僧尼となって、庵を結んだ藤原娼子は蘇我家から、
藤原不比等の正妻になった方。
後年は、藤原先妣尼と名乗り、隠遁生活に・・。
藤原不比等の正妻になった方。
後年は、藤原先妣尼と名乗り、隠遁生活に・・。
正確な人物歴史的記録はないものの、
701年以前には亡くなってる・・。
701年以前には亡くなってる・・。
今は立派な造りの禅寺になってるけど、飛鳥時代、
穏やかな草葺きの建物だったのではと・・心が濁る。
1707年からの広大な堂内は、
1707年からの広大な堂内は、
華奢な装飾を嫌って、簡素、禅寺形式に、
虫の羽音さえ聞こえそうな、
張り詰めた静けさ・・・。
虫の羽音さえ聞こえそうな、
張り詰めた静けさ・・・。
👇この部屋は、
米沢藩主となる上杉景勝10歳、
生涯、上杉の家老となる直江兼続5才が、
英雄の礎を築いた場所。
生涯、上杉の家老となる直江兼続5才が、
英雄の礎を築いた場所。
柱が天井まで突き抜けない、
天井が浮き上がるような書院造り。
天井が浮き上がるような書院造り。
越後ではここしかなく、最高寺格を見せつけます。
👇欄間彫刻が2点、
黄河上流登竜門の急流を登れ、鯉。
登れば龍と化として、
修行僧は、悟りは座禅修行でと・・。
黄河上流登竜門の急流を登れ、鯉。
登れば龍と化として、
修行僧は、悟りは座禅修行でと・・。
👇不老不死の老人が、鶴に乗って、
無限の世界で遊ぶ彫り物は、悟りを開いた妙境の構図?
👇雲の形を設えた窓の廊下は
👇600年ばかり廃れていた雲洞庵が、
禅寺となって再興されたのが、1420年から
👇 文殊菩薩の前で、
吊戸棚には荷物を置いて、一人一丈の生活。
木板で食事をし人と、お喋りなどしたら、
6尺棒で叩かれて、寺を追い出されたという・・。
木板で食事をし人と、お喋りなどしたら、
6尺棒で叩かれて、寺を追い出されたという・・。
余計なことだけど、禅修行、私ゃにゃ~無理・・むり ‼
私にできるのはせいぜい旅の記録を残すだけ
その、雲洞庵も 〆ます。
私にできるのはせいぜい旅の記録を残すだけ
その、雲洞庵も 〆ます。
深い雪国に、、歴史を積むように、ひっそりと・・。
こんなお寺に出逢った時、至福に満たされるのを覚えます。
この時代、女性も遠方まで出向いているのが判ります。
史実の曖昧さはあっても、だからこそでしょうか、
ロマンだと思います。
眼に見えない過去の状況を、思い浮かべて、その姿を見る癖があります。
ここもふっと、そんな行動をとらせたお寺でした。
貴重な歴史が遺されて、目に触れ辿りながら感動しました。
有り難うございます。
「娼子」ですね。系図にメモして残しておきます。
なんといっても4兄弟の母親ですのに、名を知りませんでした。
古代史ものの小説も好きで、ロマンですね~、そうしたところで心躍らせているのです。
ありがとうございます。
中央を離れた地で、名将や文人たちはじめ多くの人たちが修行し学び、…すべては今に続くのでしょうね。
簡素でありながら贅を凝らした? 匠の技も素晴らしいですね。
お写真のいちいちに目を凝らし拝見させていただいております。
最初から、う〜〜んと・・唸る気持ち。
禅寺らしい風景の中の、煌びやかな様子。
全ての彫刻のリアリテイ。
悟りを開いた老人の世界・・
厳しい禅の世界・・
美しい禅寺の様子は、朝から「キリリ」とした
気分になりました。
素晴らしいブログ、ありがとうございます。