トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

塩旦那の豪邸が残る町、竹原

2011年12月22日 | 日記
高校生の頃に読んだ「エデンの海」。
話しの筋もすっかり忘れてしまっていましたが、
ヒロインの清水巴の名前と、竹原という町の名前、
そして、瀬戸内海のきらきら光る海のイメージだけは、
ずっと心に残っていました。
戦後、新聞小説で一世を風靡した石坂洋次郎の、
戦前の作品である「若い人」と、似通った印象がありました。

広島県のJR三原駅から、JR山陽本線から別れて、
海岸沿いにJR広島駅を結ぶJR呉線の電車に乗りました。
JR三原駅から35分程度で、JR竹原駅に着きます。

電車の中で、気がつきました。
「エデンの海」の舞台は、自分では竹原だと思い込んでいましたが、
実際にはその手前の「忠海」だったのではないかと。
車窓から見た瀬戸内海が、イメージにぴったりだったのです。

JR竹原駅前の観光案内所でスタッフに確認すると、
やはり、「エデンの海」の舞台は忠海でした。

ちなみに作者は、若杉慧。
晩年に、平林たい子文学賞を受賞した、小説や随筆で活躍された方でした。
「エデンの海」は、昭和21(1946)年の作品でした。

竹原は、江戸時代の町並みが残る町。
「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
町並み保存センターの前の掲示板には、
「竹原の町並みの特質は、
江戸時代中期の都市構造をそのまま残していること、
竹原の歴史・文化を伝える建造物がよく残っていること。」
「平入り、妻入りが入り混じり、土蔵のなまこ壁、
様々な意匠の格子など変化に富んでいる」と、
書かれていました。

この重厚な民家群は、どのようにして成立したのでしょうか。

これは、地蔵堂の広場に立てられた、
江戸時代前期、竹原代官として赴任した、
安芸藩士、鈴木重仍(しげより)の顕彰碑です。
かれは、赤穂藩から塩づくりの技術を導入して、広い竹原干潟を開き、
入浜式塩田を築き、竹原発展の基礎づくりをした方でした。
寛文4(1644)年に死去しましたが、
「塩浜の守護」として、人々に信仰されるようになった方です。

つくられた塩は広島、大坂、北国へと運ばれ、
「竹原」が塩の代名詞になるほど、町は繁栄しました。
浜主である「浜旦那」は、塩造りで蓄えた冨をもって、
文化活動に力を入れました。
今日、竹原に残る重厚な商家群は、多くが、
この「浜旦那」たちの邸宅でした。
  
町につくられた様々な案内にしたがって、
駅から、タケハラ・ショッピング・パークを抜けて、
本川(ほんかわ)を渡り、鳥羽町から保存地区に入ります。

最初は、旧笠井邸。
浜主の笠井清八の住居で、明治5(1872)年の建築。
間口7軒の邸宅は、左の4間の平入りと右の3間の妻入りがつながっています。
この前から本町通り、石畳の道です。
いよいよ、重伝建地区です。

地蔵堂です。路地を少し入ったところにあります。
この先にある胡子神社とともに、江戸時代の町づくりの境界神です。
 
ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝の生家、
竹鶴酒造(小笹屋酒資料館)です。
工場の中には「創業享保18年、小笹屋事竹鶴友三」と書かれていました。
黒漆喰にうだつもついています。
格子の上に、酒米「雄町米」の稲穂がかかっていました。

竹原市指定重要文化財の松阪邸。
唐破風の大きな屋根が、その曲線にしたがってゆるやかに流れています。
菱格子(ひしごうし)の塗り込み窓に連子格子(れんじごうし)。
重厚さの中に華麗さがただよう見事な建築です。
 
醤油醸造場の堀川商店。
竹原の建築物を特徴づける棒瓦(ぼうがわら)葺き、
修理されたばかりの新しいものでした。

堀川商店の前の路地を右に入ると西方寺です。
京都の清水寺の舞台を模して、
宝暦8(1758)年、小早川隆景が建立した普明閣。
竹原市のどこからでも見える、竹原市のシンボルです。

ここから見える竹原の町は、ほんとにきれいです。

次は、昭和5(1930)年建造の洋風建築。

現在は、竹原の製塩業の歴史を中心に展示した歴史民俗資料館です。


その手前の大小路を左に入ると、春風館と復古館。
(写真は振り返って撮りましたので、左側になります)
国指定の重要文化財。

竹原市の人々の精神的支柱である頼山陽。
源平以来の武家社会の興亡を著した「日本外史」全22巻が、
幕末の志士に大きな影響を与えた、江戸時代後期の儒学者。
その祖父惟清(これすが)は、本通りで紺屋を営んでいました。
旧宅が本町通りに残っています。

その三人の子、春水、春風、杏坪のうち、
春風が竹原で医者を開業していました。
その邸宅が、この春風館と復古館でした。
重厚な、武家屋敷風の数寄屋風建築です。
今はこれといって活用はされていないそうです。

また、頼山陽は春水の子でしたので、春風は、
山陽の叔父にあたります。

これは、復古館前にあった案内の置物。
通りの見どころには、この像が立っていました。

本通りの突き当たり右にあった照蓮寺。
ここまでに、長生寺、西方寺がありましたが、
いずれも立派なお寺でした。
浜旦那の冨がうかがえました。


塩の運搬に使われたという本川の東に並ぶ江戸時代の町並み。
その迫力に圧倒された一日でした。

訪ねた日は水曜日で、休館日のところが多くて
少し残念でした。





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1 コメント

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見ました (山田の)
2011-12-25 16:08:22
 すごくユニークな所へ行かれたのですな。竹原の魅力を初めて知りました。ここも一度訪れたい所ですね。児島の野崎邸が何軒も並んでいる感じですね。何所から行く先を見つけるのか?その発想力がすごいです。ありがとうございます。
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