JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

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メッセージコラム#1706-2(川崎 豊信師)

2017-10-21 13:58:26 | キリスト教

聖書:1サムエル1:1~18

題:「確信に立つための二つの原則」

 

神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ2世(1712年~1786年)。

彼はあらゆる人体実験を行っていた。この実験は、その中のひとつとされる。

 

「言葉を教わらないで育った子供が、どんな言葉を話すのか」疑問を持ったことがきっかけで、実験を行った(王様は、赤ちゃんはヘブル語を話すのではないかと思っていたらしい)。

人間は生まれたときから自分の言葉をもっていると信じていた。

 

この実験のため、部下に50人もの赤ん坊を集めさせたとされている。

赤ん坊を部屋に隔離し、そこで面倒をみるのだが……

面倒をみる際、目を見てはいけない、笑いかけてもいけない、語りかけてもいけない、ふれあいを一切してはいけないと命じた。

 

乳母や看護師からは十分なミルクを与えられていたが、愛情を貰えなかった赤ちゃんたちは、全員死んでしまった。

 

このような実験を行った人物は、他にもいる。

心理学者のルネ・スピッツは、戦争で孤児になった乳児55人に対し、人間的スキンシップを一切行わない実験をした。

その実験では……

 

55人中、27人が2年以内に死亡。残った子供も17人が成人前に死んでしまい、11人は成人後も生き続けたが、その多くには知的障害や情調障害が見られた。

何故、このような結果となったのか……

 

ミルクを与え、排泄の処理も、風呂も、環境も整えた。しかし「ふれあい」いわゆる「スキンシップ」を一切とらなかった結果は、言葉を失うものだった。

これは、スキンシップが無かった事による成長ホルモンの障害だと考えられている。

過去の歴史から現代の子育てを問う。

泣くという行為は言葉の話せない子どもの唯一のコミュニケーション法であり、これを無視すると子どもの情緒に大きな影響を与える可能性がある。

 

では、スキンシップが与える良い影響とは?

優しいスキンシップを受けた赤ちゃんは、安らぎを感じるホルモン「オキシトシン」が脳から分泌され、情緒が安定する。

このオキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれているらしい。

 

さて本日の箇所は、サムエルの母ハンナと父エルカナの登場である。ハンナには子どもはなかった。傷ついたハンナをいやしたものは、神に語ることととエリに語ることによる気持ちの整理であった。ハンナは確信にたった。

 人は、神と人との交流によって新しく立つことが出来る。本日のアウトラインは、祝福の秘訣①神に語る、②人に語る・・ことである。

 

アウトライン

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A ハンナとエルカナ(1~11節)

-神に語る-

 

B ハンナの祈りの時(12~18節)

-人に語る-

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A ハンナとエルカナ(1~11節)

-神に語る-

 

1:1 エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。

 1:2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。

 1:3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の【主】を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、【主】の祭司ホフニとピネハスがいた。

 1:4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。

 1:5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。

 1:6 彼女を憎むペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

 1:7 毎年、このようにして、彼女が【主】の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

 1:8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

 1:9 シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、【主】の宮の柱のそばの席にすわっていた。

 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は【主】に祈って、激しく泣いた。

 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

 

l  1節→「エルカナ」は「神が所有された」の意。2節→〈ハンナ〉は「いつくしみ」の意。〈ペニンナ〉は「豊かな髪の女」の意。〈サムエル〉(シェムーエール)は、「神の名(ヘ:シェーム)」の意。3節→〈エリ〉は「きね」の意、〈ホフニ〉は「おたまじゃくし」の意、〈ピネハス〉は「黒人」の意。3節→〈シロ〉は、ベテルの北北東十五キロの現セイルーン。会見の幕屋があった(ヨシ18:1)。かつてはベテルにあった契約の箱も、エルカナ時代にはシロの幕屋に移されていた(Iサム三3)。

l  1節→サムエルは、士師がまだイスラエルを治めていた時代、おそらくサムソンの生涯の終わり頃に始まる。サムエルはイスラエル最後の士師であり、王制時代に仕えた最初の祭司かつ預言者であった。彼は士師のあるべき姿を示す最善の例であり、自身の衝動ではなく神のみことばによって人々を治めた。サムエルは、サウルに油をそそぎ、イスラエル最初の王として任命した人物であった。

l  2節→旧約聖耆に登場する多数の偉大な指導者(アブラハム、ヤコブ、ダビデなど)には複数の妻がいたが、これは神が本来意図された結婚のあり方ではなかった。創世2:24は、結婚において2人が一体となる、と述べている。ではなぜ、神の民に一夫多妻制が存在したのだろうか。第1に、男性の仕事を手伝う子孫をより多く生むため、そして男性の家系を確実に存続させるためであった,多産は、地位と富の象徴であった。第2に、多くの若者が戦闘で死ぬ社会では、未婚のまま生活苦に陥るおそれのある女性たちの支援策として、この制度が受け入れられていた。それでも、このハンナとペニンナの物語に見られるように、一夫多妻はしばしば深刻な家族問題の種となった。

l  3節→幕屋は国の宗教的中心地であるシロに置かれていた(ヨシュア18:1)。年に三度、イスラエルの男子は全員、幕屋で開かれる宗教的祝祭である過越と種を入れないパンの祭り、初穂の祭り、仮庵の祭りに参加しなければならなかった(申命16:16)。エルカナは神のご命令を守るため、この巡礼を定期的に行っていた(巡礼に関する規定については、出エジプト23:24-17を参照。幕屋については出エジプト40:34の注を参照)。

l  8節→ハンナは自分が夫に愛されているとわかっていたが、夫の励ましですら慰めにならなかった。ハンナはペニンナの蔑みを聞かずにはいられず、そのことばに自信を傷つけられてしまった。他人の不当な批判をやめさせることはできなくても、心ない言動に自分がどう対応するかは選ぶことができる。1:8「男性はビジブル(ボディ)を大切にし、女性はインビジブル(マインド)を大切にある。」 エルカナの言葉は持っている者だから言える言葉である。持てない者は決して子どもなぞいなくてもいいよねとは言わない。

l  10節→ハンナには、失望し憤慨するだけの理由があった。彼女は子どもが産めず、自分を潮笑する女性と夫を分かち合わなければならず(1:7)、夫は愛情深かったが彼女の問題を解決できず(1:8)、大祭司にすら誤解されたのだ(1:14)。しかし復讐したり希望を捨てたりせず、ハンナは祈った。彼女は自分の問題を正直に神の御前に打ち明けた。

私たちもそれぞれ、何も生まれない不毛な時(仕事、奉仕、人間関係において)に直面することがある。何をしても無駄だと感じるときには、信仰をもって祈ることすら難しいものだ。しかしハンナが見出したように、祈りは神が働かれる道を開く(1:19,20)。

 

(中心的聖句)

11節→ハンナは祈った。彼女は自分の問題を正直に神の御前に打ち明けた。

私たちもそれぞれ、何も生まれない不毛な時(仕事、奉仕、人間関係において)に直面することがある。何をしても無駄だと感じるときには、信仰をもって祈ることすら難しいものだ。しかしハンナが見出したように、祈りは神が働かれる道を開く。

 

そしてハンナは健気にも、痛みを感じつつも自分の分を果たした(1:27,28)。ハンナは苦しみの中で、神の祈りに導かれた。

 

参照聖句→詩119:67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。119:68 あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。119:69 高ぶる者どもは、私を偽りで塗り固めましたが、私は心を尽くして、あなたの戒めを守ります。119:70 彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

 

参照聖句→ヨハネ13:7「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります」

 

参照聖句→1コリント2:9「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 

(例話A

新川宣教師

1987年に上海の旅 300冊を持って8人が無事通過。

一つの話し。教団の海外宣教委員長らが通関。委員長が見つかって収監され聖書も取り上げられた。結果入国できなかった。全てのセッティングはキャンセルとなりこの旅は失敗に思えた。

失敗したとの、新川師の祈りの中で不思議な平安があった。

 しかし結果として、海外宣教部は「これほど困難な宣教であるから」と、縮小を予定していた中国宣教への支援を拡大してくださったのであった。

 

(例話A

 米国のパット・ロバートソンは、宣教師として出て行くことを望んでいた。

 世界宣教クルセード(WEC)の献身ぶりを知った彼は、WECの責任者ノーマン・グラブ博士に相談にいった。

「宣教活動は、ボランティアとは違います。はっきりした召命が必要です」グラブは遠慮することなくパットにいった。

「私と妻は、神さまが望まれることでしたら、何でもするつもりです」

「パット、たとえあなた方がどんなに優秀であっても、もし神さまが他のご計画をお持ちであるなら、あなた方を宣教師として受け入れることは、WECにとって大きな誤りを犯すことになります。 私たちは神さまのご計画を、じゃますることになるからです」

 

「しかし、聖書にこうあります。『全世界に出て行って、すべて造られた者に福音を宣べ伝えなさい』 私はこのみことばが、私が宣教師になるための導きのことばだと思ったのです」

「いいえパット。神さまが書かれたみことばは、神の民への一般的な導きです。だから、覚えてください。導きを与えるのは聖霊さまであって、聖書ではありません」

 

 宣教師になることをあきらめたパット・ロバートソンを、神は放送伝道へと導いた。

 神は無資金だった彼に、朽ちはてて廃墟のようになったUHFの地方局を買いとらせ、整備して福音放送をはじめさせてくださった。

 

田舎放送は、やがて、世界最大の福音放送クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク(CBN)へと成長していった。

 

*(パット・ロバートソンは、宣教師になるか放送伝道者になるか、迷っていた。長い間神に祈ってきたが、未だその確信が与えられていなかった。ある日ついに、彼は友人にそのことを話して助言を求めた。「パット、君は髭を剃っているとき、何か考えている事があるかい」「え、そうだな、そう言われてみれば、放送伝道の事を考えているようだよ」「だったら、君はそれに進むべきだよ」やがてパットは、地方にある朽ちた放送施設を買いとって、祈りによって資金を少しずつ得て、修理をしてついに福音放送を開始した。「馬や牛しか聞いているものはいないよ」と田舎の放送局は言われながらも、福音を飛ばし続けた。今日、彼の放送伝道はクリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク(CBN)へと成長し、世界一の福音放送網となって、世界中でイエスを伝えている。)

 

B ハンナの祈りの時(12~18節)

-人に語る-

 

 1:12 ハンナが【主】の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。

 1:13 ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。

 1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

 1:15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に、私の心を注ぎ出していたのです。

 1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」

 1:17 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

 1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

 

l  13節→ぶどうも収穫される収穫祭には、〈酔う〉ほどの酒宴が珍しくなかった。しかしエリの誤解は、当時の巡礼祭の堕落ぶり、無言祈祷の珍しさ、エリの性格的欠陥の一端を示す。「ハンナの祈りからいかに多くの重要な規則が引き出され得ることか。彼女が心から語ったことは、祈りが献身を要することを教える。彼女のくちびるが動いたことは、祈りのことばはくちびるでつづる必要性を私たちに示す。

l  17節→エリの子育ては上手くいかず、エリは必ずしも立派な祭司ではなかったが、主に用いられた。それはエリが傾聴の姿勢を持っていたからだ。私たちも立派な何者かではないが、主はたった一つの賜物を通して私たちをお用いになる。

 

(中心的聖句B

18節→ハンナは落胆のあまり、具合が悪くなり、食事が取れなくなっていた。しかしこのとき、ハンナは元気になり喜んで家に帰った。彼女の態度が変わった理由として、次の3つが挙げられる。①神に正直に祈った(1:11)、②エリから励まされた(1:17)、③神に問題をゆだねると決心した(1:18)。これこそ、失望に対する対処法だ。神に本音を申し上げて問題をおゆだねすることだ。次に、良い友人やカウンセラーから助けを得よう。

 

参照聖句→箴言17:17「友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生まれる」

 

(例話B

「人の話に耳を傾けること。それは、人を愛することである」 

ロバート・コンクリン 米 心理学者

 

(例話B

●ビリーの不安

 1955年11月、三七歳のビリー・グラハムは、前年のロンドン・クルセードの成功によって、ケンブリッジ大学での短期集中大学生伝道集会に招かれた。

 ビリーは英国での集会に不安を感じ神経質になっていた。

 ニューヨークに着いて英国行きの船に乗りこもうとしていたビリーは、スティーブン・オルフォードが英国へ帰ることを知って、夜中にもかかわらず旧知の彼のもとに電話をいれた。

「スティーブン、ぼくはケンブリッジ伝道がひじょうに恐いんだ。

 長い船旅の間ぼくの魂の牧師として、ぼくと同じ船室で一緒に祈り、旅を共にしてくれないだろうか」

 オルフォードはそれを承諾してビリーと同室し、期待に応えた。

 

(例話B

私は3人の宣教師と仕事をした。

最初の2人の人は人の話しを聞くタイプではなかった。(「でも、しかし」と言うなというタイプである。)

しかし3人目の宣教師は、じっくりと話しを聞いてくれた。ある時には、聞きにくいことでも聞いてくれた。説教でもおかしなところがあれば謙遜に私の意見に耳を傾けてくれたのである(その先生はエジソンとピカソの例話「天才とは、1%のインスピレーションと99%の汗パーセキレイション」を間違えていた)。

年上には意見出来ずにいた私は、この先生を通していやされたのである。年上であっても自分の意見を言っても良いのだと間違った価値観を変革させてくださったのである。

 

 

(結論)

A ハンナとエルカナ(1~11節)

-神に語る-

 

B ハンナの祈りの時(12~18節)

-人に語る-

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