蟷螂亭日記

「蟷螂の斧」という言葉は、弱き者が抵抗するという意味であるが、たとえ無駄であっも抵抗しなければならないこともあると思う。

南海トラフ地震の馬鹿げた被害想定

2012年04月04日 02時11分57秒 | 日記
・昨夜来の暴風雨で我が家も吹き飛ばされそうに震えている。飼い犬が怯えて無闇に吠える。何でも「爆弾低気圧」で起こった春の嵐とのこと、早く去ってもらいたいものだ。

・ところで、今日は、暴風雨の話ではなく地震の話をしようと思う。例の内閣府の有識者検討会が発表した南海トラフで巨大地震が発生した場合の被害予想である。地震の規模はマグニチュード9クラスだそうで、関東から九州まで153市町村が震度7を記録するとされ、津波も太平洋岸でほぼ10m以上の波が広範囲に押し寄せ、最も高い津波が高知県黒潮町の34.4m、静岡県の浜岡原発付近では21.1mの波が来襲すると予想されている。また、津波の到達時間は、近いところで地震発生から2分程度で初波が来るというから、避難どころの騒ぎではない。

・このニュースを聞いたとき、一体何の意図をもって、この被害想定が発表されたのか理解できなかった。2百~3百年に一度か、千年に一度か、1万年に一度か知らないが、そんな長周期で起こる当てのない巨大地震の最大規模の被害を見積もったところで何の意味があるのだろう。34mを超える津波を防御する対策を立てろというのだろうか。それとも、人知の及ばぬ範囲の災害だからあきらめて皆死ねというのだろうか。

・純粋に科学的知見として発表されたのなら理解できるし、その津波の高さが100mであっても物理的には有り得るものとして納得できるが、それが東海、東南海、南海の3連動地震が発生した場合なぞと想定され、いかにも発生が急迫しているかのごとき体裁で発表されると、何か胡散臭いものを感じるのだ。

・東日本大震災の被害を予想できなかった愚かな地震学者たちの言い訳がましい被害予想だろうか。従来の過少評価を過大評価に変えておけば、もうどんな大地震が来ようがこの範囲におさまるだろうと思っているのだろうか。

・それとも、ある種の政治的な意図によりこの被害想定が発表されたのだろうか。これまでも地震防災は常に政治的に利用されてきた。昭和50年代に「明日起こってもおかしくない」とされた東海地震説は、国民の関心を惹いて、大規模地震立法がなされ、廃れたはずの公共土木事業が復活し、政治家たちはニンマリと笑ったはずだ。今回の発表も、また、政治家たちの利権のネタになるのだろうか。

・もっと勘ぐれば、政治家たちは、日本全国を地震パニックに落とし込むことで、自分たちの無為無策がもたらす政治的な停滞を覆い隠そうとするのか。この発表で、東日本大震災の復旧・復興対策の遅れや浜岡原発の再稼動問題が先送りされたことは事実である。

・国民は、こんなマヤカシに乗ってはならない。想定外の災害は起こるものである。想定外を想定内としたところで、具体的な対策が立てられないのなら、それは想定外と何ら変わりはない。国民に必要なのは想定外の災害が起こった場合にそれにくじけない勇気を持っていればよいということだ。

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