富山マネジメント・アカデミー

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富山の浄土真宗の「伝統の負債」

2018年04月20日 | Weblog

富山県の行政は、不幸な方への目配りは、実は第一流である。書けないが、犯罪者の更生など社会福祉の底流は、阿弥陀仏の慈愛が隠されている。実は、宇治伸さんという浄土真宗の講の研究では、今や、日本の第一人者、最近、論文をいただいた。富山の伝統構造を静態として把握し、そこに動態変化の要素を追いながら、さらに、全体として静態構造の存在を指摘されている。江戸時代、越中の浄土真宗は、禅宗に負けないように学問をする僧侶を育成し、教義をアカデミックに引き上げる動きの主役を務めた。結果、宗門内の大論争となり、仏教教義の高度化よりも、地をはうような阿弥陀信仰を素朴にひろめる俗への没入を聖なるものと考えるのが自然だとする考えが制度化された。知識の高度化か、理屈抜きに慈愛の社会福祉か、この両極の分裂は、今でも静かに続いている。これを妙に統合しているのが、滑川を発祥の地とする富山湾岸社会主義である。このことは、富山県史の大正編に書いておいた。さて、宇治さんも、あれだけ浄土真宗に精通しながらも、教義だけは議論されない。ただ、僧侶、それと同格の肝いりと、行政の十村役の豪農の農村社会の統合力は、今でも無視できないことを示唆されている。男子は、下手に喧嘩すると報復があるので面従腹背するが、若い女子は、浄土真宗の地域統合力から身をかわし、域内での遺伝子統合から逃れ、江戸に出奔することで自由という資産を手に入れた。全国一の浄土真宗の濃度が濃すぎる富山では、非宗教化された知的、道徳的な県民統合の精神を養う一体感を育成する施策が必要である。石井知事は,富山県政の歴史のうえで卓越した知識人である。僕の知識でも、石井知事からは数年の遅れがある。「美しい富山湾」という環境の美学は、富山湾岸社会主義の「米騒動」礼賛とは明快に異なる県民一体化の道筋である。【この文は、富山の新聞記者さんのために解説させていただきたく献上します。下手な提灯記事を書くより、石井知事が富山最大の知産であることを知り、勉強しましょうね】

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