Trips with my RV.

RVでの小旅行。

引き寄せの法則

2012-03-08 20:40:35 | 独り言
過去記事「(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・ 2011-10-28 23:07:00 | Innocent joke 」では、慶応大学大学院AI(人工知能)研究の第一人者である前野隆司教授の著作から、「私自身」と認識している「司令塔」は単なる「観察者」に過ぎないと云う仮説を紹介した。

「私」とか「自由意思」は幻想に過ぎない・・・「我思う、故に我在り」だと信じられてきたが「我在り、故に我思う」だったのカモ知れない。馬に跨り思いのままに馬を操る御者(司令塔)が「自分自身」であると信じられてきたが、「自分自身」は「馬」が進化の過程で「エピソード記憶」を必要とした為に産みだしたモノで、実は「自分自身」は馬を自由に操っている御者(司令塔)なんかではなくノンフィクション作家(観察者)に過ぎない・・・と云う「受動意識仮説」である。

通院している歯科医院に置いてある『ザ・シークレット』をパラパラと捲って見た感じでは・・・

私達の宇宙には『見えない世界』と『物質世界』の総てに作用する『宇宙の法則』がある。
この絶対的な「法則」を理解しないで生きるのは、ルールをしらないままでゲームに参加
している様なモノだ。ルールが判らないゲームでは、上手くゲームを進める事が出来ない。

そのルールとも云える『宇宙の法則』は3つ。

第1 「引き寄せの法則」
第2 「意図的な創造の方法論」
第3 「許容し可能にする術」

第1の「引き寄せの法則」とは、その人の「思考」や「感情」には常に「引き寄せの法則」
が働いて磁石のように似たものが引き寄せられ実際の「経験」となる事。望む・望まない
に関わらず、考えている事が実現する(してしまう)事だそうだ。

自分が「思考」する事を引き寄せてしまうのだから、自分自身に不幸を招くネガティブな
「思考」をしない様に自分を監視し続ける事は難しいので、「内なる存在」から送られて
くる適切なナビゲーションとしての「感情」に注意を払い、ネガティブな「思考」に引き
寄せられるネガティブな現実を遠ざけ、ポジティブな「思考」を継続して続け蓄積する事
でポジティブな現実を引き寄せるべきなのだそうだ。

「内なる存在」から送られてくる適切なナビゲーションである「感情」に注意を払って・・・と云う部分が少々難解だが、「感情」が避けようとしている対象から関心を外す事で望まない現実が引き寄せられるのを防ぐ・・・らしい。

ま、ここで『宇宙の法則』とか「内なる存在」とかが登場すると、チョット気持ち的にブレーキが掛かりそうになるのだが、これを「受動意識仮説」に当て嵌めて考えると少しだけ納得できそうな気がする。「内なる存在」とは「無意識」、「適切なナビゲーション」とは無意識に依ってもたらされる「好悪感情」なのカモ知れない。

つまり、結論として・・・人生にポジティブな変化を起こす為には、現状と、他の人達の私に対する見方(と、云うネガティブな「感情」)に左右されず(ゴールとしての)望ましい完璧な自己の状態に関心を振り向ける必要がある・・・と云う処世術だ。

第2「意図的な創造の方法論」とは、意図的な創造を妨げる「他人からの影響(=他人から
認められたいと思う自らの傾向)」と「自分自身の習慣(創造的では無い惰性)を排除する
為に、「意図的な創造」へのToDo管理を常日頃から怠らない事と同時に、辛い気持ちである
「欲しいものが欠落している」と云う認識から純粋な「欲しい」を抽出し、「欲しい」モノ
を引き寄せようとするのではなく「欲しい」モノは既に存在すると考える事・・・だそうだ。

結局・・・「意図的な創造の方法論」とは、自らが持っている筈のポジティブな能力を見出し、足りるを知り(現状に満足して)欲深く多くを求めない事であり・・・、「引き寄せの法則」が「幸せの青い鳥」を引き寄せる魔法ではないと知る事のようだ。

第3「許容し可能にする術」とは、望まない事を引き寄せず他人に左右されない自由と喜びを
手に入れる事だそうだ。他人から正当に評価されなくても他人を正当に評価し、他人の評価に
影響を受けず有りの儘の自分で心安らかに生きていき、自分が真に必要とするモノだけを引き
寄せる境地に達する事だそうだ。

この世の中に存在する好ましくない出来事や現状は、「自分の経験の一部ではない」と許容し
認識する事・・・この世の望ましくない事象は他人が引き寄せた他人の経験であり他人の経験
に参加するか否かは慎重にコントロールするべきなのだそうだ。

尚、私自身は「引き寄せの法則」と云うモノは現実に存在すると思っている。但し、運命の神は気前の良い万能のサンタクロースでは無いので、例え本人が強く「思考」し続けたとしても現世での願いの実現が引き寄せられるとは思っていない。願いの実現に至る道筋を自らの潜在意識に強く植え込む事で、願いの実現を助ける意味合いは大きいだろう。結果を希うだけでは望みは叶わない、願いを実現する道筋は常に考え続けなければならないのだろう。

又、「ネガティブな感情」「ネガティブな思考」にネガティブな現実が引き寄せられる実例は、臨床心理学でも立証されている。例えば・・・登校拒否児童の常套句である「お腹が痛い」と云う自覚症状はウソではなく現実に痛みを感じているのだそうだ。少なくとも、腹痛に関しては引き寄せられる事があるのは事実だと思う。

成功哲学に於ける人生の成功とは、自立や心の解放など抽象的・精神的な成功と、富や名声といった現実的・世俗的な成功の両方を手に入れる事・・・だと考えられる。だが、現実として現実的・世俗的な成功は誰でも手に入れられる訳ではない上に、抽象的・精神的な成功も手に入れようと云うのだから非常に欲張りな望みだ。

成功哲学としての方法論と見ると私如きに間違いを指摘する事は出来ない。成功哲学とは、目標を達成するための思想や手法を法則化したものであり、現実の成功者の行動や思想を分析し模倣する事で同じ効果を得る事が出来るだろうと云うモノだ。但し、究極の奥義とは・・・自分の心の在り方・信条・注視する対象、癖、行動パターンを特定の形に変えれば人生が素晴らしいものになる・・・と云う事だ。これは『ザ・シークレット』に限らず、凡そ大部分の自己啓発法で言及されている。だが・・・「思考や事象には特定の周波数が存在しており、思考やイメージが宇宙に放たれることによって、その周波数に対応する事象が引き寄せられる。」とオカルト原理で引き寄せの法則を語られると、屁理屈も言いたくなってしまう。

世の中の不幸な現実・・・例えば、私がデブである事や、私が歯科医院のお世話にならなければならない事は、自らの悪しき生活習慣が顕在化した事であり、その悪しき生活習慣を招いた原因は総て私の心の中にあると云う事は理解出来る。だが、私本人の窺い知れぬ世の中の不幸な現実を引き寄せたのは誰か?と云う問いを持てば・・・どうなるだろう?

東日本大震災で被災し政府の無策で今尚生活再建の糸口も見出せず苦悩して居られる方々の不幸は、誰が引き寄せたのか?広島・長崎の原爆投下は誰が引き寄せたのか?ナチスに依るユダヤ人の大量虐殺は誰が引き寄せたのか?

政府の無策に依る復興の遅れ・・・は、突き詰めて考えれば、首都直下・東海・東南海・南海地震発生を現実視した途端に超法規的な特例措置で救済するという先例を作りたくないと尻込みする民主党政権に起因するだろうから、その民主党政権を選んだ日本国民が引き寄せたのか?広島・長崎の悲劇は、軍部の台頭を許した当時の日本国民が引き寄せたのか?ホロコーストはユダヤ人社会が引き寄せたのか?

答えはイエスかも知れない。だが、『ザ・シークレット』に於いて人類救済を目的として居らず、そのルールを学ぶ者だけが「抽象的・精神的な成功」と「現実的・世俗的な成功」の両方を手に入れる事だ。

この世の中に存在する好ましくない出来事や現状は、「自分の経験の一部ではない」と許容し
認識する事・・・この世の望ましくない事象は他人が引き寄せた他人の経験であり他人の経験
に参加するか否かは慎重にコントロールするべきなのだそうだ。

不幸な現実に虐げられている人達に対しては「自分の経験の一部ではない」と許容し認識する事(知らぬ顔を決め込む)か、他人の経験に参加する(自分に出来る範囲で援助する)事は慎重にコントロール(「抽象的・精神的な成功」と「現実的・世俗的な成功」を熟慮して調整)する事となるのだろう。人の生きる意味や、人生の目標が「自らの欲張りな望みの充足」と云うのは少々悲しい。

東洋的な考え方では「善を為すもその益を見ざるは、草裡の東瓜の如し(善行をしてもその報いが現れないのは、草むらの中の瓜のようなもの・・・善行は現実的・世俗的な見返りを求めて行うのではなく、社会を少しだけ良くする事)」とか、「善を為すも名に近付くこと無かれ(善行で現実的・世俗的な名声を求めてはならない)」とし、自らの「抽象的・精神的な成功」と共に、自らの属する社会を幸せに導く事が人の生きる意味としている。

他人の不幸を許容し、人の為に尽くす事を慎重にコントロールして得られる「抽象的・精神的な成功」と「現実的・世俗的な成功」の両方を手に入れる幸せ・・・とは、少々頂けない。他人の不幸を我が事として悩み自分に出来る範囲で社会に貢献する事を喜びと感じない人生は、少なくとも一種の成功哲学でもある筈の大部分の宗教的規範の中では悪とされている。だが、その中で他者の視線に悩まないで済む様に、創造を妨げる「他人から認められたいと思う気持ち = 名声を得たいという気持ち」を排除し「許容し可能にする術」で他人からの評価に影響を受けず有りの儘の自分で心安らかに生きていけば良いのだろう。

つまり・・・、無意識に欲に従った行動をとる事を悪と感じず、社会の既存のシステムに自分を当て嵌めてる習慣を無くし(可能な限り減らして)、自分の欲望に真っ正面から向かい合い、その欲望を実現する方法を常日頃から考え続けて「現実的・世俗的な成功」を手に入れても、心安らかに生きていける為の基本的な考え方が書かれた本・・・なのだろうか?

自らの欲望の忠実な僕となり「利己排他」を勧めるのは、サタンか魔王等と相場が決まっていた。何故なら、元々の宗教は現世での成功追求を戒める禁欲的な面があり、排他は厳に戒めた。だが、今日の日本の宗教では、祈願やお守り・おふだの購入に代表される現世的利益や幸福追求に寛容となっている。「利己排他」は人類社会の中で、原始的な社会の誕生と共に発生した普遍的・根源的な考え方であり、或る意味では本能とも云える生物固有の性質なのだろう。それを生物として内包する事を恥じる必要は無いと思うし、人として望む事は止められない筈だ。宗教も「利己」に寛容となった今日では、成功哲学としての自己啓発で「利己」だけを商材としている訳にもいかなくなったので徐々に「排他」を盛り込んできた・・・と云う訳なのカモ知れない。

成功哲学としての自己啓発とは、現実の成功者の行動や思想を分析し模倣する事で同じ効果を得る事が出来るだろうと云うモノだ。多くの種類の自己啓発本が売られていているのだから、新たな成功者が続々登場していても良いと思うが、そうでもないようだ。自分自身の中に埋まっている筈の金鉱脈を探し出す為のツルハシとして売られているのだろうが、ツルハシの使い方の説明が悪いのか、金鉱脈の探し方の説明が悪いのか・・・同じ著者が続編を何冊も出していくので、御自宅には何本ものツルハシが本棚に並んでいたりするのカモ知れない。案外、別の著者のツルハシも並んでいたりして・・・?

アメリカがゴールドラッシュで沸いた頃「金を掘りに行く奴に、ツルハシ売ってた奴が一番儲かった」と云う笑い話がある。
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