JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージ@8月29日(川崎 綾子)

2010-09-02 16:45:42 | 聖書
2010.8.29 証・礼拝メッセージ Ⅰペテロ5:6-11

「見えない戦い」


1ペテロ5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


 8月に、10日間ほど海外で奉仕する機会が与えられました。皆様の祈りに支えられたことを感謝しています。その報告・証と、そこで教えられたことを分かち合いたいと思います。

1 サタンは私たちを攻撃している

8節:あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

 一つ目は、サタンは人間の弱さを足場に、私たちを攻撃しようとしているということです。
 ペテロの手紙が書かれた当時はクリスチャンへの迫害があり、身体、命に危険が及ぶ緊迫した状況でした。今でも、オリッサ州(インド)や北朝鮮、中東などではクリスチャンが命の危険にさらされています。

 日本では身体・命への直接的な迫害はないものの、精神的・内面的にはやはり困難です。「日本宣教は難しい」と多くの海外の兄姉に言われました。日本人が国内で意識しているより、海外のクリスチャンたちは日本の直面する状況を第三者の目で冷静にとらえています。
・仏壇、盆、法事、親戚づきあい、近所の祭りとのかねあい
・宗教への無関心、排他的な態度
・新興宗教、占い 
・クリスチャンがマイノリティーであるという引け目
 
などが私たちの置かれている難しさの一例です。

 今回、私自身がサタンの攻撃を感じたのは恐れと劣等感を通してでした。英語力が不十分なのに、ちゃんと奉仕できるだろうか。フライトが変更されたが、時間に間に合うだろうか。ひとつが解決しかけるとまた別のことが心配になってきりがありません。そんな中、絶えず心配の種を大きくして、奉仕への集中力を損なわせてやろうという力を感じました。

 またある人にとっては、サタンは
・マイナスの感情
・地位、学歴、収入、能力、子どもの有無・・・
・人からどう見られるか(日本モード)、目立つとねたまれないか、変に思われないか
などを足場にして攻撃してくるでしょう。

 けれども、これらはすべて人間の頭で比較しうるものです。私たちが自分の感覚のみにたよってしまう時、恐れて神様への信頼を失ってしまいます。そのように人間の知性・理性だけで判断させ、神への信頼を失わせようとするのがサタンの策略です。

 「神の国が第一?でも今月の給料は?」「子どもの行く末が見えない」「他の人はみな幸せそう」「私にはなにもない」
 こうした判断に陥るとき、私たちの霊的なセンサーは麻痺してきます。
箴言23:7は、英詳訳聖書では「人は、心の中で考えるとおりの人間である。」と訳されています。心の中でだめだと思わせることで、実際にその人をだめにしてしまおうというのがサタンの手段なのです。


 しかし、9節後半には「世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです」とあります。具体的な内容は異なっても、みな困難に直面するという点では共通しているのです。

2 祈りは見えない世界に目を向けさせる

 同じ困難を通る私たちは、互いのためにとりなし祈り合い、支えあうように召されています。

7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。

 祈りを通して、私たちは思い煩いを神のもとに持っていくよう命じられています。自分のことだけでなく、他の人の思い煩いや必要のためにも、祈って神様の御手に放り投げる(cast)ように召されています。

伝4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 互いのために祈るとき、見えない霊的な世界では確実に変化がおこります。今回感じた祈りの力は、
・教会の兄姉の祈り(とりなし)
・講師祈り会(互いのために祈る)
・ボランティアの祈り(個人的に):自分はprayer warrior「祈りの兵士」だ、と言った女性
・参加者の祈り(講義の終わりに周りに集まり手をおいて祈ってくれた)
などでした。祈りにより、私たちは理性だけで判断しないで、あるいはパニックに陥らないで、霊的な神様の働きを期待できるようになります。

Ⅱコリント4:18「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」

「身を慎み」cool head(Msg)(=冷静であれ)、「目を覚まして」stay alert(Msg)(=気をつけ続ける)(8節)というのも、見えない世界に目を留め続けることの大切さを教えてくれます。祈りにより、私たちはサタンの攻撃を見極め、神様に助けを求めることができます。


3 聖霊が助けてくださる

 同時に、助け主である聖霊も私たちのためにたえずとりなしていてくださいます。

ローマ8: 26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

 ゆえに、私たちは「神様の力強い御手にへりくだる」(6節)ことができます。「へりくだる」とは「心配しない」の意だそうです。隠れたりあきらめたりするのではなく、神様に信頼して、安心して御手の中に憩うことです。サタンの攻撃の中にあっても、私たちの力ではなく聖霊の力と助けで勝利することです。「主は恵みに満ちている」方(10節)で、私たちを困難の中にあっても堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるというのです。私たちは弱いですが、聖霊の力がそうさせてくださいます。
 
 今回の奉仕中に、何度か困難な状況に陥りました。講義中に難しい質問を受けることもありました。けれども、その都度聖霊様が働いて、語るべき言葉と愛を与えてくださいました。
 
ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 サタンは私たちの弱さにつけこみさまざまな攻撃をしかけます。でも私たちは個人で、また何人かで祈りあうことができます。イエス様はすでに十字架で一切のものに勝利してくださいました。私たちもその確信と、いつも共にいてくださる聖霊の助けにより勝利することができます。