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釣りキチ三平


 矢口高雄    講談社

 人間を山派と海派に二分すると小生は海派。落ち込んでいる時でも、磯の香を嗅ぎ、潮風に当たると元気が出る。幸い、小生の街神戸は、港街で海に接するには不自由しない街。魚も大好きで、水族館好き。以前は月に一度は須磨水族園に足を運んでいた。もちろん魚を食べるのも好きで、料理もする。たいていの魚は自分でさばける。観るのも好きで大震災以前は熱帯魚を飼育していた。
 大学は水産学科で、魚や海の勉強も少しはした。そんな小生だから、釣りをするのが自然と思われるが、小生は釣りはしない。
 釣りなどの生き物を遊び相手とする趣味を小生はしたくない。命有るものをもてあそぶ、かような趣味はいかがなものかと思う。もちろん、食料を生産する産業として、漁師の存在は必要で、小生も漁労実習で漁師さんに混じって漁船に乗って漁をしたこともある。だから「魚を獲る」とはどういうことか多少は理解しているつもりだ。
 人間も生き物だから、他の生き物を食べなければならない。魚も食べる必要がある。食べるための魚は漁師が獲る。ではそれ以外に魚を獲っている人たち「遊漁」をやっている人たちは,文字通りお遊びで魚を獲っている。人それぞれで、人の趣味を否定するつもりはないが、小生は「遊漁」は嫌だ。魚の命を取らなければいいだろうと、キャッチ・アンド・リリースなどといって、「遊んでくれてありがとう」といって、釣った魚を放す事があるが、魚はなにも人間の遊び相手などしたくないはず。
 と、いう小生が読んでも、この漫画は面白い。天才少年釣り師三平が様々な釣りを行うという極めてシンプルなストーリー。××の主だとか、幻の巨魚とか、○○の怪物とか、だれにも釣れなかった魚に三平が挑戦する。とても不可能と思われる釣りに三平がいかに工夫を凝らして、見事釣り上げるかで興味を引く。また、日本の伝統的な鮎の友釣りやヘラ鮒釣り、毛ばり釣りから、西洋のルアーやフライフィッシングなど、あらゆる釣りを三平が行うことで、釣りの手引書にもなっている。
 作者の矢口高雄自身が釣り師なので、魚や自然の描写が非常にリアル。釣り上げられた瞬間の魚の図は大変な迫力で見応えがある。
 名作漫画であることは認めるが、釣りという趣味は好きになれない。とはいうものの、この漫画を読んで釣りがしたくなる人もいるだろう。そういう人はどうか釣りを楽しんでいただきたい。小生はしないが。
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コメント
 
 
 
釣りてすか… (アブダビ)
2015-11-25 01:31:09
開講健の「オーパー」は好きでしたが、
釣りは私もやりませんでした。
最も狩猟という、もっと罪深い趣味にのめり込みましたけど。
どちらかと言うと、このマンガ家さんのツチノコを本気で追う人達を描いた「バチヘビ」の方が印象に強く残ってます。
三平の直撃を少年期に受けた世代なんですけどね。
これが狩猟だったら少年マンガにならなかったと思いますが(笑)
釣りは私見なんですが、趣味として生物の命を奪うのに、殺伐感が足らぬ気がするんですよ。
ライフルを持てば、明らかに致命傷を与える部位を狙うし、その後の解体も遥かにスプラッターです。
英語でブラッドスポーツというとボクシングかハンティングを意味します。
どっちも相手の肉体を破壊する事を目的としますから。
その辺の「命を奪う」という罪悪感と裏返したものを感じられないのですね。
そのせいかアウトドア・マンガの大家なのは知りつつ、今後も読まないと思います。
まあ、殺生そのものを否定されてこられた管理人さんから観れば、屁理屈かもしれませんが。
 
 
 
追記 (アブダビ)
2015-11-25 01:41:40
キャッチ・アンド・リリースは嘘八百の妄言ですよ。
魚は全身の鱗の上に、ぬらぬらとしたゲル状の「ぬめり」をもちます。
これは実は彼らの防護服でして、人が触ると「ぬめり」が剥がされ、剥がれた後は、
人間が火傷を負うような結果となります。
全力でジャンプして逃れようとした魚は、
消耗し切っており、リリースしても「火傷」による感染症に罹患して、大抵は死にます。開講氏ですら、この事に無頓着でした。やっぱりね、命を扱う以上、あえて批難を受けながら、きちんとトドメを差して奪わないと!
闘牛がラテン系の人達の間で残ってきたのは、あれは神に牲犠を捧げる…という宗教的意味も持つからです。
矛盾しますが、命を取らないのは偽善ですよ。
 
 
 
明らかに脱線ですが (アブダビ)
2015-11-25 02:13:49
このコメントの核心部分を表現している
スポーツ(?)とチョショガあるので、一つ紹介をいたします。
集英社新書ノンフィクション
「実録ドイツで決闘した日本人」

ドイツではメンズーアと呼ばれる真剣で斬りあいする決闘が、大学生の間で今も行われています。
兄貴が留学で見てきたので知ってましたが、この本は唯一の実録記でしょう。
もちろん合法であり、殺生を目的としません。細身の真剣ですが、致命傷を与える突きは禁止で、全身にプロテクターをつけ、目と鼻をカバーする鉄製のゴーグル、頸動脈を守る鉄のカラーを着装。
相手の剣を避ける事は禁じられ、直立して一歩も動かないまま、防御は利き手に握った剣のみで行う。
むき出しとなった顔と頭を斬りつけあう。
死人は出ないが、やはり刃引きしてない真剣なので流血は避けられない。
そして「競技」ではない。
勝ち負けがないのです。
あくまで恐れずに最後まで冷静に対処したかが評価されるので、勝敗はない。
通過儀礼であり、度胸試しであり、教育なのです。

何の為に剣を武器を持つのか?
この点で、血みどろながら、最も殺生とは
遠い世界であると思いました。
私も若い頃に留学してやりたかったな!
これを経験していたら、自衛隊にも入らなかったし、狩猟もやらないで済んだと思うのです。
管理人さんも稲見一良さんがお好きと聞きました。
「ソー・ザップ」で、「同じ武器を持って対等に戦う男たち」を描いていましたね。
過激ではあるが、あれって狩猟を愛した稲見さんなりの「最も公平な狩猟感」だと思うのです。
だとしたら!メンズーアは最も彼の求めたものに近いふうしゅうだと思います。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2015-11-25 09:35:09
私は殺生が嫌いなクセに、大藪、西村、稲見、と狩猟する作家が好きなんですね。自分でも不思議です。
 
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