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GT-Rの女

夜明けまでまだ時間がある。撮影には充分間に合うだろう。後ろから車がきた。コーヒーを飲んだドライブインを出て、初めて見る車だ。1時間ぶりに車を見た。追い抜いていった。暗闇の中、ヘッドライドの光輪の中に浮き出たのは、四つの丸いテールライト。独特のうしろすがただ。旧型のスカイラインGT-R。サーフィンラインの横腹が一瞬見えた。
 かなりの腕のドライバーと見受ける。下手なドライバーに追い抜かれると、ムカッと来て抜き返してやろうと思うことがある。上手なドライバーに抜かれると腹は立たない。居合の達人に斬られたようなものだ。下手に斬られると痛いが、達人に斬られると斬られたことにも気がつかない。練達のドライバーだと、なんのストレスもなくスッと追い抜く。
 興味を持った。どんな人が運転しているのだろう。追いかけるが、追いつかない。私も運転には自信はある。ところが私のパジェロで、GT-Rを追跡するのは、どだい無理な話だ。
 前方の路肩にGT-Rが停まっている。ドアが開いてドライバーが出てきた。女性だった。それも若い。20代か。手を振っている。なにかトラブルか。
 まさか女とは思わなかった。あの運転はどう考えても男だ。それにあれだけの運転ができるほどのドライバーなら、たいていのトラブルは自分で対処できるはずだ。
 GT-Rの後ろにパジェロを停めた。
「どうした」
「ガス欠よ」
「JAFを呼べば」
「携帯を水に落としちゃった」
 私の携帯でJAFを呼んだ。1時間ほど待てとのこと。
「1時間で来る。それじゃな」
「待って」
「なんだ」
「女を真夜中の山の中に一人で置いてく気」
「私は用がある」
「車のCDは聞き飽きたわ。1時間もあたし退屈」
「私の知ったことではない」
 

  素晴らしい日の出の写真が撮れた。撮影機材を片付けようとしてたら、車のエンジン音がした。この峠は、知る人ぞ知る日の出の撮影スポットだ。マニアが時々やって来るが、知る人は少なく車はめったに来ない。
 私はマニアではない。プロだ。大手の広告代理店に日の出の写真をポスターに使いたいから、と撮影依頼を受けた。何ヶ所もロケハンして、やっとこの場所を見つけて、クライアントのOKをもらって、いま、撮影が終わったところだ。
 私のパジェロの横にその車は停まった。スカイラインGT-Rだ。まさか。間違いない。ナンバープレートの末尾の数字を覚えている。横浜ナンバーで78だ。あの女のGT-Rだ。ドアが開いて彼女が出てきた。
「そこどいてくれない」
「どういうわけだ。なぜキミが」
「いいからどいて」
「どいてどうする」
「死ぬのよ。あんなバカと結婚するぐらいなら死んだ方がマシよ」
「死ぬ!」
「あたし、死に場所探してたの。この場所にメッコ入れてたの」
「メッコ入れてたのは私も同じだ」
「あなたは仕事すんだのでしょう。どいてよ」
「困る」
「なぜ」
「死ぬなら止めはせん。ただ、ここは困る。ここの写真はポスターに使うのだ。自殺者が出た場所の写真は広告のポスターには使えない」
「あたしの知ったことではないわ」
「こうしよう。別の場所にキミを連れて行く。そこで死んでくれ」
「判ったわ」
「私の車について来てくれ」
 パジェロに乗ってキーをひねった。首をひねりながら降りてボンネットを開けた。彼女に見られないように、ディストリビューターのローターを抜いた。
「おかしい。エンジンがかからん」
「あたしがやってみるわ。キーかして」
 彼女がやってもエンジンは起動しない。当然だ。
「困った」
「どうしたの」
「今日中に撮影したフィルムをクライアントに届けないと」
「JAF呼んだら」
 携帯を取り出した。
「だめだ。圏外だ。キミの携帯を貸してくれ」
「忘れたの。あたしの携帯はおしゃかよ」
「困った」
「しかたないわ。死ぬのは今度にする。あたしの車で送ってあげる」
 私の思ったとおりだった。彼女の運転は抜群だった。

「着いたわ」
 博電社の地下駐車場に、約束の時間の15分前にGT-Rは滑り込んだ。
「あたし社会学部、マスコミ志望なの。大手の広告代理店を見学したかったの」
 彼女は私についてエレベーターにいっしょに乗った。7階で降りた。第3クリエイティブ局。エレベーターを降りたら局長が待っていた。
「なんとか間に合ったな。西菱エレクトロンは宣伝部長だけでなく、社長も同席するぞ」
 第6応接室。私が入ろうとすると彼女もついてくる。
「仕事だ。お嬢ちゃんは遠慮してくれ」
「いいからいいから」
「いいんだ彼女にも用がある」
「どういうことですか。局長」
 部屋の入ると、旧知の西菱エレクトロンの宣伝部長と、温厚な感じの初老の男がいた。
「パパ、この人よ」
 彼女が初老の男にいった。

 半年ほど前、私は関西の私大の学園祭で、広告研究会の招きでコマーシャルフォトに関する講演を行った。どうもその中に彼女はいたらしい。
「ひとめぼれ」されてしまったのだ。私が彼女に。
 彼女は西菱エレクトロン社長の父親を使って、この件をたくらんだというわけ。私があの峠に行くことも、あの山中を何時ごろ通過することも、私の車も、そして私の携帯電話の会社まで知っていた。
 
 と、いうのが女房とのなれそめだ。尻に敷かれているかって。どんな女かみなさんもご存知だろう。私を尻に敷いているし、なんでも自分の思い通りにしなくては気に食わないし、気は強いし、金使いもあらい。困ったものだ。
 あの峠の日の出の写真?西菱エレクトロンの新型PCのキャンペーンのポスターに使われ、テレビコマーシャルもあの地で撮影された。あそこは一大人気スポットとなって大勢の人が押し寄せているとか。
  
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