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根本問題

2012-02-22 19:51:49 | Innocent joke
最近の日本人は物事の本質、或いは根本に在る問題を考える事を、何故だか避ける傾向が強いと思う。例えば、時が過ぎ時代が進み、これまで真実と思っていた事が実は誤りだった事が分かったり、常識だと思っていた事がもはや通用しないことを薄々感じてもこれを認めようとはしない・・・傾向を根本問題と云う。現代の日本では、一般の人々だけでなく、大部分のマスコミ、そして政治家までが物事の本質や根本にある問題を考えようとしない様だ。

活字も小さく情報密度が高かった昔の新聞には、事件や政治課題に対する(記者なりの)根本問題が必ず添えられていた。それが正鵠を得ているか否かは別としても、日本人が避けたがる根本問題をクローズアップしようとする新聞の良心が存在していた・・・と思っている。翻って、現代の新聞を見るとどうだろう?TVニュースの情報に枝葉末節が付属して少しだけ余分な情報が引っ付いた記事が大きな活字で印刷されているが、情報量は昔の新聞の半分以下になっている。

政治課題と呼ばれる国家的な問題にも、根本の問題が存在する。その根本の問題を議論し解決する事を避け、対処療法的にその場凌ぎを続けてきた結果が、今日の日本の有り様である。今日の日本が行き詰まっている事は、誰でも判る事だが、どんな風に行き詰まってしまったかを根本から理解できなければ解決の糸口は見つからない筈だ。

各政権が、この20年間言い続けてきた通り野田政権も例外なく、国家としての「成長戦略」をお題目の様に唱えている。国家としての「成長戦略」の前に、国家としての「成長」とは何を指すのだろうか?目指すべきゴール(そのゴールが例え暫定的なモノだとしても)を定めずに、みんなで駆け出しましょうと号令を掛けても、狭い市場でシェアの奪い合いをする他にみんなに出来る事は何も無いだろう。「頑張りましょう」と云う掛け声だけではなく、何をどう頑張るのか?を決める事こそが政治の役割なのに・・・。単に頑張りましょうと云うダケなら幼稚園児でも立派に勤め上げるだろう。

過去記事にも書いたが、最近流行の御世間的欲求は「明瞭さ」「効率」「果断さ」「クイックネス」「簡潔さ」「一貫性」「合理性」等々で、国民が求めるのは「早い話どうなのか?」であり、それに応えて政府もマスコミも「早い話はコレ」だと告げているのだろう。

過去の日本人は、どうやら根本問題に拘りすぎる傾向が在ったのカモ知れない?
こんな社説が昭和11年に書かれている。

「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。
 これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」
(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説 編集長石橋湛山)


「昭和維新」という天皇を中心とした国家改造計画を狙ったクーデターである二・二六事件の後に書かれた社説である。当時の国家の問題を背景に、或る意味でのグレートリセットとしての革命を実行しようとした社会風潮を憂えた社説である。

こうして考えると、日本人は・・・圧政に苦しむ農民が悪代官に一揆を起こす風に、浪花節的に我慢に我慢を重ねて、根本問題を無視して対処療法でやり過ごすのだが、受忍限度を超えた瞬間にグレートリセットを望む国民性が在るのだろうか?(引用した社説が書かれた後に日本が辿る歴史は御存知の通りである)

何のメンテナンスもせず使い続けてきた妻のXP機が調子が悪いのだが、再インストールを含めて何らかの対策をするでもなく7機への買い替えとなってしまった。これも1つのグレートリセットである。(バックアップも取っていないデータを移設する為に、不肖私めがメンテナンスをさせて頂いて特に問題なく使用できるレベルに復旧したのだが・・・)純正TVで地デジが見えないから自動車を買い替える様な・・・、ゴキブリが出たから引っ越しする様な・・・、終末論的な革命を求める国民性があるのでは無いだろうか?

こうした革命に依らない改革でも・・・部屋に掃除機を掛けるだけの作業でも、予め掃除する場所に散らばっている掃除機で吸っては駄目な物を片付けてから掃除機を使い始めないと、その結果は革命的になってしまう事がある。壁を塗り直すと云う革命的では無いメンテナンス作業の前にも周辺を片付けて塗装が付着しては困る箇所にマスキングを行わず壁の傷みをパテ等で補修せず全体にバッサリ塗装をするのでは、将来に亘って革命的な被害が発生するカモ知れない。今回の民主党政権への歴史的政権交代は歴史的政権後悔に終わりそうだが、国民性として、ファイルのパーミッションを手直しし、フラグメンテーションを整理して、不要ファイルを消去・圧縮し、アップデートを行い、メンテナンスを施すよりもグレートリセットを好む事が招いたのでは無いだろうか?

「急がば回れ」と云う諺がある。根本問題をグレートリセットに依り一気に解消する維新(革命)ではなく、根本問題を不断の努力で徐々に解決し続けていく事こそが、日本の行き詰まりを打破する近道なのでは無いだろうか?その為には、根本問題を常に直視し続ける事が我々国民に課せられた責務なのカモ知れない・・・と思う。

根本問題を無視して・・・日本の喫緊の政治課題である原発問題、TPP問題、東日本大震災からの復興問題、国家財政の問題、自転車の車道通行問題、オリンパス問題に代表される企業の各種コンプライアンス関連事案、少子高齢化問題、地球温暖化問題、デフレ問題、起きるカモ知れない大震災への対策、社会福祉システムの問題、等々を対処療法で、その場凌ぎで乗り切る事は、将来のグレートリセットに頼る以外の解決方法を放棄する事に等しい・・・と思うし、根本問題を直視せぬままで安易なグレートリセットを行おうとしても(そもそも根本問題とは無縁のままで)維新(革命)は成功しない。

こんな記事を書こうと思ったのは、グレートリセットと云う悪しき国民性を擽るキーワードを連呼する新興政党へ若干の違和感を感じたからだ。「維新八策」とは当に、「明瞭さ」「効率」「果断さ」「クイックネス」「簡潔さ」「一貫性」「合理性」等々の国民が求める「早い話」であるが、「早い話」に騙されたと気が付いて歴史的政権後悔を味わった筈の国民が、再びグレートリセットの「早い話」を信じてしまうのだろうか?

これはベンチャー企業への投資に等しい。「大阪維新の会」が民主党同様だとは、私だって考えたくない。だが、憲法改正も含め長いスパンで徐々に取り組むべき「策」も含めて「早い話」で片付けるのは止めるべきだろう。


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