コメント
 
 
 
最近、涅槃の… (深田亨)
2010-08-30 19:17:49
松橋えり子さんとは、お会いしたかったですね。
あの作品を、いったいどんなかたが書いているのか、興味津津でした。
 
 
 
深田亨さん (雫石鉄也)
2010-08-30 21:08:59
え、深田さんも松橋さんにお会いになってないのですか。
私も、あの作品を書いている人は、どんな人なのか、ぜひ、お会いしたいと思っておりました。
 
 
 
第2回定例会 (小川圭太)
2011-06-03 16:48:49
M27さん(皆さんに倣います)発行の創作研究会連絡誌第2号(1972年11月発行)に第2回定例会のレポートが載っています。
ちなみに、11月3日は文化の日で当日の4日は土曜日で半ドンなのですが、どうも4日・5日と校外模擬試験(5教科)があったようで、模擬試験を受けない者は3連休でした。私立しか受験しない私は、その代わりに東京に受験校のロケーションに行くことにし、そのついでに大阪を目指すことにしました。関西には地縁血縁全くないので、土地鑑があるはずも無く、1人では心細いのでマンガとSFが好きな友人を誘いました。3日の夜、東京駅で寝台特急に乗り大阪に向かい、4日の夜には大阪から松本まで直行の登山客が主要乗客の夜行列車で帰ろうと考えた訳です。
 4日当日の出席者は以下の通りです。敬称略します。
眉村卓・亜梨子・雫石鉄也・仁島久・原戸丈二・聖亜仁伊
松村彰・M27・諸星新二・S・A・柊たんぽぽ・小林道也
永井宏子・橋本常彦・橋本さんの同伴女性・小川圭太・私の友人・そしてM27さんをもってしても?の方。これだと総勢18名なのですが、レポートには総勢17名と記されています。眉村さんを除いて17名ということなのかな。
 眉村さんが今後の活動のことを配慮してくださったスナックへ一同タクシーに分乗して向かったので、(松村さんが予約してくださったユースホステルの一室はキャンセルしたそうです)マズラという喫茶店に寄った記憶はありません。?の方が松橋さんということはまず無いはずです。
 第3回定例会は、1972年12月2日土曜日、梅田旭屋書店5階洋書部SF棚前に1時半~2時までに集合となっています。
 私も松橋さんとはお会いしてはおりません。でも、40年経っても謎めいている女性なんて素敵ですよね。
 5時過ぎに眉村さんご紹介のお店を出て、眉村さんとお別れし、梅田の喫茶店で二次会となったようです。ここまでが公式の定例会だそうです。
 夕食を共にしようと残った8名ほどが(夜行列車で帰るので時間は十分にありましたから、私と友人もその8名のなかにおりました)阪急三番街の喫茶店で食事を兼ねて三次会もどきとなったと記されています。
 この食事のときM27さんが、たしか餃子(から揚げではなかったと思うのですが)を追加注文しました。作風とお手紙の文字から想起するイメージは、講談社版SS集の巻末の作者紹介のようなスペースでの、眉村さんの受けられた印象を読んでいたので、お会いしてお話したときも、その乖離を受け止めることができましたが、当時の私は食が細かったこともあり、定職か丼ものか忘れましたが、とにかくも主食プラス餃子を軽々と消化してしまう堅固な胃腸が、どのような過程を経るとあのような耽美的な作品に結びつくのかと、M27さんの奥深さにくらくらした眩暈のようなものを覚えました。
 3次会も終わり、京都に帰られるM27さんとお別れして友人と二人、長かった二日間にピリオドを打ちました。
 以後は、幽霊会員のようになり、いろいろとご迷惑ばかりかけてしまって、心苦しいばかりです。
 
 
 
小川圭太さん (雫石鉄也)
2011-06-03 22:37:21
M27とは、何度か飲食をともにする機会がありましたが、彼がそんな大食という印象は、私には残っていないのです。
M27は、食べるというより、だれか犠牲者をつかまえて、じっくり話し込むとういうことが記憶に残っています。
小川さんは、確か長野県でしたね。遠いところを大変でしたね。
松橋さんは本当にお会いできなくて残念でした。もしこのブログをご覧になっているのなら、コメントをいただきたいですね。
 
コメントを投稿する
 
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。