toty日記

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チベット語になった『坊っちゃん』

2006-04-28 23:34:17 | 
チベット語になった『坊っちゃん』を読み終えた。

このところ、ダンナの影響で、
「チベット」という言葉に反応して、
幾つか本を読み、映画を見たりした。

ダンナの山の仲間が行ったチベットの山の写真を
いっぱい見せてもらったし、
チベットの惨憺たる政治的状況、
1個人がどうこうできることではないながら、
気になっていた。

著者は、チベットに留学してチベット語を習ううち、
チベット人に、日本語を教えることになる。

チベットの言語は、中国語に席巻されつつあり、
現状は、日本語を学ぶにも中国語の教科書で学ぶのだそうだ。

その過程を著者は、
「てにおは」が共通している日本語とチベット語を
文法的に全くちがう中国語を介してしか学べない、

まるで、日本人が韓国語を習う時に、
フランス語の教科書で学ぶようで、
同時に二つの言語を習得せねばならず、
殆どの人は放り出してしまうだろうといっている。

知識階級は殆ど亡命して、
寺院は観光用として保存されているものの、
宗教の自由もない、
教育を担っていた僧侶もいなくなった、そんなチベット。

初めて日本語を習いだした人たちに課した
「漱石の「坊っちゃん」をチベット語に翻訳させる」
という無謀とも思える作業を、
精力的に、時に「坊っちゃん」のように仕掛ける著者。

日本語とチベット語に文法的に共通点が多いことから
日本語を理解できるようになれば、
知識を得るツールとして、有効になるとの
著者の見解は、面白い。

そして、著者の持論の通りに、
あっという間に、日本語を理解していく学生たち。

孤軍奮闘ながら、学生たちの意欲を引き出し、
知る喜びを与え、まわりの教師たちも巻き込む。

読んでいて、一緒に学習に加わっているような臨場感もあり、
「坊っちゃん」のひとことひとことの翻訳の難しさもあり、
日本とチベットの習慣や意識の違いから出る、葛藤もあり、
チベットにない概念を、説明して、納得させるまでの
著者の苦労もあり、
読んでいて、興味はつきない。

あっという間に読み終えたが、
密度の濃い内容だった。

仏教にも造詣が深く、日本語の衰退にも論が及び、
いろいろ考えさせられる。
言葉を扱う人や、教育に携わる人にも、
是非、お奨めしたいと思います。

まだまだ、感想があるのですが、それはまた。

この出版社が、「山と渓谷社」ということも、不思議だったが、
いっぱい売れて欲しい本です。
そして、坊っちゃんを、再読したくなりました。


坊っちゃん! クリック!

写真は、先日行った御殿場の平和公園にあった鯉のぼり。
坊っちゃんだから、男の子(少々こじつけながら)