春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

陽は・・・また昇る!

2017-03-24 15:37:10 | 散歩

 

  

  バラ色の人生  "https://www.youtube.com/embed/bkYDUbrASwE"


 

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氷川丸・寝室!

2017-03-23 10:34:31 | Extra

歴史資料の重要文化財の「氷川丸」

1928年(昭和3年)11月9日に起工、

1929年(昭和4年)9月30日に進水、1930年(昭和5年)4月25日に竣工。
太平洋戦争では病院船として運用。
最終航海は、1960年(昭和35年)8月27日に横浜からシアトルへ出港。
10月1日に横浜に戻ると、10月3日に神戸に到着。
神戸から横浜に回航され、太平洋横断238回をもって航海を終えた。
延25,000人余りの乗客を運んだという。

 

船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、
2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受け、
2016年8月に国の重要文化財(歴史資料)に指定された。
氷川丸のサービスの良さが評判を呼び、
著名人を含む多くの賓客で賑わった。

ここのインテリアの特徴は、
掛け毛布のたたみ方、これだけでもインテリア。
広げるのがもったいない。
この心遣い、
これだけでも、長い旅の疲れが癒されるのでしょう。

一等室は2部屋と浴槽。
一室にベッドが2つ、隣部屋にはテーブルが設えている。

2つの部屋にそれぞれベッドがある。
部屋と部屋を挟んで浴槽がある。

                 社交室 

937年(昭和12年)の47次航海では
イギリス国王ジョージ6世の戴冠式から帰国の途にあった
秩父宮夫妻がカナダ・ビクトリア港 から
乗船、
その時のテーブル。


1932年(昭和7年)の11次航海ではチャールズ・チャップリンが乗船、
1939年(昭和14年)の59次航海では
宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の訪米芸術使節団一行が、
アメリカ公演を終了した後の帰国時に乗船するなど、
氷川丸は華々しい活躍を続けた。
アメリカ側の発着地であるシアトル市民にとっても、
1930年代、日本から定期的にやってくる「ヒカワマル」は、

馴染み深い存在になっていたという。(参考=ウィキ・案内看板・他)
951年3月15日太田節三単身、シアトルから同船で帰国。

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根岸競馬場

2017-03-22 10:03:25 | 魅せられた!

横浜の街を歩いていると、
レトロと言われる意匠の近代建築があちらこちらにあるので、
楽しみもあるのですが、
この「根岸競馬場」の建物は、気が引き締まる独特な雰囲気です。

1866年横浜の外国人居留地における娯楽施設として建設し、

翌年から競馬に使用されていた。
第二次世界大戦の激化に伴い、1943年6月10日には馬場を閉鎖し、
戦後の進駐してきた連合軍(実質はアメリカ軍)に接収されてしまった。
(ウィキ・抜粋)
現在は、手つかずのままの廃墟。
周りには横須賀米軍の住居もあるのですが、

鉄条網で仕切られ、一般は入ることができません。
この日(18日・土曜日)は朝から晴れていて、
散歩コースの整備もされていて、ランニング、犬の散歩と、
沢山の人が休日を楽しんでいました。




 
本の角柱はエレベーター塔

 設計者(Jay・Hill・Morgan、1873年12月10日 ‐ 1937年6月6日)は、
アメリカ・ニューヨーク州バッファロ出身の建築家。64歳の生涯(ウィキから)

 

競馬所の裏側の景色。
みなとみらい横浜港の景色が見えます

建物を蔽っている蔦が緑になった夕暮れは綺麗でしょうネ!



体調も戻り、幾分安心というところです。
ではまた!

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はっけよい、のこった、残った!暇 hima

2017-03-20 21:25:44 | Extra

他国に1人だけ子分を持って、
俺の国には、敵が多いが見方もいる。私の役職は大統領!
縄張り意識は強く、繁殖期は年中繁殖することが可能であり
繁殖力は高く、所構わず。
いらいらや不安など不快な感情を持つ時、
仲間に警戒を促す時は、後ろ足で
パソコンのキーで強くスタンピグするのが、
得意とするが・・・・、

間違いない、俺をコケにした女!

フン!
少しは、にじり寄ったけど、女の未来を潰した、
男の風上にも置けない、口先だけの男!
一応の冷静は保っているけど、私は意外と執念深い女、知らない?

額を合わせのは、表向き。
煮えくりかえっている腹の中を、思い知らせるには、

これしかなぁ~い!
残った、のこっタァ~、のこった!

白いの、やるのぉ~!
おまえ、どっちの味方?

黄色い肌でも、腹の中は白!バナナが好物!
決まっているじゃない!
「寄らば大樹の陰」というじゃぁ~ありませんか!

おまいさん、そう、そこの鼻垂らしのおまえさん!
よそ様の可愛い、兎をネタに、

無い頭、使ってんじゃないよ!



・・・しかし、なんだなぁ~明日は我が身はどうなるんだかネ!
俺は代々「主人は守れ」「守れば、自由に暮らせるといわれたけど・・
最近ナぁ、なんか、ほっとかれているようで、少し自信がグラグラしてんだ!

向こうへ行ってくんない?
しっッ!しっッ!
判んない?
ひとりにして、一人に!

男はどうして、すんなりいかないのか!
今日は、私の微笑みを撮るために来たって言って、
全く馬っ鹿じゃないの!
私の尻を撮ったり、昼寝したり、弁当食って、船に乗ったり、
あっちへふらふら、こっちでフラフラ!
「追っかけ」に舞い上がっているなんて言って、
口ばっかし!

はい。「ガーデン・ベア」ファースト。きみがすべて!

ちなみに、山下公園、入場できるのは、
綺麗な心の人間と、小動物のみですので。
私ねずみ小僧は、賭場っ口まで、下見は上上・・・。

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港の見える丘の館で!

2017-03-19 13:41:36 | Extra

この作家に触れると「さらぎちゃん」と呼びたくなる。
作品や、経歴、文化勲章を受けた、人物と知れば、
一市井の私のようなぼんくらが、軽々しく呼べる、ニックームでは無いけど、
大佛次郎の私生活は、やはりそう言わせるだけの、色香がある。
作品の評論は、その道にお任せして、
高杉晋作も好きな、鞍馬天狗という人は・・・。
《疲れて、民家に、よたよたして入りこむと、、
主人に酒を持ってこさせ、一気に飲んだ。後はごろり、
屁をこいて鼾を轟かせて、眠り始めた。家人は眠れなかった・・・》
映画の筋では見れない、原作の痛快さがある。
横浜で生まれ、鎌倉の大仏の近所に住んでいたから、と、
「大佛次郎」のペンネームにし、女性にもてた、洒落もの!

猫や花に囲まれて、生活ができたらいいなと、思うけど、
今はそれどころじゃない!
八王子、花粉が縦横無隅、まさに天下をとる勢い。
この憎っくき、花粉との戦いを、いかに乗り切るか、
思案の真っ盛中なのであります・・・

埋立地、港の見える丘のてっぺん、
ここにも「ガーデンベア」がいた。
完全に「追っかけ」の舞い上がりは、春の陽射しに負けず劣らず!



右を見れば「鞍馬天狗の生みの親」大佛次郎記念館が。

1階では、一般公募した猫の写真のコンテスト、
奥さん連中が、ひっきりなし、「これ、これ」なんて。

館内は大体こんな色調!



ランプの上の猫たち、
ちょいと脅して、
どう降りるか試してみたい、できるなら!

でも、帰り際にやってしまった。
「とべぇ~!」と、つい!

と、小窓から覗いた受付嬢のきらり光った、目と合ってしまった。


ランプに灯りをつけてくれた!



生前の家の一室があって、
玄関外からの明かりのある、これはなんというのでしょう。
その框から3畳の小上がりの、奥の居間には、
家出中や、子作り旅行中を含めて、20数匹の(数え忘れた)
正座?した猫のパネルが、ダンさんを迎えている。


 

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