JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

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メッセージコラム#1707-1(川崎 豊信師)

2017-10-21 14:06:34 | キリスト教

聖書:Ⅰサムエル4:1~11

題:「見せかけの信仰から脱却する3つの秘訣」

 

l  初めて甲子園の野球を見に行った。理由は知り合いの子供が日南学園で頑張っていたからだ。残念ながら3回戦敗退。ベスト8まで行った。

l  しかしながら私が一番注目していたのは、クラーク国際高校。2014年創部の若いチーム。もちろん初出場。北北海道代表である。

l  この高校は深川市といって旭川の隣。つまり最北地である。そして田舎町(人口は2万4千人)。しかしこの高校が2回戦まで行った。ベスト16である。応援団もすごい。普通遠隔地だと、たいした応援団は結成できない。しかしクラーク高校のネットワークを駆使してすごい応援団であった。(クラーク博士にちなんだ名前だが、ミッションスクールではない。校長は三浦雄一郎である。)

l  強い原因は、①過去の栄光にとらわれない(見るのは未来の希望だけ)。②物や常識にとらわれない(雪国でも最新のトレーニング、通信制高校なので存分に練習ができる)。③リサーチ力(力のある道内の子を集め、練習のしにくい雪国で甲子園に出すビジョン)。

 

ペリシテ人との戦い

-見せかけの信仰から脱却する3つの秘訣-

 

4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。

 4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。

 4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」

 4:4 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。

 4:5 【主】の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。

 4:6 ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして、【主】の箱が陣営に着いたと知ったとき、

 4:7 ペリシテ人は、「神が陣営に来た」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。

 4:8 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。

 4:9 さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」

 4:10 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。

 4:11 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。

 

l  1節→ペリシテ人は、ノアの息子ハムの子孫(黒人系)で、エジプトからガザに至る地中海沿岸の南東部に定住していた。彼らはもともとギリシヤ、クレタから船で中東へ移動した「海の民」の一派であった。サムエルの時代までには、これらの好戦的な民族がカナン南西のガザ5大都市で繁栄しており、常に内陸部のイスラエル人を圧迫していた。この時代全体を通して、ペリシテ人はイスラエルにとって主要な敵であった。

l  1節→エリは「きね」、ホフニは「おたまじゃくし」、ピネハスは「黒人」の意。サムエルは、「彼の名は神」という意味ですが、音が「聞く」の意の「シャマ」、そして神「エル」が合わさった音にちなんで付けられました。神に聞かれた、という意味です。

 

(全体としてのメッセージ)

 ホフニとピネハスを反面教師として学ぼう。彼らは主要な祭司エリの息子であった。また祭司であった。しかしながら勝利を得ることはできなかった。そして同じ日に死んだのである。

原因は彼らが不品行と不従順に溺れていたことがある。彼らの信仰は見せ掛けの信仰であった。ではどうしたら現在の私たちは見せ掛けの信仰から脱却できるのか。3つのポイントで見てみたい。

 

~~~~~~~~~「見せかけの信仰から脱却する3つの秘訣」~~~~~~~~~

 

A 過去の栄光に頼ってはならない(1~2節)

 

B 目に見える物に頼ってはならない(3~4節)

 

C 自分の内面を探る(5~11節)

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A 過去の栄光に頼ってはならない(1~2節)

 

4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。

4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。

 

l  1節「エベン・エゼル」→「救いの石」の意。過去を感謝するのはいいが、過去の栄光にしがみついてはならない。問われるのはあなたの現在である。

l  11節→この出来事により、エリの息子たち、ホフニとピネハスが同じ日に死ぬという2:34の預言が成就した。(エリはイスラエルの士師であり大祭司であった。彼の死は、国民のほとんどが神を無視していた暗黒の士師時代の終わりを告げた。サムエルはイスラエルがその後100年間に経験する偉大な信仰復興の幕を開けた。聖書には誰が次の大祭司になったかは書かれていない【サムエルはアロンの直系の子孫でなかったため資格がなかった】が、サムエルはイスラエル全土で重要ないけにえをささげることで、当時の大祭司として活躍した)。

 

(中心的聖句A)

4:3ペリシテ人はイスラエル人がエジプトを出てきたときに神が介入された物語を覚えていたので、恐れた。しかし、イスラエルは神から背き離れ、形だけの信心深さ、昔の勝利の象徴にしがみついていた。人々(そして教会)は、しばしば神が与えられた祝福の思い出にすがって生きようとする。イスラエル人は、神が過去に勝利を与えてくださったので、自らは神から遠くさまよい離れているにもかかわらず、神が再び勝利を下さるのだという思い違いに陥った。現在も、聖書の時代と同じように、霊的勝利は神との関係を日々新しくすることによって与えられる。過去にすがって生きてはならない。

 

参照聖句→ヘブル13:6~「そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

 

(例話A

マタ3:6~「自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。3:7 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。3:9 『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」

 

B 目に見える物に頼ってはならない(3~4節)

 

4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」

 4:4 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。

 

l  4:4「ケルビムの間、王座におられる天の軍勢の主」とは、契約の箱の蓋に取り付けられた金のケルビム(御使い)像二体の間に坐しておられる神のご臨在を表す。ホフニとピネハスが契約の箱を戦場へ運んできたとき、民は箱が勝利をもたらすと信じた。

 

(中心的聖句B)

4:3契約の箱には、神がモーセに与えられた十戒が納められていた。契約の箱は、幕屋の最も聖なる場所で、大祭司だけが年に一度入ることのできた至聖所に保管するべきものであった。ホフニとピネハスは、律法に背いて至聖所へ入り、契約の箱を取り出したことで、そこを汚した。イスラエル人は契約の箱が極めて聖なるものだと正しく理解していたが、箱そのもの一木と金属でできた箱一が力の源であると思っていた。彼らはやがて、契約の箱を幸運のお守りとして利用し、箱が彼らを敵から守るのだと考えるようになった。神の象徴は、神のご臨在と御力を保証するものではない。契約の箱に対する民の態度は、危険なことに偶像礼拝に近いものとなっていた。契約の箱が敵の手に渡ったとき、彼らはイスラエルの栄光が去り(4:19-22)、神が自分たちを見捨てられた(7:1,2)と思った。神はご自分の力をご自身の知恵と意思に従って用いられる。神はご自分を求める者の信仰に応えてくださる。

 

参照聖句→ヘブル12:1~「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」

 

(例話B)

出エジプト記20:3~6「あなたはわたしのほかに、何ものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水に中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主である私は、ねたむ神であるから、私を憎む者には、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、私を愛し、私の戒めを守る者には、恵みを施して、千代に至るであろう」。

 

(例話B)

舌きり雀

むかしむかしあるところに心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんの老夫婦がいた。ある日、お爺さんは怪我をしていた雀を家に連れ帰って手当てをした。山に帰そうとしたが雀はお爺さんにたいそう懐き、お爺さんも雀に情が移り、名をつけて可愛がることにした。しかし、雀を愛でるお爺さんの様子をお婆さんは面白くなく思っていた。

お爺さんが出掛けたある日、お婆さんが井戸端で障子の張り替えに使うために作った糊(続飯)を雀は食べてしまった。怒ったお婆さんは「悪さをしたのはこの舌か」と雀の舌をハサミで切ってしまい、どこにでも行ってしまえと外に放ってしまう。そのことを聞いたお爺さんは雀を心配して山に探しに行くと、藪の奥に雀たちのお宿があり、中からあの雀が出てきてお爺さんを招き入れてくれた。

雀は、お婆さんの糊を勝手に食べてしまったことを詫び、怪我をした自分を心配して探しに来てくれたお爺さんの優しさに感謝を伝えた。そして仲間の雀たちとたいへんなご馳走を用意してくれ、歌や踊りで時が経つのを忘れるほどもてなしてくれた。帰りにはお土産として大小2つのつづらが用意されていた。お爺さんは、自分は年寄りなので小さい方のつづらで十分と伝え、小さなつづらを背負わせてもらい雀のお宿をあとにする。家に帰り中を見てみると金や銀、サンゴ、宝珠の玉や小判が詰まっていた。

欲張りなお婆さんは、大きなつづらにはもっとたくさん宝物が入っているに違いないと、雀のお宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取る。雀たちから「家に着くまでは開けてはならない」と言われたが、待ち切れずに帰り道で開けてみると中から魑魅魍魎や虫や蛇が溢れるように現れ、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう

 

C 自分の内面を探る(5~11節)

 

4:5 【主】の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。

 4:6 ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして、【主】の箱が陣営に着いたと知ったとき、

 4:7 ペリシテ人は、「神が陣営に来た」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。

 4:8 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。

 4:9 さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」

 4:10 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。

 4:11 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。

 

(中心的聖句C)

11節→エリの息子たちは人々を開し、誘惑し、略奪し続け、故意に神に逆らい続けた。私たちが無知から罪を犯した場合でも、罰に値する。しかし意図的に罪を犯すならば、その結果はより厳しいものとなるだろう。罪に関する神の警告を無視してはならない。罪が生き方そのものとなる前に、罪を手放そう。

 

(例話C)

詩篇139:23~24『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』

 

(結論)

~~~~~~~~~「見せかけの信仰から脱却する3つの秘訣」~~~~~~~~~

 

A 過去の栄光に頼ってはならない(1~2節)

 

B 目に見える物に頼ってはならない(3~4節)

 

C 自分の内面を探る(5~11節)

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