑留されたのだそうです。
過酷な強制労働の中、死にかけた日本兵士の「パイナップルが食べたい」という望みをかなえるべく、りんごを使ってパイナップルの缶詰のように料理した。
という話です。

その死にかけていた兵士が一命を取りとめ、ムッシュは「日本に帰って料理の勉強をもっとしたい」と思ったそうです。

シベリア抑留のことをもっと知りたくて、ネットサーフィンしてみました。


その中で「異国の丘」のエピソードを読みました。

『異国の丘』と言えば、劇団四季のミュージカルなどで話題になっていましたね。もちろん、歌も何となくは知っていましたが、その誕生の話まではよく知りませんでした。


この歌が世に出たのは、昭和23年のNHKのど自慢だそうです。(もちろんラジオ)
流行歌を歌う人が多い中、一人の復員兵がこの歌を歌ったのですが、誰も聴いたことのない歌でした。

これは、当時シベリアに抑留されていた日本人によって作られ、抑留者の中で歌い広まっていた歌だったそうなのです。
あまりにも心にしみる歌で、会場は静まり返ったと言われています。


たまたまラジオを聴いていたプロの作詞家がレコード化を考え、実現します。

そのとき、当の作詞者、作曲者はまだシベリアに抑留されたままでした。

異国の丘は、舞鶴港での引き揚げ船の出迎えにも使われたそうですが、
作詞をした増田さんは、自分自身の引き揚げの際、舞鶴の港で自分の作詞したこの歌が流れていることが理解できなかったそうです。

作曲家は後にヒットメーカーになる吉田正さんです。
(追記:吉田正さんはのど自慢の時点では帰還していたそうです)


http://www.minyu.co.jp/jidai/0704jidai.html

いくつかのエピソードを読みながら、涙、涙でした。
シベリアに抑留された日本人は約60万人、
帰国できたのは50万人強。
10人に一人は、シベリアの地に眠っているのだそうです。

なぜ、戦争が終わってからもこのようなことが行われたのか、
もっとしりたい。
勉強する必要があると思いました。

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