totoroの小道

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わらぐつの中の神様(2、追求過程)

2015-01-18 23:19:10 | 5年 国語

1月の浜松授業研究の会 1月14日 浜北文化センター 

今回は、準備しておいた「追求方式の授業の基本スタイル」にそって、わらぐつの中の神様の教材解釈を行いました。


2、追求過程
 1、予想外の行動変化(大変化)を探す。
 2、「変だ」「おかしい」と思う語句・文を抽出し、その意味を調べる。
 3、大問題を考える。
 4、大問題に対する答えの整理・分類による対立問題化
 5、対立問題と学級課題
 6、対立問題を論証して解決する
 7、 小問題の作り方


いよいよ、予想外の変化を探します。
現在の部分については、神様を調べることで主題が見えています。
過去の「おみつさん」「大工さん」の絡みからの大変化を探します。

まず
20段落 いつもは、余計な物などほしいと思ったことがないのに、雪下駄がなんとしてもあきらめないのはおかしい。が見つかりました。
たしかにこの段落には、良い学びに繋がりそうな言葉が、ごろごろしています。
「けれども」   →何と何を対比していて、どちらがどういう理由で大事なのか。
「間も」     →どのぐらいの時間。どのぐらいの頻度。
「頭をはなれない」→どういう意味か。言い換えてみたい。
「いつもは」   →対比について整理したい。
「など」     →何を例示しているのか?
「なのに」    →それなのに=そうであるとは、どうであるのか?
「どうしたことか」→どんな理由なのか?
「ばかりは」 →雪下駄が特別な理由は?
「なんとしても」 →100点満点の何点ぐらい?
こうした小問題を作っていけば、かなりおもしろそうな学習ができそうです。
ここで問題を作るとすると
問 おみつさんはどうして、それほどまでに雪下駄がほしいのでしょう。
 ①おみつさんが、雪下駄をとてもかわいいと思ったから。
 ②おみつさんが、お年頃だから。
ぐらいでしょうか?


次に、
28段落 そのはしっこにわらぐつを置きました。
おみつさんは、家族のために野菜、自分のためにわらぐつを売りに行きます。
自分でもわらぐつが不格好なことは自覚しているし、家族からもさんざんからかわれています。
それでも売れると思ったから、元気よく出かけたはずです。
それなのに、真ん中でなくはしっこに置くのはおかしなことです。
もちろん野菜は売れてほしいですが、それ以上に雪下駄のためにわらぐつを売りたいはずです。
ここで問題を作るとすると
問 どうして端っこに置いたのでしょう。
 ①おみつさんが、自分の思いより働くことに重きをおいたから。
 ②おみつさんが、わらぐつが不格好で恥ずかしかったから。
ぐらいになるのでしょうか?


次に
29段落 若い男の人が立ちました。
問 何のために、若い男の人は立ち止まったのでしょう。
お昼近くになり、ほとんど野菜はなかったので、立ち止まった理由は
 ①男の人は、おみつさんが気になった。
 ②男の人は、わらぐつが気になった。
のどちらかです。
おみつさんがあまりにがっかりしていたので、かわいそうに思ったのでしょうか?
それとも、ただの不細工なわらぐつのために、足を止めることはないから、わらぐつの良さを一瞬に見抜いたのでしょうか?


30段落 「ふうん。よし、もらっとこう。いくらだね。」
普通、値段が分からない物を買うことはしません。
客 「いくらだね。」 
店員「○円です。」
客 「よし、もらっとこう。」
となるはずです。
それに、「ふうん」はどういう意味でしょう?
「よし」は決断ですが、何をどうして決断したのでしょう。
もらっとこうの「こう」は、試す意味があります。
何を試すのでしょう?


31段落 さっさと行ってしまいました。
やはり、興味のあったのは、わらぐつで、おみつさんには興味が無かったのでしょうか?


36段落 とても丈夫だよ 丈夫なのにたくさん買うのはおかしい。
とても丈夫ということは、大工さんは、長いこと履いたいうことになる。
それでないと、とても=程度が並以上であることを表わす。
とは言わないだろう。
あんなにたくさんと、おみつさんがいうのだから、知人にわけるにしても分けきれないほどの数になる。
このあたりになると、もう、わらぐつを買うことが、おみつさんにあう口実だと分かる。


37段落 たのもしくて、えらいという表現がおかしい。
たのもしいと、えらいの関係はどうなっているのだろう。
もし、偉いの理由や説明として「たのもしい」があるのなら、なぜ読点がついているのだろう?
読点があるということは、たのもしいとえらいは並列の関係なのだろうか?
たのもしいというと、頼りになりそう=身近な感じがする。
えらい人というと、立派=ちょっと距離がある感じがする。


どの、大変化(変だおかしい)も、おもしろい疑問で、ついつい調べて話し込んで時間が過ぎてしまった。

 

 国語の教科書には、たくさんの単元がある。しかし、総合的な学習の時間や外国語活動の導入で、国語の時間数は減っている。だから、物語文は、こうした楽しい学習に入らずに終わっている。
 ちょっと、大変化(変だおかしい)が見つかり出すと、こんなにおもしろい。
それなのに、たった4時間とか5時間で読み取りをしなければならないので、
今日は1の場面の主人公の気持ちを考えます。
気持ちの分かるところに線を引いて。
線の所から分かる気持ちを書き込んで。
どんな書き込みができたかな。
みんなの意見をまとめます。
そんな流れで、まるで工場の流れ作業のようにどんどん流してしまう。
子どもが見つけた疑問から学べば、子どもたちは
「知ってる知ってる、ねえ、聞いて!」
「分かる。分かる。ぼく分かるよ。」
と思わず話したくなる。
それなのに、「今日は1の場面の主人公の気持ちを考えます。」なんて発問すると、一部の勘のいい子たちが、先生の見つけてほしい言葉から、言ってほしい気持ちを言い当てていく。
国語の苦手な子たちは、なんとなく分かったような気になって、そうした会話を聞き流している。

 

これらの、大変化から、今回は
「ふうん、よし、もらっとこう。いくらだね。」
を大問題に選んだ。
あれっと目についただけのわらぐつが、値段がいくらでもいいからほしいとおもったのには、理由があるはずだ。

次に大問題に対する答えを考えていく。
①大工さんは、わらぐつが気に入ったから。
②大工さんは、おみつさんが気になったから。
それ以外の選択肢が思いつかないので対立問題を論証の段階に入る。

まずは、大問題の言葉を調べておく。
「ふうん。」=①関心  ②疑心暗鬼  のどっちだろう。
ふうんは、「おまんがつくったのか」に対する答え「おらがつくった....」を受けている。
その中の、①おらがつくった  →「ふうん」なのか
     ②うまくできねかった→「ふうん」なのか、どっちだろう。
これは①だと思われます。
大工さんは作者を知りたかったから「おまんがつくったのか」と尋ねました。
その答えは、「おら」だったので、ふうんと答えたのです。

それに対して、「よし」は決断して、迷わない言葉です。
ふうんの数秒の間で、なにかしら考え、これは買うべきだと明快な答えがでたのです。

もらっとこうの「こう」=何かの前段階(用意)として、する。
こうと組になり安い言葉は、「とりあえず」です。
後の含みとしてともかく、買うべきだと思ったわけです。
買うことで、何か後々良いことがありそうだから、買うべきだとおもったと解釈できます。

この大問題を解くための文は
「おらが/作った/んです/ 始めて/作った/もんで/うまく/できなかった/けど―。」
です。
このどの言葉が答えの手がかりになるのか。
おらがでしょう。
それは、今度はおみつさんの顔をまじまじと見つめました。のまじまじがあるからです。まじまじ=じっと見る
どのぐらいの間、どのぐらいの距離で見たのでしょう?
わらぐつの出来をよく調べてからまじまじとみたので、
こんなに丁寧な編み方を、果たしてこの子ができるのか、それとも他の人なのか確かめる必要を感じたのです。

もし、わらぐつに興味があったのなら、わらぐつさえ調べれば、まじまじとおみつさんを見る必要はありません。
見つめる=特定の対象から目をそらさずに、それだけを見つづける。
のだから、よほど不思議だったのです。
こんな、若い娘が、こんな丁寧な編み方ができるわけはない。
本当にこの子が作ったのだろうか。
それなら、すごいことだ。
そんなまじまじとおみつさんをみて、それだけでは納得できないので
「おまんが作ったのか」と聞いたのです。
もしこれが、おみつさんのお父さんの作ったわらぐつなら、大工さんは買いません。
おまんが作ったかどうかが大事なのです。

すると、大問題の答えは②になるように思います。


ここまで、話し合ったとき、小名木先生が
「これって、恋愛小説じゃないですか!!」
と叫びます。
そうなんです。
恋愛小説なんです。
シビアに読み込んでいって、内容が見えてくる。
すると、本当の小説のおもしろさが見えてくる。
さらっと読んだだけではそのおもしろさが隠れているのです。

こうした、丁寧な読みをするから、国語が好きになるのです。
本が好きになり、読書をしたいと思うのです。


よく、読書をさせれば国語力がつくと誤解されてる人がいます。
もちろん、国語力のある子どもを調べれば、殆ど全員が本がすきでよく読んでいます。
でも、それは読書したから国語力がついたのではなく、
国語力があるから、読書の楽しみが分かるから、本をよく読むのです。

それを知らすに、
ともかく研修で朝読書を奨励しています。
半数の子どもたちは楽しそうに読書していますが
残りの半数の子どもたちは、字数の少ない本や漫画みたいな本をぺらぺらめくっているだけです。
読書を奨励するのなら、国語の授業で、読解力を育てるしかないのです。


ここまでの学びをまとめるとこうなります。
はじめ、あまりの不格好なわらぐつに目がとまった大工さんは、そのわらぐつが実は「人の身になって心を込め」て作られた価値のある物であることを見抜くと、それをつくったおみつさんに興味を持ち、いつしか恋に落ちます。その恋愛の顛末を聞いたマサエは、「人の身になって心を込めること」の大切さが分かる子へと変容していきます。

 


このあたりで、今回の授業研究の会の終わりの時間になりました。
今回は、実践の持ち寄りがなかったため、その分時間をとって教材解釈をじっくり行うことができました。

50回 2月14日  土  9:00  15:00  浜北文化センター  第1会議室
51回 4月11日  土  9:00  12:00  天竜壬生ホール  第1会議室

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