Trips with my RV.

RVでの小旅行。

(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・

2011-10-28 23:07:00 | Innocent joke
我ながら・・・段々、怖い話になってきた・・・と反省しているのだが・・・

私」は「司令塔」でなく「観察者」、AI構築の仮説  進化する人工知能(番外編)
村上憲郎のグローバル羅針盤(9)


尚、慶応大学大学院の前野隆司教授はAI(人工知能)の第一人者であり、脳科学の第一人者では無い。又、前野教授は、唯物論者であり、原始仏教とポストモダンに肯定的な相対主義者でもありオカルトチックな変人では断じてない。前野隆司教授に依れば、この仮説が人間に置き換え可能かなんかは無関係で、このメカニズムを組み込めば人工知能にも感情を芽生えさせる事が可能カモ知れないと云っているダケだ。だが、人間の表層意識も同じ原理で自然発生した可能性を示唆している。この考え方は、日本では有名な脳科学者である茂木健一郎氏のクオリア(現象的意識)理論とは真反対である。「受動意識仮説」は機械的、「クオリア理論」は精神的・・・とでも分ければ良いのだろうか?

「受動意識仮説」をググったら

脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史 前野 隆司

内容紹介
「私」とか「自由意志」は幻想にすぎない……なんて言われたら驚きますよね? 本書は,ロボット工学の専門家である慶応義塾大学の前野教授が唱える「受動意識仮説」を説明した本です。前野先生はロボット工学が専門です。ロボットに人間と同じ動作や行動をさせるにはどうしたらいいのか研究しているうちに,脳の機能解明に興味を持つようになりました。そして研究を続けた結果,「心は脳が作り上げた幻想である」という考えに至ったのです。これまでに,『なぜ脳は「心」を作ったのか』『錯覚する脳――「おいしい」も「痛い」も錯覚だった』(それぞれ筑摩書房)を発表し,脳科学の研究に一石を投じてきましたが,本書ではさらに深く切り込み,東西の思想や宗教,哲学,心理学の面から「心 (意識)」とは何か,その「謎」を鮮やかに解いていきます。


私に不得意な要約を行えば・・・「我思う、故に我在り」だと信じられてきたが、もし「我在り、故に我思う」のであれば、「思う我」は不要だと云うか・・・、「在る我」から「思う我」が自然発生するだろうと云う仮説である。馬に跨り思いのままに馬を操る御者(司令塔)が「自分自身」であると信じられてきたが、「自分自身」は「馬」が進化の過程で「エピソード記憶」を必要とした為に産みだしたモノで、実は「自分自身」は馬を自由に操っている御者(司令塔)なんかではなくノンフィクション作家(観察者)に過ぎない・・・と云う仮説である。(そして、その産みだした作品は、事実でも真実でも無く都合でドンドン書き換わっていく完成品ではなくプロセスに過ぎないとしたら・・・、「自分自身」は事実を題材にしたフィクション作家・・・馬に産み出された紀行文作家と云う事になる)馬に産み出された馬の背に跨っている紀行文作家が、自分こそが「司令塔」であると錯覚しているのが「自分自身」である・・・と云う訳だ。

当に、釈迦が説いたように、総てが「」であると心の底から思える。この事がもし、釈迦が悟った究極の真理だとすれば・・・怖い、怖すぎる。この本は、トイレ本としてトイレで読んだが・・・非常に怖い話である。何しろ・・・怖いと思っている「私自身」がドーナツの穴の様に実体がない「」なのだから・・・。作中にも書かれている様に、「自分自身」の自由意志すらも錯覚の産物かも知れない事になる。怖い・・・、怖い・・・、本当に怖い・・・と思う「私自身」の「思い」すら自由意志では無いのだろうか?

「自分自身」が御者として馬を操っているのなら我慢できる「怖さ」の他に、自分が乗っている「馬」こそが「自分自身」の創造主であり、(恐らく)機械的に高度な判断をして行動する「馬」の背に固定され(閉じ込められ)ている「お荷物」として、只乗せられているだけの「馬」の歩みや走りに自らの運命を委ねている「自分自身」を意識すると怖さは倍増してしまう。考え込んでしまうと(私が感化されやすい人間だからか)「受動意識仮説」を信じたくなるエピソードには事欠かないが、怖いから信じたくない・・・「受動意識仮説」なんかクソ喰らえ・・・と、宗教や「クオリア理論」に頼りたくもなるカモ知れない。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 人の記憶はドンドン書き換わ... | トップ | (その3)大きく脱線・・・... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Innocent joke」カテゴリの最新記事