大連 Dalian 1987年 (1) から続く
これらの写真を見直すにつけ、車が少ないので写真がとても撮りやすかったのを思い出します。1980年代の日本だと、もうこんな広い道路は車に占領されていました。併用軌道の路面電車を撮ろうとしても、かなりの確率で、車に邪魔されます。
その代わり多いのが自転車です。ただ、多いとは言っても、私はこのとき、少ないと感じました。日本よりは多いでしょうが、北京や上海の自転車の洪水を先に知っていたので、それらに比べれば随分少ないなと思ったものです。
大連だってかなりの大都市です。けれども広い道路に自転車が適度に走り、車は非常に少なく、路面電車がある意味、我が物顔で、と言って悪ければ、悠々と走っている。私はこの情緒にすっかり感激してしまいました。
それから今日までの中国の高度経済成長と発展については、周知の通りです。この1987年というのは、北京にこそ地下鉄もありましたが、世界最大の人口を持つ都市の一つ、上海ですら、まだ地下鉄がありませんでした。但し、車も、大連よりは多かったものの、まだまだ少なく、上海の繁華街の道は、バスと自転車と人で溢れていました。混然たる活気は感じたものの、何だかやっぱり、ここで生きていくには相当の活力が必要だな、と思ったものです。
最初にそういう中国を経験した次に見た大連は、比べれば、長閑とすら言える大都市でした。そして、人々の顔つきもずっと穏やかな気がしました。
但し、北京や上海がそうではなかった、というわけでもありません。確かに、強引に割り込まない限り永遠に切符など入手できない駅の切符売場など、誰もが殺気立っていましたし、国営企業の公務員そのものといった、全くもって無愛想なデパートの店員も珍しくありませんでした。けれどもそれでも当時の中国の一般市民には、優しい人が今よりずっと多かった。あえて誤解を恐れずに言うと、そう思います。そして大連はそれが一層強かったので、半日でこの街が大好きになりました。
(Dalian, China. August, 1987)