コメント
 
 
 
ぎょ! (アブダビ)
2016-03-15 00:14:14
写真の紳士は七人の侍の首領ですか?
あれのイメージが強すぎるから、ぎょ!としました。
水戸黄門のじい様も、若い頃から老け役ばかりでしたが、この人も似たケースでしゃか?
水戸黄門のじい様の用心棒の親父を観ていて思ったのでさが、この種の人たちが悪役をやると似合う気がいたします。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2016-03-15 10:10:25
この写真の紳士は笠智衆です。「七人の侍」のリーダーは志村喬です。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/7b41cbe4d687ec17bfa7c9cb43b7f0d6
手前の美女は岩下志麻の若いころです。
水戸黄門のじいさん東野英治郎も老け役で出てました。
笠智衆は晩年「男はつらいよ」で御前さまをやってた人ですが、私が知ってる限り悪役はやったことがありません。
 
 
 
七人の侍 ()
2016-03-15 22:08:55
言われてみれば、確かに「七人の侍」の志村喬に似ていますね。髷を結えばほとんど見分けは付かないかも(笑)。

髪の量は若さの指針でしょうが、三船敏郎の髷は、さっくばらんで、野武士っぽくてカッコ良かったですが、日本人顔といえば、志村喬や宮口さんでしょう。外国と戦う事といっても、侍の時代に侵略を受けて、本土を戦場としたことは無いので、髷は侍にとって、軍人も文官も共通したアイデンティティだったと思います。

衣服や道具は庶民と同じですから、髷が地位の違いを表すものだったのでしょう。三船演じる菊千代は、庶民として生きていた方が、楽でしたでしょうが、退路を断つ、あれこそ、侍の意地だと思いましたよ。農と共にあったのが、かつての侍の姿かと。当時の黄金期の俳優は、老け役とか、役柄に応じて、巧みに人物像を演じきっていましたね。老け役は、弱さではなく、良識の要としての、重鎮だからこそ、でしょう。これは、戦後の小津映画でもそうだと思います。
 
 
 
でしょ? 隆さん (アブダビ)
2016-03-16 01:27:02
リーダーは強盗から子供を救うために、僧侶に化けてからスキンヘッドになりますが、その前は似てるような…
でも穏やかなイメージがそうさせるのかも知れませんね。

ところで隆さん、スキンヘッド…というと日本の髷に剃りですが…
あれて女真族(満州族)の弁髪に似てません?
故人の陳舜臣氏が、あれは日本人と女真族のルーツが同じだからと書いてました。
私は東北のルーツに、ツーングース系の血が入ってると思うので(火の鳥の義経編で書いた毒矢の使用の件を参照)、逆らう気持ちはないのですが、でも朝廷が支配してから武士が出てくるまで数百年の隔たりがありますからねえ…

日本の武士が頭を剃ったのは、兜を被るときにムレないように…だそうです。
でも、普通は断髪止まりですよね?

自衛隊の時、短髪でしたが、あれもヘルメット被るとムレるし、兵士はヘルメットの装着具合が命に関わるからです。
長髪の軍人ていませんよね?
長髪が普通だったルネサンスのイタリアでも、傭兵隊長は短髪です。
でも剃らないよな?
なんで女真族と武士だけ頭を剃るのか不思議ですね?
高温多湿の気候のせいだとは思うけれど、
ならば満州から北朝鮮の寒冷で乾いた気候の女真族が何故に?
不思議ですね?
 
 
 
隆さん (雫石鉄也)
2016-03-16 09:19:28
志村喬と笠智衆はちっとも似てないと私は思います。
 
 
 
アブダビさん ()
2016-03-18 22:17:32
>故人の陳舜臣氏が、あれは日本人と女真族のルーツが同じだからと書いてました。

如何に先人であれ、どんな意見も聞くべきかとは思いませんが、日本人の先祖が、大陸から来て、北米と日本に分かれた、という話は聞いた事があります。これも、火の鳥ですが、騎馬民族が日本を平定した、というのも、あり得る話だと思います。日本に渡来した中では、金属の供給源を抑えた人々が、有利に立ったのではないですか。

>朝廷が支配してから武士が出てくるまで数百年の隔たりがありますからねえ…

日本の武士には、眠りの時期が長かったと思います。日本の首都は、平安京で、右京を長安、左京を洛陽に倣ったといいますが、城壁都市では無かった事は、日本が外敵のない平和な国だったからでしょう。そして、古来の日本とは、母権を中心とした共同体国家で、父権の象徴として、中国の官僚制を倣った律令体制があり、それに比して、日本の武士の共同体というのは、変化に富み、情勢に柔軟に対応して来たと思います。女傑の北条政子などは、第一夫人だから権威があった、という事もあるでしょうが、有事に臨んで、臨戦態勢にある集団というのは、変化に対応して、能力主義を取る、という事が出来るのではないかと思いますよ。

>日本の武士が頭を剃ったのは、兜を被るときにムレないように…だそうです。
>でも、普通は断髪止まりですよね?

江戸期の武士も、髷を結ったのは、奇妙だという事になりますね。坊主の真似事はしたくないですが、女真族との繋がりを基礎にして、武士の文化を考える事が出来れば、懸念はなくなると思います。ある映画では、武士が坊主頭をしていましたが、あれは、武士と仏教との絆が、地縁を重んじる旧来の武士の思想にあったからだと思います。大きな物語で、旧新交代は起きていたのでしょう。豊臣や徳川の統一政権で、却って、地縁を重視する体制が出来たのは、武士の生活基盤が、現実の生産サイクルの中に取り込まれていたからでしょう。統一するという事は、それまでの地縁を排除して、新たな統治システムに取り込むという事で、それは、反動が強かった事と思います。だから、織田の武将も、甲斐の国人にぬっ殺される事態も起きたわけで、正統性を得る事は、中枢を抑えれば済んで居た事が、不思議だったとは思います。
 
 
 
管理人さん ()
2016-03-18 22:21:41
この作品を観た感想では、いぶし銀とも言われた志村喬の方が、芸域が広いように思いました。それでも、孤独な父親役として、アクを抑えて演じる、という事は、本作の要とは思いました。
 
 
 
隆さん (雫石鉄也)
2016-03-19 08:56:48
志村喬と笠智衆。これはどっちが芸域が広いとか、どっちがうまいとかの問題ではないとおもいますよ。
監督との組み合わせの問題ではないでしょうか。
志村喬+黒澤明
笠智衆+小津安二郎
志村が小津と組んでもいけると思いますよ。
ただ、笠は私が知ってる範囲では、時代劇も悪役もやったことがありません。
そんな笠が黒澤と組めば、面白いかもしれません。
 
 
 
なぜ東野英治郎は中華料理屋をするのでしょうか (さすらい日乗)
2016-06-17 11:22:07
最初に見たときから、なぜ東野英治郎が中華料理屋を定年後にするのか不思議でした。なぜなら当時すでに年金があったからです。

それは、戦前の『東京の合唱』を見て、わかりました。『秋刀魚の味』の東野英治郎の件は、この映画のリメークだったのです。そこでは会社を首になった岡田時彦は、カレー屋を開きます。年金も退職金もなかった戦前ではそうするしかなかったのです。

でも、戦後は新憲法によって年金や退職金があったので、東野英治郎が中華料理屋をする必要はないはずなのです。
要は、小津たちは時代の変化に無知だったというか、ずれていたわけです。
 
 
 
あすらい日乗さん (雫石鉄也)
2016-06-17 11:35:20
ずいぶん前に観た映画なので忘れております。
東野英治郎が中華料理屋、あまり気にしないで観てました。
 
 
 
笠智衆は (さすらい日乗)
2016-06-25 22:48:01
笠智衆は、戦前には悪役をやったこともあります。
時代劇も、松竹京都の1955年の大曾根監督の『獄門帳』というのに出ています。
 
 
 
さすらい日乗さん (雫石鉄也)
2016-06-26 08:29:42
笠智衆が悪役を。それは知りませんでした。
 
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