JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージ@6月6日(川崎 豊信)

2010-06-05 21:11:45 | 聖書
日時:2010年6月6日(日)
所:www.sayamaec.com(第1主日)
聖書:創世記31:1~16
題:「脱出の道」

 明治維新の四年前、新島襄(1843ー90)二一歳のとき、彼は国禁をおかして米国へ渡航しようと機会を求めていた。
 北海道の函館から密航を計画した彼が、江戸を出るときふところにしていた金は、四両だけだった。

 渡航するための費用にはほど遠い。密航することは不可能に思えた。しかし函館でニコライ神父と沢村琢磨に出会うことで福音に出会いクリスチャンになった。
その後、武士の魂であり当事の身分証明であった大小の刀を手放すことを決心した。小刀を売って漢訳聖書を買い、大刀は彼の志を聞き入れて密航をゆるしてくれた船長に、船賃のお礼の意味をこめてわたした。

この行為は彼の全財産全てと、身分を失うことであった。こうして彼の肉体は船に、魂は神に委ねたのであった。
 国禁をおかしてまで実行する渡米は、「誰のためでもない、日本のために行くんだ」との気概であった。 彼の志をうけいれてくれたのは、船主のハーディ夫妻だった。

 このハーディ夫妻の愛によって、彼はアーマスト大学を卒業するに至までの十年間、なんの身寄りもない異郷で、すべての必要を与えられつづけたのであった。
 1972年(明治5)岩倉全権大使の随行員となってヨーロッパをも視察して見聞を広めた彼は、役人への招聘をことわると、すべての基本となる教育に自分の一生をかけることにした。
 1875年、京都に同志社を設立し、キリスト教主義による教育を実現させたのであった。

たとい不可能と思える事柄が、ビジョンを閉ざしたとしても、神が脱出の道を開いてくださることを確信しよう。神は祈りに答え、確信と平安を与えてくださる。

今日の箇所は、ヤコブのパダン・アラム出立である。ヤコブは義父ラバンとその子供達にねたまれて行き場を失ってしまった。
そのような窮地の時に神はヤコブに語られたのである。「パダンアラムを離れ、生まれ故郷のカナンに帰れ」と。
この箇所を2つに分類すると以下のようになる。

***************アウトライン******************
A ヤコブの帰国決意と神への感謝(1~13節)
-思案にくれた時こそ人は神と出会う-
B ラケルとレアがヤコブの帰国に同意したこと(14~16節)
-事をなそうとする時は、身内の肯定的な言葉が大切-
****************************************

A ヤコブの帰国決意と神への感謝(1~13節)
-思案にくれた時こそ人は神と出会う-


31:1 さてヤコブはラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物でこのすべての富をものにしたのだ。」と言っているのを聞いた。
31:2 ヤコブもまた、彼に対するラバンの態度が、以前のようではないのに気づいた。
31:3 主はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」
31:4 そこでヤコブは使いをやって、ラケルとレアを自分の群れのいる野に呼び寄せ、
31:5 彼女たちに言った。「私はあなたがたの父の態度が以前のようではないのに気がついている。しかし私の父の神は私とともにおられるのだ。
31:6 あなたがたが知っているように、私はあなたがたの父に、力を尽くして仕えた。
31:7 それなのに、あなたがたの父は、私を欺き、私の報酬を幾度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えるようにされなかった。
31:8 彼が、『ぶち毛のものはあなたの報酬になる。』と言えば、すべての群れがぶち毛のものを産んだ。また、『しま毛のものはあなたの報酬になる。』と言えば、すべての群れが、しま毛のものを産んだ。
31:9 こうして神が、あなたがたの父の家畜を取り上げて、私に下さったのだ。
31:10 群れにさかりがついたとき、私が夢の中で目を上げて見ると、群れにかかっている雄やぎは、しま毛のもの、ぶち毛のもの、また、まだら毛のものであった。
31:11 そして神の使いが夢の中で私に言われた。『ヤコブよ。』私は『はい。』と答えた。
31:12 すると御使いは言われた。『目を上げて見よ。群れにかかっている雄やぎはみな、しま毛のもの、ぶち毛のもの、まだら毛のものである。ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。
31:13 わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』」

(注解A)
* 1節「ラバンの息子たちが」→ラバンの息子達はヤコブがしだいに富んで行くのを見てねたみを起こした。息子達の態度は父親のラバンにも反映していった。
* 5節「私の父の神は私とともにおられる」→父達とともにいた神は、また私達と共におられる。妻達へのヤコブの言葉は彼と共に神に従うようにとの勧めである。
* 7~8節「幾度も」→直訳「十度」の概数。初めはぶちもしまもヤコブの物となる予定だった。しかし後にはぶちだけになったり、しまだけになったりしている。このようにラバンは次々と約束を変えたのである。(創世記30:37~の記事では、ヤコブは祈りつつ知恵と情報をもとに自分の家畜を殖やしている。ヤコブは財を管理することには賢かったのである。まさに5タラントの僕(マタイ25:15、伝道者9:10)であったといえる)

参考聖句→伝道者9:10「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。」

(中心的メッセージA)
3節を中心にここで言われていることは、ヤコブは妬まれて行き場を失った。義父は自分を騙してばかりである。

このような危急の時に主はヤコブに語られた。生まれ故郷には、ヤコブを恨む兄エサウがいる。しかし神の言葉はヤコブに帰ることを決意させたのである。
 私たちにも危急のときがある。しかし危急の時こそ神の御声を聞くチャンスである。そして脱出の道が備えられる。

参考聖句→1コリント10:13 「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

(例話A)
私は、長老派の教会で救われた。救われて1年した時に友人に誘われてカリスマ派の集会に行き霊的な体験をしたのである。

さっそく教会の牧師にこの報告をしたのだが、信じてもらえなかった。(今ではこの教会の先生とも親しくさせていただいている)行き場を失った私は、友人を介してM宣教師の事を聞いた。まだ一度も会ったことのないM宣教師と会うべきかどうか祈った。そして「行くべし」との心の声を聞いた気がした。

この時には、ルカ5:38が与えられ。M宣教師とお会いした。
私はこのことがきっかけで今は牧師となったが、あの導きを後悔したことはない。危急の時に、主は語り、導きと平安を与えてくださる。

B ラケルとレアがヤコブの帰国に同意したこと(14~16節)
-事をなそうとする時は、身内の肯定的な言葉が大切-


31:14 ラケルとレアは答えて言った。「私たちの父の家に、相続財産で私たちの受けるべき分がまだあるのでしょうか。
31:15 私たちは父に、よそ者と見なされているのではないでしょうか。彼は私たちを売り、私たちの代金を食いつぶしたのですから。
31:16 また神が私たちの父から取り上げた富は、すべて私たちのもの、また子どもたちのものですから。さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」

(中心的メッセージB)
16節を中心として学べることは、ラケルとレアは、父ラバンのこれまでの行動を見て自分達を裏切ったことを見た。
そして実直であるヤコブと、ヤコブに語られた神の言葉を信じて、従ってゆく決意をしたのである。また肯定的な言葉で夫を支えた。
事をなそうとする時は身内の肯定的な言葉が大切である。身内は、神のなさる事と思えたなら信仰をもって励ますべきである。

参考聖句→コロサイ3:16~「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。3:19 夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。3:20 子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。

(例話B-1)
 坂本龍馬は、フルベッキ宣教師から語学を学び、福音にも接していたと思われる。
 さて龍馬の一番の理解者は、姉の乙女や栄や千鶴、また兄の権平であった。龍馬が土佐から江戸で学ぶ時、経済面や精神面において家族がバックアップしたのだ。

 坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家で非常に裕福な家庭だったことが幸いしている。と同時に土佐藩の武士階級には上士と下士があり、両者の間には様々な待遇差別が存在し、下士は長い間様々な場面で抑圧されてきた。坂本家は下士であって社会矛盾への反発からか、反骨・開拓精神が旺盛であったと思われる。

 ともあれ、泣き虫で寝小便たれでいじめられっ子であった龍馬は、すぐ上の姉 乙女に勉強、剣術の手ほどきを受けた。家族の寵愛によって龍馬は、日本開国の一旦を担う者となったのだ。

(例話B-2)
私の母(仏教徒)はクリスチャンとなった私の一番の理解者であった。
親戚には僧侶が多いことから、洗礼を受ける前には親戚が集まっての糾弾があった。私はいなかったが、母は叔父たちの前で「どうゆうことか」と叱責された。
しかし母は「私の息子の行為には間違いはなく、私は彼を信じているから洗礼を受けさせてほしい」と言った。

 この母のおかげで私は洗礼をうけ、後に牧師となることができた。家族の愛とともに、神の愛の結果である。神は母に語りかけてくださったのだ。この母も後にクリスチャンとなり洗礼を受ける者となったのだ。

(結論)
 試練の時に、神に頼るならば脱出の道は備えられる。その時が神とお出会いできるチャンスである。試練の時にこそ身内は信仰を持って励まし合うべきである。
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