真実の未来を求めて!

宇宙や生命、そして歴史や精神世界の真実の情報を少しでも多くの方々に伝えていきます。

ブログを復活します。

2020-12-30 23:46:36 | 日記
しばらく休業しておりましたブログを復活します。

今まで、貯め込んでいた様々な分野の書籍が私の書棚に眠った状態で存在しています。
それらの本の中から、今後の未来にとって必要になってくる情報などを拾い集めて紹介していきたいと思っております。

2019年「天の岩と開き」

2019-01-13 21:04:31 | 日記
今年2019年1月6日は香椎宮と志賀海神社、そして9日には宗像大社に参拝して無事3社参りが終了しました。
何故か3.6.9(みろく)になってしまいました。

特に1月9日は、私一人で神湊から船に乗船して大島の宗像大社中津宮と御嶽神社(奥宮?)に参拝し、沖ノ島とも繋がったような気がします。その後神湊に戻り、宗像大社辺津宮および織幡神社にも参拝しました。
9日は一日中宗像大社に関係のある神社に参拝したのですが、天皇陛下が退位なされる年なので、神に動かされたのかもしれません。

ここのブログの方も2016年3月以来パソコンが動かなくなった事も有り、更新が途絶えていました。
偶然なのか必然なのかは知りませんが、前回は「天の岩戸開き」の話題で中断しています。

「天の岩戸開き」にかかった時間が約3年間を要したということなのかもしれません。
前回の続きに成るのですが、やはり今回も「精神学協会」というブログの記事から「天の岩戸開き」に関した話題を掲載します。


光文書(ヒカリモンジョ)Vol.634
運命の年

この二千十九年は、日本とこの世界にとって、大きな変革、または、意識の覚醒への道が整う一年になりそうです。
具体的にいうと、昨年までの期間で用意された、新しい日本人のためのたましいのモデルとして、これまでこの世にはたらきかけてこなかった神格が、日本史のなかから復活、または、創出されるはずです。
私が知るスケジュールだと、二千十九年三月三十一日までにそれらのことが成就すると、日本というクニは、ほんとうに新しいステージに移行することになります。
その根拠は、昨年末の十二月二十二日の冬至の日に、私が石見物部神社で神界のプログラムを実行したことにあります。
よく知られているように、島根県の石見物部神社と奈良県の石上神宮と、三重県の伊勢内宮は、一直線に並んでいます。また、茨城県の鹿島神宮は、同じく伊勢の内宮から、石見物部神社と同距離にあり、東西に翼を広げた形に配置されています。今回の神業によって、これらの用意が、日本列島上に置かれていたのは、人間の知が記紀のストーリーを理解した後に開かれる日本史の闇の部分をあきらかにするためだということがはっきりしました。
物部氏は天孫族であり、もともと石上神宮でフツノミタマという神剣を奉じた祭祀をしていたのも物部一族だったとされています。
今回のモノノベ・イセ・カシマのラインに光が宿ることによって、日本の神道の闇が表に出ました。それは、歴史を調べてもらえば誰でもわかることですが、日本の神々が、いま使われている、神道のノリトを神界語として認めていない最大の理由が、藤原氏というか、ある時期に成立した中臣神道にあるということがはっきりしたのです。
藤原氏の氏神は、春日大社であり、そこでの祭神は、タケミカヅチ、フツ、そして、アメノコヤネとヒメガミです。つまり、東方の鹿島、香取の剣神界の神々と、天の岩戸の前でノリトを奏上した祭祀長ともいえる神格をルーツにするということです。
その場で、私が理解したことは、日本の歴史において、藤原氏というものが本来、天皇のものというか、天孫族のものであった、天の神々の代理人としての地位を奪ったらしいということです。
この歴史的な簒奪をあきらかにすることで、このクニの神社の結界が結び直されることになるというのが、私が到った知であり、それによらずして、このクニが正しい覚醒に到る道はつくれないもののようなのです。
何度も私が経験させられたことですが、神理の扉は、開くべき時までに、人間の側が正しくはたらかなければ、開くことはありません。
今回のことで、日本の歴史は、また、正しい知識へと近づくはずです。
そして、こうした日本の歴史を知ることで、全世界の真に神を求めている人間の覚醒がはじまるのです。
二千十九年は、地球上において、自分たちは神の子であるということを信じる人間グループと、死んだら終わりと信じる無神論者の人間グループの文明的な対決がはじまる年になります。その最先端に位置するのが、この日本列島なのです。この記念すべき年の年頭に、初詣をされた多くの日本人のなかには、いままでとは違う気配を神社のなかに感じられた方も少なくないはずです。
その直観を信じてください。日本の神々は、いま生きている日本人に怒りつつ、絶望しつつ、同時に、はたらきかけも強めているのです。
この二千十九年が、日本人の覚醒の年になることを祈ります。

二千十九年一月一日 積哲夫 記


光文書(ヒカリモンジョ)Vol.635
危機本番

本来ならば、すでに平成ではないはずの二千十九年の正月を、すくなくとも私は、あまり良い印象を持って迎えることができませんでした。それは、このクニの現状が、ほんとうに悪魔に捧げられたとしか感じられないような状況を示していたからです。
日本人が持っていた、民族的な、または、文化的な特性が失われ、私にいわせれば、アメリカ型の暴力的で差別的な社会が持つ、一見、正しそうに思える主張の背後にある、きわめて邪悪な心情が、マスメディアに代表される情報操作のなかに強く感じられるようになっています。
アメリカのトランプという大統領は、それまでアメリカを支配してきたエスタブリッシュメントといわれる人間グループの、そうした冷酷で、邪悪な本質を隠し通せると信じて行動してきたものたちに、実は強い違和感を持っていた普通の働くアメリカ人の支持によって選挙に勝利したのだと私は考えています。そして、それによって、アメリカ合衆国は明治の日本と同じ立場で、半島と大陸に向き合うことになりました。この先にすこし人の良いアメリカ人が、体験するのは、人の良い日本人が、半島と大陸で体験したことの再現になります。
近代のアメリカの指導者の多くが、大日本帝国を滅亡させるために行動し、成功した結果が、これから、アメリカに用意されたユーラシア大陸の黄色人種との全面対決になります。ところが、戦前のアメリカと違って、いまのアメリカ人のなかには多数の半島出身者と大陸出身者が含まれています。
それを推進してきた人間グループは、はっきりいって日本を敵視し続けてきたものたちです。その結果、何が生じるかというと、アメリカの建国理念よりも、自分たちの血族のアイデンティティを大切にする人間グループによる、アメリカ大陸の乗っ取りが現実のリスクとなるのです。すくなくとも、アメリカの白人にとっては、中国人の血を持つ大統領の出現というのは悪夢でしょう。ところが、カリフォルニア州の地方自治の場では、中国系の政治家の台頭が急速に進んでいます。
日本が多くの移民を受け入れるということは、日本社会が移民大国であるアメリカ化するということでもあるのです。ナイーブな日本人が、金持ちがゲートタウンに住むというアメリカ人の心情を理解できるようになって何が起きるのでしょうか。
私は、いまの日本列島が、西洋の一神教由来の悪魔に捧げられたと、くり返しお伝えしています。それが最後の一厘の仕組みの成就であり、ここから、意識の覚醒がはじまる、どんでん返しが起きることを信じているわけですが、現実世界では、このまま、死ぬまで覚醒することなく、約束された闇の向こうに去る人間がますます増加しています。これも、また仕組みなのでしょうが、明治百五十年が終わって、日本国はローマ帝国の属州であったユダヤ王国とほぼ同じ地位にいます。
私が知らされていることは、この日本列島には、古代のイスラエルから継続して、その民が移り住んできたということです。そして、応神天皇とされる、八幡神の神格には、十字架にかけられたイエスが投影されており、仁徳天皇の民のかまどの物語が置かれているということも、この世の人間の知の側に伝達しています。これらのストーリーを、キリスト教の神によって、アメリカが与えられたと信じることで愛国心を育ててきたナイーブなアメリカ人が知ったら何が起きるのでしょうか。
第二次大戦へ日本を引き込んだアメリカ人によって、いまアメリカ合衆国に住むアメリカ人は、イエスを十字架にかけることに同意した当時のユダヤの民の罪を背負うことを自覚せざるを得なくなるのです。
日本列島が、現行人類の主宰神たる神のご神体と私がいっている意味はここにあります。このことが理解できれば、私が記した「最終知識」という書が、聖書の時代を終らせるものだということの意味もわかるはずなのです。
古代イスラエルの知の多くは、モーゼが古代エジプト王朝の王宮で学んだことに由来しています。この一貫した神知の体系が、日本神界に受け継がれていることを伝えているのが「最終知識」なのですが、これによって、無神論と唯物論というものが一神教の悪魔に由来することも理解できるようになるはずなのです。この世界はその意味で、聖書の予告の最終段階を迎えています。科学は、一神教の神を発見することはできませんでしたが、この宇宙には神のプログラムがあるらしいという仮説には到っています。それの証明が、これから、この地上でなされるはずです。とりあえず、その戦いが神の好きなアメリカと共産党の中国で進行していますが、その主戦場は、この日本列島だということを忘れないでください。

二千十九年一月十日 積哲夫 記