JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージコラム#165-3(川崎 豊信師)

2016-07-01 16:10:59 | キリスト教
歩みだすこと


 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
ルツ記2:3


カーネル・サンダースの挫折

 1890年9月9日、ケンタッキー・フライド・チキンの創始者カーネル・サンダースはアメリカのインディアナ州で生まれた。
 6歳の時に父が亡くなり母が働きに出るようになりました。すると彼は3歳の弟とまだ赤ん坊の妹の面倒を見なければならないようになり、このため、料理が非常にうまくなった。
彼が仕事をし始めたのは15歳の時で、最初は電車の車掌だった。その後軍人、消防士、保険の外交、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンドなどなど幾つもの職業を転々としたが、やがて40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角にテーブルを置いて食堂コーナーを始めた。
 
 これはガソリンスタンドに寄った人がついでにちょっと食べていくということで非常に繁盛する。やがて彼はガソリンスタンドの向かいに142席のレストランを作り、ほんの数年の内に州内でも評判の店になる。「うまいものの店」の本などにも取り上げられ、州知事からも表彰された。

 しかし店を始めてから20年ちょっとたった1950年代の初め、高速道路が作られて車の流れが変わり、コービンの町にはあまり車がやってこないようになってしった。もう彼の年は60すぎ。年金をもらえる年齢に達していた。カーネルは商売も潮時だなと感じ、店をたたむ決意をした。
しかしその時、奥さんが「人が来なくなったのなら、人のいる所に売りに行けば?」と言ったのがきっかけであったという。信心深かった彼と奥さんは祈りの中で新事業に着手していったのだ。
 64歳の時、そのレストランで最も評判の高かったメニューであるフライド・チキンをワゴン車につんであちこちの町を回り、各地のレストランで試食してもらって気に入ってくれた店にフランチャイズになってもらい、製法を教えてチキン1本に付き5セント(5円)のマージンをもらう契約をするという商売を始めた。
 この新しいアイデア商法はうまくいった。1952年ユタ州(ケンタッキー州から3000Kmの距離)で第一号の契約店を得た後、約10年間に全米で600のレストランと契約を結ぶことに成功した。
 
御翼より


 65才のカーネル氏と奥さまは聖霊の力を信じるアッセンブリーの教会員であったという。
3000kmの距離をものともせずに新しいアイデアを生み出しチャレンジしたのである。そして聖霊の力によって600ものフランチャイズを生み出したのだ。
 私たちも、人間の力だけでは空しい。しかし神の霊の助けがあれば不可能はチャレンジとなるのである。

 ルツ記に主人公ルツは外国に住まいを構えた。ナオミに頼ったり、運が向いてくるのを待ったりする代わりに、率先して動いた。ルツは仕事に出た。自分に必要があるのを認めることも、それを満たすために一生懸命働くこともいとわなかった。
 
 ルツが畑に出て行くと、神が彼女の必要を満たしてくださった。
 
 あなたも、もし神が満たしてくださるのを待っているのだとしたら、次のことをよく考えてみよう。神はあなたが最初の一歩を踏み出し、あなたの必要がどれほど切実なものかを示すことを待っておられるのかもしれない。
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