富山マネジメント・アカデミー

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日本は北朝鮮との関係改善を掲げながら、内実は無責任体制を維持する方策

2019年06月02日 | Weblog

拉致被害者の心情を第一とすれば、こんな議論はしたくない。しかし、拉致被害者たちが「民草の域を超え、国家の外交戦略につき、政治連盟のような世論工作を十分になさった」のであるから、自助努力を称え、結果が伴わなかったことを悼むほかない。もともと、日本国は、アメリカに無条件に降伏したから、朝鮮半島の問題には、なんらの介入の権利はない。まして、帝国日本の負の遺産を「令和時代の日本人」が賠償に応じる必要もない。いつまでも、伝統的な無責任体制を貫けばよい。そもそも、日本には、相当数の北朝鮮の同胞が暮らしておられる。それは、大事な人質である。しかも、大都市に居住区がある。北朝鮮からの核ミサイルに脅える必要はない。人質を祖国に招きいれるまえに、核ミサイルの雨を降らせてくることはない。問題は、日本国と大韓民国との信義である。これは、大和朝廷の時代からの千数百年かけての民族紛争の歴史の最前線である。しかし、日本国の人は、誰かが自己犠牲となって精密な民族主義の政策・制度・法令を定めるとしても、もう日韓の混血、雑婚の線引きはできない。僕のゼミや講義の受講生の何人かは、両親ともに韓国、母親が韓国という「在日」の方がおられる。朝鮮半島の問題は、「あきれる」「困ったモンだ」と思いながら、積極的に何もしない。何かをすれば、善意でも、悪意の眼で「裏になにかの策略がある」と勘繰られるだけだ。北朝鮮との関係の早期改善も、韓国との関係も、日本国民が総じて無責任で、やすやすと拉致を許し、やすやすと慰安婦問題を蒸し返されても、誰も責任をとらない。グダグダと半島政策の無策を是とするべきだ。つまり、老荘の思想に徹し、無為無策が「上策」である。「背中を向け」で、正面から応対しない。日本人として何かをしなければならない、という力みは一切無用である。といって、これ以上、好きにさせない準備も必要である。それが、日米同盟のステルス化である。それと、国内限定の言論戦である。コミンテルン極東支部のルーツのある日本人の「反皇室主義」の潜在力との言論戦である。直接に、地の違いによる民族差別は煽らない。そうではなく、吉野作造の裏面を再検討し、東大の法学部政治学者たちの「民主革命」の陰謀との正面からの戦いである。中西進先生は、尊皇派である。東大の現役の教授は、中西先生を実証的にアカデミズムの場で処刑しようとしてる。僕は、中西先生の助け舟として、『礼記』という原典を示唆した。


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