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とつぜんコラム №146 東京オリンピックは東京のお金だけでやってちょうだい

 聞くところによれば、なんでも7年後に東京でオリンピックが開催されるらしい。開催地立候補ではなく、決定したとのこと。オリンピックではいつものこであるが、7年後には、だれそれが金を取った、あのコは銀だ、う~ん銅だったか、と、特にかまびすしいことだろう。
 で、2020年は東京オリンピックであって、日本オリンピックではないだろう。だったら東京都の予算だけでやってもらいたい。アズマエビスの武蔵野の田舎でやる、運動会のでかいのごときに、国の税金を使ってもらいたくない。こんど、消費税を上げるんだろう。なのになぜ、かようなムダづかいをするのだ。オリンピックのおこぼれにあずかれるのは、江戸周辺と、甘い汁を吸えるのは一部ゼネコンぐらいだろう。ただ、小生はかような運動会には興味はないが、今から楽しみにしている諸賢もおられるだろう。かようなご仁方の楽しみを無くせとはいわぬが、運動会のお楽しみは、どうか東京都の財布だけでまかなってもらいたいものだ。
 オリンピックといっても、前回1964年の東京オリンピックと、現代のオリンピックでは似て非なるものといえよう。64年東京オリンピックのころはIOC会長がミスター・アマチュアといわれたアベリー・ブランデージで、プロはその匂いがしただけで排除された。純粋にスポーツの祭典だった。だれが強いか、だれが速いか、だれが美しいか、それだけを競う競技会であった。ところが現代のオリンピックは違う。プロ選手もなにの疑問もなく参加し、アマチュアの技ではなくプロの技を競っている。
 オリンピックはスポーツの祭典ではなく、たんなるエンタティメントのショーと化している。競技を催すのではなく、ショーを見せているのだ。「見せる」そのことに特化し、そのことを最優先する。見て面白いか?観客は楽しんでいるか。この競技の決勝戦はどれだけの人が「見て」いるか。かようなことが何よりも気になる。そのため、競技のルールを変え、試合時刻を変え、そのスポーツをスポーツとはいえないショーとしてしまった。近年のオリンピックはすべてのスポーツをプロレスと化したのではないだろうか。IOCはたんなるショービジネスの勧進元となった。
 なにごともそうだが、オリンピックは「曲がり角」といわれてきた。最初の大きな曲がり角はテロ事件で犠牲者がでたミュンヘンオリンピックだろう。その次の曲がり角は大赤字を出したモントリオール・オリンピック。そして現代のオリンピックに至る曲がり角は、大幅に商業主義を導入して、大黒字を出したロサンゼルス・オリンピックだろう。あれ以来、オリンピックはもうかるコンテンツとして大人気。モントリオール直後はオリンピックは巨大なお荷物と不人気で、ロスアンゼルス以外引き受け手がなかったのが、いまや取り合いで、複数の都市が熾烈な誘致合戦を繰り広げている。
 ロスアンゼルス・オリンピックは開催と運営に税金は一銭も使わなかった。この範に見習い、来る東京オリンピックにも税金は使ってもらいたくない。使うなら、東京オリンピックのいいだしっぺの石原慎太郎の後継者で、自分自身も熱心に誘致活動を展開した猪瀬直樹を知事にした東京都民のお金だけ使ってやってほしい。
 それよりも、オリンピックはもうかるショービジネスなんだから東京五輪株式会社でも設立して、株式を上場して資金を集めたらどうか。ともかく、関西在住で日本のメダルより阪神の一勝を願う小生としては「東京」オリンピックなんぞに、小生の納めた税金は使ってもらいたくない。  
 
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