富山マネジメント・アカデミー

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県内のどこに暮らすかで、満足度は違う

2018年12月01日 | Weblog

なんとなく不便を感じる地区に暮らしていると、富山感が違う。僕の場合、市役所、県民会館は、自転車でもいける。逆に、郊外の大型店にも近い。非常によく出かける富山大学でも、ライトレールとバスか、市内電車の乗り継ぎで、ストレスはない。こういう交通環境を軸にとると、満足度は、県民全体では、平均化される。他方、「詩のような世界」として風景を見ると、住んでいる地区からの景観に満足度がないと、全体としては、極端に満足とはいかない。「暮らし」を食生活で考えるヒト、面白いことで考えるヒト、それぞれに多様な価値観があるから、係数化し、他府県と比べてもあまり意味がない。日本のなかの北欧、スウェーデンに近いといわれても、評論としての面白みしかない。どこが違うのか、なかなかに「富山学」の軸心は決まりにくい。ただ、江戸時代の加賀藩政、富山藩政の時代からの延長で考えると、おもしろい。善いことは続き、悪いことは改善されたかという時間のモノサシと地域のマップでみるとよい。経済成長の結果、家産の継承者と、非継承者との間で、後者を大都市圏へ、北海道へ、押し出してきた流れがとまり、還流の流れが生じたことは、平成からの現象である。身の回りでも、首都圏からの還流の事例は、かなりある。また、富山から離れないで、仕事だけ首都圏でこなす方も増えてきた。仕事で無理やりに富山に配属され、富山が気に入った「一世代型の富山人」も、富山市ではかなり多い。こうしたなかで、少子化の一つの原因である「教育費負担」、それも公教育ではなく、家庭ごとに選択する「塾」費用の問題にしても、県内で微妙に違いがでてくる。その中で、富山県には、ろくな高等教育機関がない、という思い込みの重圧は、教育界の人間ほど自嘲的、自虐的な富山県意識に繋がっている。では、ろくな企業が無い、とは思われてはいない。ただ、ビッグであるはずの企業に赤信号がでている。高等教育研究と先端企業との整合だけでなく、ごく普通のレベルでの産業界と高等教育界との真の協業のカギは、「薬業」という形で決め打ちすることで、新しい隊列化も可能になる。その決め手は、製薬業の産業ロジスティクスの全体設計にある。もうひとつは、多様性を活かしながら県民意識の一体化を可能にする全天候型のイベントホールである。フラッグと広場の問題に、集約してみたらどうか。

 

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