富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

中九州大地震の「想定外」の大被害の影響

2016年04月17日 | Weblog

九州を北九州、中九州、南九州にわけると、今回の九州の大地震の群発は、中九州大地震と呼ばれるべき規模である。天災は、人間(じんかん)の不徳がなせる天命である、と反省するのが、儒学における大災害観である。

阪神大震災の時は、村山内閣、東北大震災の時は、菅直人内閣、そして、今回の中九州大震災は、安倍内閣である。その失政は、どうやら、解釈改憲のぎりぎりの安保法制に、2015年の政治日程を費やし、地方創成と防災体制という方向に世論を導けなかった、という天命が下ったというべきであろう。安保法制の整備は、周辺国の動きから必要なことであるが、あれだけのエネルギーを投入し、60年安保の左翼を蘇生させた副次効果は、大失政である。しかも、安倍政権の経済政策の破たんは、この中九州大地震の被害の深刻さが判明するに従い、東京証券市場のおける外国資本のリスク・ヘッジのための見切り売りがさらに伴えば、日経平均は2016年2月の最安値を更新するかも知れない。事態は瀬戸際に来ている。

大失政⇒局地的な大地震、このように為政者への天の警句とうけとめることで、政治が革新され、進化が促される。日本近代史では、関東大震災、これが「大転換」のシグナルであった。この大地震の復興により生じた財政経済の不調が、大日本帝国の崩壊へ悪の連鎖を生み、1945年8月、アメリカ軍による日本占領へと至る。大震災は、地殻変動だけでなく社会変動を呼び込む。

国際通貨基金は、来年、2017年、日本経済はマイナス成長へと向かっている唯一の先進国であると警告した。それから、1週間ほどで、中九州大地震という未曽有の地震が発生た。最初は、熊本地震と命名、その後、気象庁は想定外の3震源をもつ特殊な地震にたいし、なすすべもなく、被害の拡大を見守っている。地震学が難しいが、日本の科学者の最先端科学者の集まりではない。経済予測も外れる、地震の予測は不可能だとしても、せめて熊本地震の段階で中九州への連鎖型への予測は、誰もできなかったのであろうか?

これで、国際通貨基金の警告は、極めて現実味を帯びてきた。幸いなことに、極端な円高を経験してきた日本企業は、生産の拠点を海外に求めてきた。阪神、東北の大地震を経験し、日本の生産拠点は海外に移されている分野が多く、これで日本経済が瓦解することはない。北九州は、鉄鋼など素材系の産業が集積している。南九州では、東南アジアでも可能な人手による加工を主体とする産業が集積している。しかし、熊本と大分には、学力水準が高く、中九州の九州人の知識集約型の産業が集積している。農業の国際市場化にむけ、日本の先進地である。中九州大地震は、九州では一番に大地震の影響が、日本経済の深部に波及する産業連関とつながっている。

一日も早い回復を期待する、というコメントでは済まない厳しい状況にある。まして、21世紀に農業、農学を志した貴重な若者の命を奪った「軽量鉄骨の粗末なアパート」群。政治が、そして、大学資本が、どうして安全な「下宿」を提供できなかったのか?阪神大震災でも、阪神地区の大学は、多くの学生の命を奪った。心のこもった追悼式をするだけではなく、学生の住環境を根本、見直すべきである。大学は、学生寮の管理に手を焼いたが、これからは、共同研究型の宿舎と教室との一体的な教育環境が期待される。実は、中国の大学がこれに近い。

日本では、学生の住の問題と、教育の課題とが、別々のレールで組み立てられていた。文部科学省の役人が、阪神大震災から学んでいたら・・・、東海大学の農学部の若者の無念の死は避けられた。大きな「国富」をも同時に失ったのである。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする