TMA講師代表:個人研究 かってこのブログで、「論語」学而編にある曽参の「三省」の三は、日に三回という回数ではなく、三つの事を反省するという意味に解釈するべきだと、説いてしまった。理由は、「三たび省みる」ならば、「省日三」の語順とあるべきだと文法的に解釈したからだ。程樹徳の「論語集釈」(中華書局)によると、曽参の同種の言が「大戴」礼の立事篇にあり、そこでは「日々、朝に業に就き、夕べに自ら思いを省みる」とある、と指摘している。さらに、「此の三事日省吾身」というように、本章を言い換え要約している。だから、一日に三回ではなく、三つの事を日々に反省する、という文献の典拠による解釈により自説を補強できる。この程樹徳の「論語集釈」は、世界の論語学の現時点での最高到達点である。小生も調べが足りなかった。反省・・・。それにしても、岩波書店の金谷治訳「論語」は、ひどすぎる。
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