春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

(32)節三の心に、灯りが

2016-03-19 16:15:43 | 節三・Memo

校長室の引き戸を開け一歩足を踏み入れると、校長、教頭、柔道の顧問が、一斉に節三の顔を仰いだ。



「太田君、益々腕を上げているようだね」
教頭が、背広のポケットに手を入れ、眼鏡の上縁から肩幅が広くなった節三に愛想を言った。
柔道では節三には勝てなくなった浅利顧問が、節三の稽古着の袖を引いて、校長の前に行くように、促した。
校長は三船久蔵からの便箋を一枚一枚めくりながら、
「三船先生が明後日ここへ来ると手紙を頂いたんだが、訪問の折には、是非君に会ってお話をしたい、と連絡があってね、どんな話か詳しくはわからないが、悪い話ではないことは確かのようだ」
教頭が、校長の話を遮るかのような速さで、首を何度も振り、
「いやぁ、君という人間は、明治三十一年大館中学創設以来の歴史を塗り替えるかも知らん。名誉ものだ。あの天下の講道館の三船先生が、こんな田舎の中学の太田君に会いたい、と、名指しで来るんだから、大したもんだ、柔道の先生が、柔道の君に会いに来る。校長がいうように、これは悪い話ではないことは、確かだ。大したもんだ、いやぁ大したもんだ君は、是非とも会いたまえ」
学業不振で落第をし、いたずらの首謀者と誤解されて停学は当然と、いの一番に推奨した教頭が節三を誉めた。
大館中学には、節三より遥かに、名を馳せた学士は何人もいる。
教頭の口車に、柔道顧問の浅利が「チッ」と口を鳴らした。
節三は校長から渡された手紙に目を通したが、三船の達筆な文章は文字に疎い、節三には珍粉漢粉であった。が、体が熱くなり、脈が早鐘のように打ったのは、自分の名前が、手紙の中で鮮明に浮かんだ時である。
脈打つ心臓の音が聞こえた。時間が止まり、心臓の音は皆に届いているのではと動揺したが冷静さを保ち、
腕組みをしている浅利顧問の顔をチラリと見た。、
察してか、校長は
「最近、君は教室から、抜け出し不真面目だと報告もあるが、今後は学問にも身を入れるように。今日は三船先生のたっての要請だ、明後日は、どんなことがあっても抜け出してはいかん、先生のお迎えする準備も
ある、君にも手伝ってもらう。分ったかね」
校長の命令に、軽く頷いた節三は、浅利顧問と共に、校長室を出た。
教頭が慌てて引き戸を引き、節三の手から、校長宛ての手紙をはぎ取って引き返した。
長い廊下の中間の通用口に、小泉が心配そうな顔をして、節三を待っていた。

三船が来るというのに、節三は相変わらず、破れ袴のまま、登校した。
袴で、通学するのは節三ぐらいであった。

椅子に座る三船の小柄な背中が節三の眼には「でかい、石みたいだ」と映った。
「太田君、中学を出たら、どうするのかな」
三船久蔵は、真新しい檜のテーブルを挟んで座る、節三に問いかけた。
校長は、その二人を、じっと見たまま、身じろぎせず、節三の返事を待った。
「決めていません、考えたこともありません」
所詮、金持ちの倅、喧嘩に勝つために始めた柔道。
いつも頭にあるのは「闘う相手がいればいい」、将来には無頓着な節三であった。
三船は、檜のテーブルに両手をつっかえ棒にして節三の顔を見上げ、
「いずれ、君を私の門下生として、我が家に呼びたいと思っているのだが、どうかね」
節三の眼がきらりと光り、三船の眼を鋭く刺した。
「飯の糧はわしが出す。いずれはわしの名代として大学や会社の柔道部の教範になって貰いたいのだがね、中学を卒業してからの話だが、家族の皆さんに相談してみてくれたまえ」

去年、大館中学の教範の直前、新妻、郁子を連れて、長木沢川で鑑賞した、風にたよう身丈より大きい蕗のしなやかさを、節三に重ねていたのだ
「柔よく剛を制す」大男を投げ飛ばすには、節三のしなやかさが、何よりの武器になる。
しなやかさは誰も彼も持ち合わせているものではない。
その稀有な素質を持つ節三を昨年の教範で見出していた。
それを忘れずにいた。

終着駅小坂町に近づき、夜空を覆い隠す精錬所の煙を仰いだ節三の心に変化が生じた。、
「悪くない話だ。俺はこの町にいるような男ではない」
その夜、女子学生で流行っている、ひさし髪の髷にして若く見えた義姉アヤの飯を口に運びながら、今日の出来事と心境をお膳の横で節三の所作に対応するアヤに話した。
アヤはミツが嫁いでから、少しふっくらし、お代わりする節三に、一歳しか違わない節三の甥、自分の子昌雄と比べ昌雄より遥かに大人になっている。と感じていた。

大正三年十月、太田の庭の池に赤く染まった紅葉の葉が映っていた。
三日後、兄、悌三夫婦が久しぶりに、育った太田の家に泊りがけで帰っていた。


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1 コメント

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初めまして (つばら)
2016-03-17 20:57:26
読者登録ありがとうございました

興味深く拝読してます
これからも楽しみにしております

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