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Unknown (あきら)
2008-01-29 04:39:27
 僕も基本的には傾倒していませんが、時として気にすることはあります。細木なんたらや江原なんたらはど~でもいいんですけどね(笑)。
 以前、タイのバンコクでタイ人に占いをして貰いました。それまでの人生をドンピシャで当てられて、かなり衝撃でしたね。全く鵜呑みにしたわけではありませんが。人生は自分で切り開くものですからね。
 
 
 
あきらさん (雫石鉄也)
2008-01-29 05:10:16
 私は占いは科学的ではないから嫌いなんです。ほんとうに科学的な根拠があるのなら、いつ、だれが、だれを、どのように、占っても、同じ結果がでるはずです。
 
 
 
Unknown (悠々遊)
2008-01-29 20:41:32
 例えば干支を日本人に当てはめれば、それぞれに1000万人強の対象者が居るわけで、それが同じ思考傾向を持ち、同じような行動パターンを取るなど、どう考えても有り得ない。という訳で科学的根拠はほぼ無でしょうね。雫石さんが言うように因果関係が逆で、性格が作られるというのは多分当たっているでしょう。
 でも、私は占いの類は嫌いではないんです。何がしかのお金を払ってまで見てもらうような気にはなりませんが、新聞や雑誌の占いコーナーは結構見るほうです。
 常に自己を律する、ぶれない強い意志の持ち主ではないので、順調な時が続けば慢心するし、悪いことが続けば落ち込んでしまう、そんなときに自分を見つめなおすきっかけと言うか、助言のようなものと捉えています。
 占いを信じる信じないではなく、順調なときには慎重に、落ち込んだときには励ましに、というふうに、現在の自分にとって必要なアドバイスを自分で取捨選択しているわけですね。ま、人生におけるスパイスのひとつとでも言いますか・・・。
 
 
 
悠々遊さん (雫石鉄也)
2008-01-30 04:56:34
 私は占いは興味もないから新聞雑誌のコーナーは見ません。それに見知らぬ他人の占いなんかより、私に直接モノをいってくれる人のいうことの方が励みになります。
 
 
 
確かにね (悠々遊)
2008-01-30 19:27:22
 でも、本気でモノを言ってくれる相手を身近に持っているということは、最近では本当に恵まれているということでもありますよ。
 相手の立場や気持ちを知っているだけに、勝手に慮って当たり障り無く接する人のほうが大半です。都会の中の孤独というのは、そういう人間関係の表面だけの馴れ合いが原因のひとつでもあるでしょう。
 見知らぬ他人の、ある意味無責任で見当違いのアドバイスも、考えようによっては(こちらが自分の現状を)客観的に捉えられるきっかけになると私は思いますが。
 
 
 
悠々遊さん (雫石鉄也)
2008-01-30 21:26:25
 私には家族がおります。ある意味恵まれているかもしれません。
 
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