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ハシゴ

 そのお爺さんは今日もそこにいる。出勤時、毎朝、その商店街を通る。朝の8時ごろだ。店を閉じたケーキ屋のシャッターの前に椅子を置き、それに座って居眠りしている。歳は80を超えているだろう。
 なぜ朝からお爺さんが、そんな所に座って居眠りしているのか判らない。店番しているように見えるが、肝心の店はシャッターを降ろしている。いや、お爺さんはケーキ屋の関係者ではないかも知れない。それに朝8時という時間も不思議だ。以前、1時間早出したことがあったが、そんな時間でもお爺さんはそこに座っていた。いや、朝だけではない。残業して夜10時ごろに通っても、やはりお爺さんはそこにいた。
 お爺さんはいつ家に帰るのだろう。そもそも何をしているのだろう。ひょっとする、お爺さんは24時間ずうっと、そこに腰かけているのだろか。80の老人で、いや、人間にそんなことは可能だろうか。物を食べている所を見たこともない。お爺さんは人間だろうか。それに、もう1つ不思議なことがある。お爺さんの横にハシゴが立てかけてある。かなり高いハシゴで、2階建てのケーキ屋の屋根より少し高い。
 改札を出た所で、その人は目礼をした。だれだっただろう。同じ町内の人だ。確か、子供同士が同じクラスで、授業参観であった事がある。親しくはないが、あえば目礼を交わす。同じ方向に勤めているらしい。時々、駅であう。その人が話しかけてきた。
「あの、すみません。東さんですね」
「はい」
「つかぬことをお聞きしますが、あのお爺さんをどう思われます」
 視線で、座っているお爺さんの方をさした。
「ああ、あのお爺さんですね。いつもあそこに座っていますね」
「そうなんです。お爺さんはなぜあそこに座っているのか。なにをしているのか。気になって気になって。だれでも気になるのか、一度だれかに聞こうと思っていたのです」
 お爺さんが気になっていたのは私だけではなかった。
「山口さん、でしたね。実は私も気になってます。それに、あのハシゴ。なんのためにあるんでしょう」
「どうです。思い切ってお爺さんに話しかけましょうか」
「う~ん。警官でもないのに、いきなり話しかけるのもまずいでしょう」
「東さん、お時間はありますか。ちょっとそこで一杯どうです」
 山口さんの方が、私より強く気にしているようだ。道路の向こう側の居酒屋を指差した。
 午前3時。さすがに周囲は真っ暗。門の前で待つ。来た。
「おはようございます」
「おはようございます。酔狂ですね。お互いに」
「ほんと」
  昨晩、飲みながら二人で決めた。絶対に居るはずのない時間に、お爺さんを見に行こうと。今日は日曜だ。帰って寝直せばいい。
 お爺さんはいなかった。ハシゴは立てかけてあった。
「まあ、あたりまえですね。こんな時間ですから」
「そうですね。お爺さん、家で寝ているのでしょう」 
 次の朝、お爺さんがいないことに気がついた。朝にいないのは初めて。昨日の朝はいた。それはそれで気になる。病気か。歳が歳だけに亡くなったか。空の椅子がさみしそう。その横にハシゴがむなしく立っている。
「お爺さん、いませんね」山口さんが声をかけてきた。
「戻ってくるでしょうかね」
「さあ、ところで、このハシゴはなんでしょうねえ」
 次の日もお爺さんは居なかった。その次の日もいなかった。ハシゴと椅子だけが、ポツンとそこにある。
 その次の日は、お婆さんが椅子に座っていた。その日の日付を手帳にメモした。49日後にお婆さんはいなくなった。
 山口さんが亡くなった。急死だ。心筋梗塞とのこと。お葬式に参列した。
 お葬式の翌日、ハシゴの横に山口さんが座っていた。
  
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