散歩 ◆新潟市のあたり

日々綴り 新潟市のあたりから

バスのシステム

2015-10-10 17:38:37 | -- まちのこと
新潟市内のバス路線の改定が行われて一ヵ月。
新しいバス導入による初期独特の混乱の他に
運賃システムの不適正な設定、確認試験の未実施。
運行ラインの分かりやすい表示の不足、
運行システムの余裕率の設定不備などいろいな問題が見えてきた。

外から見ている分には
この運行システムの改定はなぜ行なわれたのが
なぜ必要だったのかがよくわからない。

聞こえてくるのは
持続可能な公共交通の構築
定時性、速達性の獲得
誰もが移動しやすいバス交通など
どうも目的が複数あって、それに順位がついていないようにみえる。
さらに
連節バスの導入が目的にあったのかとさえ見えてしまう。
名称がBRTで もともとLRTやミニモノレールなどの
新しい運送形態の系統があってはじまったもののようにすら見えてしまう。
また、
BRTがシステムであるということを
実施者が理解していないだろうとさえ思えてしまう状況を呈している。

さらにこの実施者には専門家はいるのだろうが
コーディネイトの役をするひとはいないようだと
この改定のシステム自体を疑ってしまう。

複数の組織がお互いの目的を揃える作業を怠ったまま
実施期日になってしまったためはじめた。
複数の組織その統一を怠った実行のためお互いの責任の所在さえ不明となっている。
そう見えてしまう。

たとえば
持続可能な公共交通の構築を第一の目的とするならば
断片として出てくる効率的な運用のための整理、整頓によるラインの改定と設定
その改定内容を周知する作業。
改定されたラインを地図に記載するのも必要だが
ライン自体を一括で見える図の表記、模式図があると良い。
(現在バスターミナルにはこのバスラインにはどのような停留所があるのかは分かる)
(一方、そのバスがどのように接続しているのかはわかりにくい)
この点では首都圏、大坂圏の鉄道網の表記は簡潔で分かりやすいと思っている。

バスの運行はかなり難しい状況のようであり
現場は色々やっている様子も見える。
それをサポートするのがシステムを作成するものたちがやらなければならないことであり
非難をしている場合ではない。

まち

2015-09-30 21:22:34 | -- まちのこと


まち撮りしながらのまちの変化をみる。
今日のけやき通りなんかはとても分かりやすい変化をしたまちだなと。
平日昼間人口の上昇と駅からのひとの流れに対応して
まちに出てくる店が変化したし、
自分で運転するのではない手段で移動しているから
駅周辺の夜はひとが週末限定になっていない。
けやき通りと反対側の駅前、
東大通り側では東京資本の支店が整理される動きが一時あったけれど
その影響は落ち込みではなく、
ホテルの増加というかたちで現れているし。

万代シテイはデベロッパーの明確な設定で
まちの変化を適切に起こしながらのまちづくりが進められ
同色のひとを集めることになっている。
このところはさらに攻めるようで、色数を増やしていっています。
まちをつくる教科書みたいな進め方。
さらに
繋がりはじめた万代島との関係をふくめ
万代町、駅前へのまちとしての範囲が広がる気配も見えている。
これは郊外型のショッピングモールとは違う強みを持ってくるだろうとみている。

一方
新潟島は  悩んでいる。
9月初めにバスの再編により終点ではなくなり、バス停の改廃も行なわれ変化した。
車の通行量はコースを変えただけかもしれないが少なくなったように感じている。
ファストフードは通行量の減少で
2%と云われる特定の行動するひとたちを得られなくなったことから
顧客単価の特性から撤退はさらに進む・・・すでにほとんどないけれど。
ただ、このまち色々ある。広い。高級品を扱う店舗が存在する。
このかたちって他地域にもあります。
まったく同じではなく大きさも異なるけれど、似た性格でまちが出来ているところ。
少しずつ変わっていくんでしょう。
そのかたちに近い変化がみえていますから。

似ているからと新潟市に
「○○への憧れ」と云うキーでそのまま持ってきてもダメです。
今までの実施例が多く語っています。

まち、変わっていきます。
私は撮っています。

柾谷小路

2015-09-27 22:36:51 | -- まちのこと


今日の11時頃 古町十字路あたり
ここしばらくの定点
日曜日、五番町でイベントがありますが、
この時間は平日のひとの流れ、車の流れと同じ印象。
連節バスが特別の運用として通常ラインから切り離されたのが昨日から
運行システムの変更による最適化の作業に入れる状況になるのでしょう。
これが今回のシステム変更の本題でしょうから。

外から見ている分には
どうも連節バス=BRTとなって進められたように見えてしまう。
BRTはシステムであり、連節バスはその一部。
バスと呼ばれるが、軌道のない列車としてとらえる方が良いシステム。
自ずとこれを有効に運用するためのシステムがあり
その一部を欠いた状態は不具合を生じ、それを回避、緩和する方策を要求することとなる。
今回はそのシステムを構成する部分を間に合わせなかったのだから、
その対策が必要となる。
現在その作業中ということですね。


柾谷小路

2015-09-10 18:53:37 | -- まちのこと


本日 木曜日11時の風景 古町十字路
一週間前と同じような風景。
相変わらずバスが数台まとまって走っている。
先週末の連節バス導入の混乱からすると影響がないようにも見える。
しばらく見ていたけれど今日は連節バスを見なかった。

新潟市ではBRTと呼んでいるけれど
BRTの要件も満たさず連節バスだけ導入したのだから
乗降客の増加→運賃支払い時間の増加の弊害が
マニアと初物乗車で露呈した感じ。
二台続いてくる普通バスの方がスムーズに感じたのは気のせいかな。

一方のバス路線の整理と効率化は上手くいっているのだろうか。
これが今回のバス路線 呼称BRTの目的に見えるのだが。
連節バスはしがらみ導入かしらね。
BRT要件を満たさない現況では混乱の種にしか見えない。
準備してから再投入か、特別な運行モードで運用の方が良いのではないかと思える。


まちあるきマップ

2015-09-05 18:14:14 | -- まちのこと


今 手もとにあるまちあるきマップ
新潟市中央区を歩くのに好いんです。
いずれもラックに並んでいれば無料で入手出来ます。

新潟の町 小路めぐり 本町通界隈編 2008年3月初版
新潟の町 小路めぐり 古町通界隈編 2009年3月初版
湊から港へ 新潟下町あるき 日和山登山のしおり 2010年3月初版
新潟の町 坂道めぐり 寺町あるき 2011年3月初版
沼垂の町 小路めぐり 沼垂東・沼垂西界隈 2013年3月初版
つなぐ町 流作場あるき 古信濃川跡めぐり 2014年3月初版

上の写真に一緒に写っているものは
新潟市観光ガイドブック 新潟市旅手帳
これは書店に並ぶ観光ガイドの無料版程度ですが。

上の六冊はつくりが異なっています。
初期につくられた 本町通編、古町通編は
新潟町のまち割りが江戸時代 名暦につくられたもので
そのまちを構成する小路、通り、掘の位置関係がほとんど変化せず現在に至ること
その名もそのまま今に伝えられていることを語っています。
新潟市は大火はありましたが、空襲をほとんど受けていないので
表からわかりにくくても奥に古いものがあったりするんです。

下町編、坂道・寺町編では新潟町の変遷
砂丘と砂州、川の流れの変化とまちの変化がのせられています。
先の二編とは少し色が違いますが、
まち歩きのとき古町・本町と異なるまちだての理由を知ることが出ます。

一年のブランクをおいてつくられたものが
沼垂東・沼垂西界隈、流作場編
新潟市は新潟町と沼垂町が一つとなって出来たまち
(このきっかけが萬代橋(→万代橋→萬代橋))
流作場は現在の新潟駅、万代シテイを含む大きな範囲
はじまりは砂州
現在のプラーカー1・2・3の近くにその痕跡を見ることが出来る古信濃川がそれを説明します。
このまち歩きマップにはそれがのっていますし
新潟駅の移転、旧線路筋などものっています。
まち歩きの人たちの間でちょっと話題の「駅前楽天地」
このマップで現在の新潟駅からかなり離れた場所に駅前があることがわかったりします。

現在の新潟駅は昭和33年(1958)からです。
東大通り側の建物外観は昭和39年の地震を耐え、地階にその痕跡を見つけることが出来ます。
現在高架化の工事がゆっくりと進められていますから
すぐの改装とはならないでしょうが高度成長前夜の建物としてみるのも面白いものです。
駅前で昭和40年前の古いビルは
マルタケビル、北陸ガスビル、帝石ビルなどでしょうか。

この六つのまちあるきマップ
まち歩きを楽しむ人たちの良いおともになります。
これにネット検索をあわせるときっとおもしろいものも見つかります。

柾谷小路

2015-09-03 21:20:08 | -- まちのこと


本日 木曜日11時の風景 古町十字路
通行量は少ないように見えます。
時折、荷物をおろす車やタクシーが路側帯に停まります。
バス停前に停める車もいます。
おろした後、前方のバスを避けるために右に大きく切った途端、
バスの発進もありブレーキランプが点くこともありました。

今朝の新聞に「新潟市中心部バスのりば・新潟交通」の折り込みがありました。
新潟市域のほとんどがバスで新潟島へ入るには乗り換えが必要のようです。
今週末から新しい運用になるとのこと
事故なく進みますように。
乗り換えが「面倒くさい」となりませんように。


まち

2015-07-30 12:47:31 | -- まちのこと
NEXT21 ラフォーレ原宿・新潟 撤退後には
「食料品販売店を中心とする店舗群」
「文科系テナント」「若手起業家の交流の場」となるようです。

西堀ローサとの関係はどうなるのでしょう。
「若手起業家」のためのスペースというものも存在しています。

点として完結する構成でしょうか。
これはビル運営会社の構想ですし、それに何か云えるものでもないでしょう。

撤退発表時
「新陳代謝の好機」と云う見方も聞こえたけれど
どういう意味の発言だったのでしょう。

ラフォーレ原宿・新潟が開店したときには
西堀ローサ、並木通り、小原通り。デパート三越、大和とのひとの流れもありました。
それから時が過ぎ
小原通り、並木通りからファッション系の流れは消え
西堀ローサも歯が抜けはじめ・・・そして撤退。
何か変わったのでしょう。

食料品系では
古町、本町(5 6 7 8番町)には古くからの店舗があり、
SM、GMSも各一店。三越の地下にもあります。
大和閉店時そこにあった食料品系が別店舗で出たが、短期間で締めてしまった。

食料品系で思い出すのは古町のことではないけれど
郊外に同時期に開店したGMS二店舗のこと。
一店舗はすでに無く、別施設となっています。
残っているGMSは種々の策をとり、エリアとして構成しなおされて今に至ります。
消えた店舗は、周辺に競合レベルの店舗がないと判断した出店。
ただ、閉店(撤退)間際の食料品売り場の商品には魅力がなかった。
低価格、見切り価格以外。
聞こえてきた言葉に「あの売り場に行くとバカにされた気分になる」があった。
顕著だったのは「新潟市」の食品売り場なのに魚が新潟のものではなかった。

古町、本町の残っている食料品店舗の商品を見てみると
それぞれ商品・価格に特徴を持ったものを並べています。
新しく出てくる「食料品販売店を中心とする店舗群」はどんなものがならぶでしょうか。
楽しみなところです。


まちあるき

2015-07-24 10:22:15 | -- まちのこと


「散歩の達人」と云う雑誌があります。首都圏の散歩に関する雑誌。
視点はテレビの番組で云うと「ブラタモリ」が近いか。
「徒歩による探訪を前提として都市のあるがままの姿を紹介する」
「まちの歴史と変化をみていく」

こんな視点でまちを見る時
新潟市のまちっておもしろい。
まち割りが江戸時代を残す新潟島 古町・本町界隈
小路、通り名もそのまま。

主に昭和30年代に形成された新潟駅前。
その当時の駅をそのまま、バスターミナルも今では見ることのないかたちだし、
これから無くなっていくものでもあるし。

昭和40年代後半から開発されていった万代シテイと
それ以前の道路を残す周辺
建物を見ていくと駅と同時代と思うものも。

古町、本町界隈では
カメラを持ったひとを見かける。
その撮るものを見ていると、観光客ではなさそうであるが
ここに住んでいる人でもなさそうな感じ。
まちあるき。フォトウォーク。そんな楽しみの人たちだろうか。

雑誌「散歩の達人」のサブタイトルが「大人のための首都圏散策マガジン」
あの楽しみ方 似た感じ
新潟島 古町・本町あたりってあるんですよね。
若者たちがたむろするようなところは少ないですが、
店と客が好い感じをつくっているところなんかもあるし、
さっと見たときには気付かないようなところ、あれっ て云うのもあのますね。


会社で方針を考える時、何か新しいことをするときにも
一つの方法として 自分の強み、弱みの見つめなおしするではないですか
これって このまちの強みではないんですか

古町平日

2015-07-23 12:46:17 | -- まちのこと


古町の店休日は水曜日、木曜日が多かった。
今も多いがこの頃は日曜店休も見える。
イベントや連休などでもこの定休日の変更がないのがこのまち

平日の昼間の駐車場が埋まっていることに
平日に行けるようになって気がついた。
まちの商店街の舗道上のひとの数にあっているように見えないのに。

昼休みの時間帯、古町十字路、舗道にひとが増えた。
引けるとひとが減った。
日曜日に休む店が増えたのは売上げ推移からの結果なのだろう。

大和デパートがあった頃にはそんな風景はなかった。
日曜日には平日と違う顔がまちにいたし、
ひとも数がもっと多かった。

現在 ラフォーレ原宿・新潟と三越が日曜日営業している古町あたりの大店舗。
そこに隣接する商店街の幾つかは閉まっている日曜日
二店からのひとの流れは見えない。
本町市場は日曜日お休みですからそちらにもひとの流れは少ない。
日曜日 古町では
開いている個性的な店の多い上古町のほうが人多く思える。

実態に即して対応しているまち 古町。
聞こえてくる新たなテナントの動きもこの流れの変化を求めないものなのかもしれない。
新たな交通機関が入るがこれもこの流れには変化をもたらさぬ。
もしかしたら、平日のひとの流れに影響を与えるかもしれないけれど。

古町・本町。新潟島の商店街は何処へ行く。

写真を撮りながら・まちの風景

2015-07-15 21:23:43 | -- まちのこと
昨日からTwitterのTLには NEXT21にある
ラフォーレ原宿・新潟の来年一月撤退 が流れる。
見ていると幾つかはこの店舗に来たことないか
数度通り過ぎたか、名前だけのイメージで語っているのかと思うものも。

この店がここに出展した当時
古町、古町周辺にはファッション系の店舗がかなりあり
その回遊ルートに色々なファッションが見られたものです。

ここ数年、テナントビルが駐車場になり、
古町にあった店舗が万代へ移転したりの変化。
回遊ルートは消え、
ファッションのバリエーションが小さくなり
人通りも少なくなった。

よく今まで耐えてくれたとも思える今回の発表。



このブログで まちの風景を撮っています。
初期のブログは失われてしまったけれど 2004年11月からブログをはじめ
それ以前2002年11月からwebサイトではじめた「新潟市周辺風景散歩」もあり
いつの間にか10年越え。
撮りながら感じるまちの変化

かつて古町ではファッションのバリエーションが多く
一方、同時期 万代シテイではほぼ同じものばかりだった。
現在は、逆になっている。

ラフォーレ原宿・新潟が開店した当時
バイヤーが新潟市に東京をそのまま持ってきても売れないと言うのを何度も聞いた。
ラフォーレ原宿・新潟に関してだけではなく
東京ファッションが新潟市にそのまま入ろうとして、失敗する時の言葉にも同じものが聞こえた。
ときどき新潟は地方都市だから東京への憧れがあるので
そのまま東京を持っていけば良いというバイヤーもあるが、
そのままではうまくいかない。

(私は撮るための資料として ファッション誌も見るから)
かつての古町辺りで見られたファッションは
ファッション誌で扱われていたものを自分に合わせて変えて着こなしていた人たちが見られた。
現在、古町では画一化してしまったけれど
万代シテイでその傾向が引き継がれている。

これが街の変化の一つの現れ
古町にはファッションの発信の場がとても少なくなって
万代シテイにはそれがある。

これはデベロッパーの差ともみえる。
万代シテイでは明確なターゲット設定
ターゲットに対して有効なイベントの開催
テナントの誘致が行なわれている。

そのデペロッバーが仕掛けて7年
次の一手に「NGT48」をもってきた。
AKB48系を「ヲタク」の側面から評する(芸能)マスコミも多いけれど
地に繋がれる劇場型のグループが
全国で販売出来るようになっている理由を説明しきれていない。
スタートが「秋葉原」であったことからマスコミが単純な層別を行なってしまったからなのだろう。
時々見られる公演DVDなどを見ていると「ヲタク」とは異質な層が映ることがある。
「ヲタク」たちの偏りがちになることもある情報を的確に分析しているデベロッパー。
まちを形づくる層を明確にしているから出来ているのだろう。

さて、万代シテイ、そして郊外にあるショッピングタウン、ショッピングモール
どちらもターゲットが明確であり、
そのために必要なもの、さらに必要とされると予想されるものを揃える「まちづくり」
個々で 連携仕切れない旧来のまちが対抗出来ないことがみえてくる。

古町は かつてオンリーワンの繁華街であった
今は沢山の競合に囲まれた
コンセプト曖昧のまちとなってしまった。
何か再開発でドーンとキーとなるものが来ればとか
交通機関が変わればとかは
この部分に影響を与えるとは思えない。
ラフォーレ原宿・新潟の撤退の報はそれを強く思わせる。