若いころは、相当に韓国びいきだった。しかし、僕の中で韓国の研究者に、ある種の「頭の悪さ」を感じて、距離をおき始めた。
どうして、韓国人、あるいは、北朝鮮人が、世界史から立ち遅れたのか、富山大学中央図書館で研究してみて、良く分かった。
「権威」を決めると、その権威を守るために、思考が停止する。この傾向が強い。それは、狩猟採取を生存の基盤とする部族性の社会を基層構造としているからである。指導者に従わないと、極寒の半島では生き延びられない。日本では、雪のない、霜のない地方は多くある。
仏教史を研究すると、日蓮、親鸞が、仏教の日本化に成功した意義は、絶賛に値する哲学思惟だと分かる。儒学史を研究すると、朝鮮では、朱子学の一言一句を墨守した「頭の悪さ」は、朝鮮半島を特色づける。日本では、建前のの朱子学の枠内で、富山では、清朝の考証学をとりこみ、そこから洋学の導入の仕組みを引き出した。
その学力がすざまじかったために、中国は近代革命の道にすすみ、1905年、東京で中国同盟会が発足し、今の中国共産党の歴史と連接する。その時、日本は、韓国併合に踏み切った。統一的、自律的な政治統合の思考力に欠けていた。詳しく調べると、儒学の体系に西洋の学問をとりこむために、ハングルが逆に邪魔になっていた。漢文主義を残していたら、洋学のハングル化に便利だったのに、部族それぞれが自己責任で西洋の学問を取り込んだので、「不統一」への拡散が民族の力量形成の主流となった。
日本軍国主義の全盛期に、富山県人は、富山高校の全国トップクラスの英語教育のお陰で、西洋文明の理解を深めていた。朝鮮の近代化は、朱子学の墨守に原因がある。それなのに、国旗は朱子学の虚構である「太極」のシンボルとして掲げている。表音文字のハングルは、表意文字の漢字の利点を抑止したため、ハングルによる世界文明の翻訳文庫を民族資産として形成することに失敗した。