日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

高槻 まちかど遺産(^^♪「富田口」

2014年03月27日 16時25分41秒 | 三島地区の文化財

午前は曇っていたので、少しヒンヤリした感じだったのですが、日が照って来ると、暖かな春本番の大阪。

朝から高槻の医大病院へ。
忘れていた、循環器内科の定期検診と右手が腫れているので、整形外科の検診。
循環器は、予約検診なので、それほど待つことなく終わったのですが、整形は、予約なしだったので、3時間待ち。
手のレントゲン撮って、結果骨には異常なし、湿布しておいたら大丈夫でしょうとのこと。

でも、待つだけ待って、この結果は拍子抜け!
支払いまで終わったのは2時過ぎ、お腹が減って、動けなくなるので、病院の食堂でカツカレー食べて、チョッと腹ごなしにしろあと歴史館に寄って、帰ってきました。

今日の1枚の写真は、高槻市出丸町7にあるまちかど遺産 「富田口」です。

表示番号順に第26番芥川宿・旧城下町のまちかど遺産最終回は「富田口」です。

富田口は高槻城下に設けられた「六口(ろっくち)」のうち南西の出入口にあたり、木戸(門)が構えられました。
ここから西へ向かう「富田街道」は、富田や茨木など北摂を代表する町場を結んでおり、「高槻街道」とも称されました。
一方、東への道は、南大手門に通じており、途中の土橋町には、同じく六口の一つ「大坂口」との辻が現在も残っています。

ジッと座っていただけなのですが、すご~く疲れました。

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

明日3月28日(戊戌 つちのえいぬ 大安)はこんな日です。
●「シルクロードの日」
 1900(明治33)年、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見されました。
 今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖のほとりに楼蘭(クロライナ)というシルクロードのオアシスがありました。
 楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいました。

●「スリーマイル島記念日」
 1979(昭和54)年のこの日、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で放射性物質を大量に含んだ冷却水の流出事故が発生しました。
 世界初の原発事故でした。この原発史上最初の大事故を忘れず教訓としていこうと民間の反原発団体などが行動をおこす日としています。しかし不幸なことにその後、チェルノブイリ原発事故が起こり、人々の関心は4月26日の「リメンバー・チェルノブイリ・デー」に移りました。

●「三ツ矢サイダーの日」
 古くから親しまれている日本を代表する清涼飲料水の三ツ矢サイダーの製造販売元であるアサヒ飲料株式会社が三(3)ツ(2)矢(8)の語呂合わせから制定した日です。

●「三つ葉の日」
 「み(3)つ(2)ば(8)」の語呂合せから。

●「鑑三忌」
 明治、大正時代のキリスト教指導者で評論家の内村鑑三(うちむらかんぞう)の1930(昭和5)年の忌日です。
 1891(明治24)年に信仰上の立場から教育勅語に対する敬礼を拒否して第一高等中学校講師の職を追われて以来著述に専念しました。
 雑誌『聖書之研究』を創刊し、聖書に基づく無教会主義を唱えました。
 英文による『余は如何にして基督信徒となりし乎(How I become a Chris-tian)』は数か国語に翻訳されました。

●「宗因忌」
 江戸前期の連歌師・俳人の西山宗因の1682(天和2)年の忌日です。
 井原西鶴の師としても知られ、俳壇の中心的存在として活躍しました。

●毎月28日は、「不動明王の縁日」「ニワトリの日」です。

●「裏千家利休忌」
 茶道の礎を築いた茶道家、千利休の1591(天正19)年忌日。秀吉の命により70歳で切腹しました。
 千家ではその1ヶ月後を命日としていますが、その「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるため、表千家では3月27日、裏千家では3月28日に利休忌を行い、追善の茶会をします。
 その際には菜種の花を供えるのが通例です。これは死に臨む利休が最後に目にしたのが菜種であった、とか灯火のもとであった菜種油に感謝する付供養である、など諸説あります。
 お家元では、「茶カブキ」や「花寄せ」といわれる点前がおこなわれます。

●「阿蘇神社泥打祭」
 毎年3月28日に杷木地区の阿蘇神社で行われる県無形民俗文化財に指定されている全国的にも珍しい奇祭です。
 祭り当日、宮座に集まった氏子達に二升入りの大杯がまわされ、一回り飲み終えたところで「おみくじ」をひき、今年の代宮司(臨時的な宮司さんの事)が決められます。
 境内では、神紋が入ったハッピを着て、赤たすきがけに手拭を被り、腰にはシメ縄を捲いた小学5,6年の12名の男の子たちが、神田から運ばれてきた土を水でこねて泥土をつくり、代宮司が現れるのを待ち構えています。
 やがて、神殿で純白の神衣に着替えた代宮司は、神殿の「神の座」から境内に下りて来て、泥土の中央に座るやいなや、子供達は代宮司の頭から泥土を塗りつけます。
 「白い所が見えないように泥をぬれ」「まだ、ここが白いぞ」と大人たちがの興奮した声があちこちから聞えてきます。
 大杯で飲んだ酒の酔いがまわってきた代宮司は、全身に塗られた泥の重さもあってなかなか立ち上がれません。
 両脇からの若者の介添えで、やっと代宮司はフラフラと立ち上がり、牡獅子、雌獅子の先導で地区はずれの道祖神まで(約500m)ヨロヨロ、ヨロヨロと歩きはじめます。介添えがなければ、すぐにでも倒れそうです。
 この道中、4~5mおきに泥土が用意してあり、12名の子供達は、これらの泥土を取って代宮司めがけて投げつけます。
 泥のつぶては、参観者の方にも飛んできて、何もかにもが泥だらけ。まさに奇祭です。
 代宮司の体に泥がつけばつくほど、その年は大豊作との言い伝えがあるそうです。
 阿蘇神社は江戸初期(1692年)頃、穂坂地区の産土神として熊本県の阿蘇大明神を勧請した神社です。
 阿蘇神社  福岡県朝倉郡杷木町大字穂坂 0946-24-6758(朝倉市観光協会)


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