春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

飲み過ぎ、丸太から滑った
徳利、背中の与太郎河童
花見の色香に、プハァ~川から顔出し
キョロ、きょろきょろ!

唐松観音②-② 河童の山形市。

2020-10-12 21:30:17 | 散歩

日本一の芋煮会フェステバルの
平成元年から3年間、使用した、
初代大鍋で、アルミ鋳造の材質に、
里芋3トン、牛肉1.2トン、水が5トン、
醤油を700リットル、砂糖200キロ、
日本酒35升・・を、
薪6トン、白炭6表で2時間煮込む・・・
想像が付きません。

山形県の芋には江戸時代かららしく、
日持ちのしない、里芋を冬の前に、
寄り集まって、煮てみんなで、わいわい、
稲の育ちを眺めながら、
畔での芋煮の鍋、秋の花見と洒落るのだそうです。



唐松観音堂は、
京都一条殿の豊丸姫が、炭焼きの藤太に嫁いだという、
伝説ですが、観音堂から4キロばかりどころの宝沢地区に、
住吉神社があり、藤太と豊丸姫と3人の子の像が祀られ、
彼らの時代は1120年代、平安時代の頃です。

当時の山形は、金が大量に産出されていて、
炭焼き藤太は、金が貴重なものだと、
豊丸姫から教えられ、
製炭や採鉱を始め、
住民にも教え、京で金売りの商売で、財を築く。

藤太夫妻の子たちは源義経に仕え、義経滅亡の後、
金売りをし、奥州白坂(福島県)で熊坂長範に、
殺傷され、悲観した藤太夫妻は、
深山に入ると、いい残し行方が分からない。

この堂は、昭和51年山形の人、
信心有志の方々の奉賛会で集めた、
4000万円の浄財で寄進したものだそうです。


 




























沢山の伝説から、唐松観音堂の近辺を、
散策し、この地区、金の資源が無くなるまで、
砂金や砂鉄、銅鉱を彫る人、木炭を焼く人、
炉に風を送る人達が、
新しい場所を求める流浪の民が、
行き交う往来を、
思いを抱いて、馬見ヶ崎川の淵を歩く・・。



山形の人たちは、アケビの皮を刻んで、
炒め物にするという!

何十年ぶりかで、種の始末に困った、
マシュマロのような感触を、味わい、
いい気分・・。


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