春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

谷間 ❝僕のあの帽子❞ 霧積・金湯館

2018-02-07 20:29:18 | 榛名湖・上州

 
明治43年の大雨で山津波が発生する前、
軽井沢が発展する前、
40数件ホテルや別荘地は、東京からの避暑地として、
栄えた霧積温泉でした。


☟ 霧積館は昭和46年の開業から半世紀、
  平成24年、水車を残し解体。

 
☟ 霧積館の近くに、土砂崩れで悲惨な状況を見て、
  幸田露伴は小山内薫ととも訪れ、荒廃した姿を,
  詩に書いていた。

 

☟ ここから、旅館「金湯館」をめざし、

 

 

 

 

 

☟ 駐車場に6台の車は、埼玉、東京などのナンバー。
  霧積川の向こうで、
  アイスクライミングする人たちの車だった。
 

 

 

 

 

 

☟ あれが「金湯館」
  伊藤博文、尾崎行雄、森村誠一、長谷川如是閑、
  与謝野鉄幹・晶子夫妻、幸田露伴、
  山口誓子、小山内薫、山口薫も泊っている。
  西條八十、直接「霧積」を題材にした詩。
  同じ道だと思う・・・私も歩いている!
  鹿の爪痕のある雪道。

 

 

 
☟ 明治17年創業。
  改築しながらの営業は、風呂に将棋盤を浮かべて、
  勝負を競えるほどの、ぬるま湯。40度ほど。
  
風呂にはいれと言われたけど、丁重に断り、
  山菜そばを、量があって、しかもうまかった!

 

 

 

 

 

☟ 今年は水が少なく、氷塊が小ぶり。
  上毛新聞社のカメラマンの写真を見せていただいたが、
  水車から川底まで、てんこ盛り状態。

 

 

 

 

 


☝ ☟勝海舟が皮膚病の湯治に。
   同じく滞在していた、徳富蘇峰。蘆花の、
   叔母(キリスト教婦人叫矯風会創立者・禁酒運動の親分)
   矢島楫子(かじこ)の依頼で
海舟が筆をとった石碑の拓本。
   明治20年ごろだ、と。

 
☟ 秘境、霧積温泉一軒の宿、若女将が、
  冬場、土日には20人ほどの宿泊者をもてなしていました。

 

☟ 「人間の証明」 森村誠一氏が執筆していた離れ。

5492

 ☟ 電気は昭和30年から。

 

 

 

 



            ふぅ~ぅ! 長かった。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前略 西條さま、森村様。霧積! | トップ | 紅柄の橋梁も、織る錦。碓氷峠 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

榛名湖・上州」カテゴリの最新記事