春・夏・秋・冬・河童の散歩

大叔父・太田節三の慕情を新装しました・・・。

高瀬忠七・売れっ子独立して月夜野で初仕事。

2019-11-25 22:32:30 | 関口文治郎/神社仏閣
 
・・・・降って寛永十四年丁丑年(1637)
十月沼田領主真田家にて、
再建せしが、幾星霜を経て社殿破損せしを以て、
寛政四壬子年(1792)
氏子信徒等敬神宮の尽力により営繕完成せり・・・
 
群馬県のわたらせ渓谷の淵に、
花輪町があって、1700年代、
日光東照宮の彫刻修繕をしていた、
真田家の家臣で刀傷で武士を捨てた高松又八さんが住んだ。
彼の弟子の、石原吟八郎という、腕のいい彫刻師も、
又八さんと一緒に日光東照宮に出向いていた。
 
又八さんの死後、独立した吟八郎さんが、
53人の彫刻集団を作り、
江戸初期までの飾りけの無い寺社から、
群馬県、埼玉県では人目を引く、
彫刻のある寺社に変身させた。
前原藤次郎、関口文治郎、星野政八、石原常八・・・・
雪の夜、皆12,3、4歳からしもやけにの手に、
焚火の灯りで手練に仏像を彫った彫刻師たち。
20歳ごろには、いっぱしの彫刻師になって、
よその土地で施した彫刻を見て、あちらこちらから声が掛る。
 
高瀬忠七。
親父の高瀬万之助さんも、花輪で生まれ、
石原吟八郎さんの弟子になり、
撮影禁止にするほどの、
群馬県中之条の宗本寺の本堂欄間24面と、本尊上に、
多彩の彫物を施している。
この欄間の3枚が忠七さん。
7~8キロほど離れた吾妻町、応永寺の山門も彫り、
山門棟札の裏面には忠七さんの名がある。
 
1792年、忠七が独立して初めて彫ったのが、
みなかみ町月夜野の大峰神社。
氏子さんたちが、壊れかけた神社を見かねて、
僅かの金子を出し合い、建て替えた神社。
中之条の宗本寺、応永寺山門を手掛けた忠七さんに、
彫り物を依頼したものでしょう。
高瀬一族は、群馬県北部に多くの彫刻を残している。
欄間の高瀬忠七さん。
晩年は、名が出てこない。
そのころ、
星野政八、石原常八の度肝を抜かす、鑿裁きが、
台頭してきた、1820年ごろ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
やんちゃだってのは、分ってるけど、
もう何十年も、親におさえつけられているわけで・・・

 
何も子手毬を見せつけなくても・・・だ!
 
 
 
 

 
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