富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

北陸電力は、カターレ富山から撤退して欲しい【増補】

2019年01月01日 | Weblog

2018.12.31、大晦日の年越しそばを戴く食卓で、富山第一高校のサッカーの結果が話題になった。愚妻の方針で、家族全員が自分用のTVを持っているので、めいめいが好きな番組をみるハウス・ルールがある。なんと、家族四人が、それぞれ同じ番組を見ていたことが分かった。愚妻も、僕も、前半だけみて買い物に出かけた。後半が面白かったそうだが、90分、きちんと見ていた孫が後半に同点に追いつかれ、フリーキックで富山第一が第一回戦を勝利したという。孫は、富士通系のIT企業の勤務なので、JI優勝の川崎フロンターレの試合を熱心に押さえている。さて、問題はカターレ富山である。YKKの支援は、J2に属した時期から大幅に後退した。今度は、北陸電力の構造赤字に巻き込まれ、YKKへの支援要請が厳しいそうである。ここは、北電とYKKとの協同は、解消するべきである。やはり、YKKの単独スポンサー方式が、富山県民にとり最後の選択である。YKKのファスニング技術は、ディフェンス思想と合致する。最高のゴール・キーパー、最強のCBを備えて、無失点試合をめざし、最後の15分だけ、カウンター攻撃に徹する。そうした超極端な守備第一主義のゲーム展開とマッチする。また、窓の会社としても、外気を遮断することに徹したスタイルは、大きな企業の商品イメージ戦略となる。ファスニングと建材事業の二元性を一元化して、失点しないことを売りにすれば、資本を投下する意義は生まれてくる。Jリーグは、企業の商品広告イメージを禁じていない。ただ、企業名はチーム名にできない。富士通は、川崎フロンターレの活躍で支援から、投資の成功へと良い道筋を歩んでいる。「北電脳」には、強みが乏しい。




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北陸電力は、超高齢者から「譲位」を言い出すべきだ

2019年01月01日 | Weblog

 多少は事情を知る環境にいたので、遠慮はあるべきだだが、北陸電力さんは、通期赤字という結果を誠実に受け止め、高齢化しすぎて、かつ、「天皇化」した世代は、潔く辞職するべきである。原発を再稼働したいなら、自分の足で誠実に対話を死ぬ気でやる必要がある。僕は、再稼働を支持する立場である。だからと言って、物理的な廃炉の日は、何十年先に来る。だから、中山間部の振興のためにも、「バイオマス発電」は、富山にとり持続可能な多様な電源確保に不可欠である。こうした電源の多様化に対し、七尾の石炭火力という最悪の選択を行ったことで、遂に、その事故により、通期の赤字が運命づけられた。経営は、すべての現場での実務の総和である。外郭団体からは、北電トップ層の「人格伝説」は聴こえてこない。まして、電力消費量の大きな製造業への電気料金の値上げは、「経営ミス」の赤字の転嫁であることは誰の眼にも明らかである。驚くべきことに、産業別、業種別の電力供給先の微細なデータは、経営企画の部署にはなかったことである。値上げに耐えられる企業と、そうでない企業との多様な対応をきめ細かく分析し、北陸三県の産業競争力を奪わないような多様な対応の仕方が、最高責任者そのものが理解できていない。電力販売の市場の自由化は、昭和の電力企業への改革を求めるいい意味でのシグナルであった。もう1年も先でも、元号が変わっても経営陣が同じなら、新電力へ契約を変更する決意を秘めているユーザーもいる。そのために、現行の北電の企業ルールでの「お得な契約」を再検討してもらったが、営業さんが技術に弱く、新電力と北電とを多様に使い分ける方式に踏み切るように周辺に進めていきたい。「シーケンス」という企業の視点は、電子計測器による見える化である。これをユーザーが主体的に洗い直し、ビル管理コストを節約する道筋を考えたい。それほどに、ユーザーの製造業や、大型のビルの管理法人の役員が、静かに激怒していることを北陸電力の未来ある社員に伝えたい。

 


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2019年からの時代の多様性

2019年01月01日 | Weblog

 平成という元号は、「平成」の反対の「治乱」「混乱」「波乱」を意味した。他力を頼みして、個人にとっての環境の変化はおこらない。これは、国家でも、家庭内の私人でも同じである。では、他者との関係性をぬきに個人に自己成長は期待できるだろうか?2019年は、過去の日本よりも国家としての自己成長の道筋は、かなり明瞭である。国家と国家とのせめぎあいのなかで、あるべき道筋は前年度よりも成長変化を語ることができるだろう。日本では、公的な世界の環境変化が個人の生き方に大きな影響を持つ点で、国家と個人の感覚的な距離は、他の先進国、中進国に比べても短い。それは、象徴天皇制を意識的に定着させ、福祉を第一義的な社会連帯の要におき、本来、名もなき庶民階級が災害をばねに共感の輪を広げてきたからである。特に、多様性を構成し、演出するために、多項、多元の連立方程式に無理に解を求めない生き方が、異をもって貴しとする思想として現れてきたからである。何かの原理に単一整合するために和を以て貴しとするのではなく、さまざまな個性をどこまでも活かしあう余裕が次の余裕を生む時代へと庶民階級が成長している。自らの困難を他者の責任として、他者を悪の根源として誹謗する前に、「小さな内省」が生まれている。不誠実は、特に個人の内面において克服されるべきだとする気風が自然に生まれてきた。人口減の社会では、高齢者は清く自分世代の無知・無能を自省し、次世代に「誠実」を「誠実」として送りとどけなくてはならないだろう。そのような範を示されたのが、今上天皇陛下により示された譲位の深い意味である。なぜ、平成の時代に災害が多かったのか?いかに「誠実」に処しても、官僚・企業社会の上層の強欲・無知・無能が、災害のより大きな被害の拡大として現れる現象が続いた。天皇の譲位の意味をかみしめるなら、優れた40歳、50歳代の実権を譲位すべきである。


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