トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

旧下津井電鉄跡をたどる(3) 児島から下津井へ 

2011年11月03日 | 日記
下津井電鉄は、本四備讃線(瀬戸大橋)が開業した後の平成3(1991)年に、全線が廃止されました。起点の茶屋町駅から、これまで児島駅の手前までたどって来ましたので、今回は児島駅跡から下津井駅跡までをたどることにしました。廃止後、下津井電鉄の線路跡は、倉敷市が整備した歩行者・自転車専用道路になっています。そのうち、児島・下津井間は整備が進んでいて、「風の道」と名づけられて、市民に親しまれています。線路は、もちろん残っていません。

私が敬愛する方が、サイクリングで訪ねたと言われていたのを思い出し、この日は、旧児島駅からレンタサイクルでスタートしました。私が借りたのは、電動のママチャリでした。旧児島駅は、レンタサイクルの実験が始まっているので、朝から開放されていました。下津井電鉄は、大正2(1913)年、茶屋町駅と味野町駅(後の児島駅)間、14.5kmが、下津井軽便鉄道として開業したことに始まります。翌大正3(1914)年に味野町駅から下津井駅間6.5kmが延伸され、全線が開業しました。軌間762ミリの狭軌鉄道でした。味野町駅は、わずかな期間でしたが、終着駅になっていました。昭和16(1941)年に児島駅と改称されました。2面3線のホームがありましたが、昭和47(1972)年、茶屋町駅と児島駅間が廃止されてからは1面1線に縮小されました。
 
旧児島駅の脇は下津井電鉄の営業所で、たくさんのバスが留まっていました。

1.1km先の備前赤崎駅跡に向かいます。

風の道には、かつての架電柱が残っています。線路の中央部には、電線をつり下げていた部分もそのまま残されていて、下津井電鉄が活躍していた頃の雰囲気を伝えてくれています。

線路跡の両側を枕木で仕切りをつくっているところがありました。昔の駅はこんな風景だったなあ。車一台がやっと通れるような細い道に沿って、古い町並みが見えました。

正面の山の上に、鷲羽山ハイランドの観覧車が見えました。下津井電鉄の電車は、鷲羽山の左側から頂上付近に上り、観覧車の向こう側を下津井に向かっていました。

近くで、織機の動く音が聞こえて来ました。すると左手に、のこぎり屋根の繊維工場が見えたので、振り返って撮影しました。繊維の町児島らしい光景です。 児島赤崎一丁目です。

備前赤崎駅跡に着きました。下津井駅まで延伸した大正3(1914)年に開業しました。開業当時は2面2線のホームでしたが、廃業時には1面1線になっていたそうです。両側に、かつてのホームの跡と石垣がありました。左手には駅への取り付け道路も残っていました。

備前赤崎駅跡を出ると、線路跡は国道430号線を交差します。前に横断歩道がなく、まっすぐ進むことはできませんが、その先には線路跡が続いています。横断して再び線路跡にもどって、「阿津花の会」が管理する花畑に入ります。そして、道路との杭の仕切りが再び出てきたと思ったら、阿津駅跡でした。備前赤崎駅から0.5kmのところにありました。下津井電鉄では、天城駅と藤戸駅間0.4kmに次ぐ短距離区間でした。
 
阿津駅も、下津井駅まで延伸したときに開業しました。駅を通り過ぎてから、振り返って撮影しました。右側の一面だけでしたが、石垣にコンクリートを流したホームが残っていました。当時の駅名標ではなく、「風の道」の標識が見えます。

駅の近くには、立派な日本家屋がたくさん残っています。阿津駅跡を出ると登りのルートになります。鷲羽山を越えて行きます。倉敷シティ病院の前からの桜の並木を抜けると、道は左にカーブして、正面に児島競艇場、その先に瀬戸内海が見えるようになりました。さらに登って、JR瀬戸大橋線の下をくぐります。右手に瀬戸中央道、JR瀬戸大橋線の変電所、左手に児島競艇場が見えるようになりました。金海駅跡です。阿津駅跡から1.2km。1面2線のホームの石垣が昔のまま残っていました。
  
この駅も、大正3(1914)年に下津井駅まで延伸したときに開業しました。駅から見下ろす眺めがすばらしいです!

集落の屋根の向こうに、瀬戸内海が広がります。正面に、おにぎりの形をした大槌島(左)と小槌島(右)が見えます。ちなみに、大槌島の中央が、岡山県と香川県の県境になっています。

駅を出ると、また登りになります。右手の瀬戸中央自動車道が迫ってきて、その下をくぐります。
 
瀬戸中央自動車道を抜けると、鷲羽山駅跡です。この駅も、下津井駅まで延伸したときに開業しました。現在のホームは、廃線後に下津井方面に少し延長されており、かつてのホームとはスロープでつながっています。また、トイレが新たに整備されていました。写真を撮ったりメモを取ったりしながらやって来たので、ここまで1時間半ぐらいかかっていました。ほんとにトイレは助かりました。

トイレの仕切りの上に、カマキリがいました。用を足した後に気がつきました。

鷲羽山駅跡には、かつての駅の先を延長して展望台がつくられていました。そこから見る、眼下の下津井の吹上(ふきあげ)地区の屋並みと瀬戸大橋の眺望が見事です。駅におられたウオーキングの方のお話では、「駅から山を登って上から見ると、瀬戸大橋が真下に見えてすごいよ」とのことでした。

鷲羽山駅跡を出ると下りになります。県道を斜めに横切って、前方の左にいく道路の手前を下って行きます。

ここからの道は両側から伸びてきた草が茂っていました。下りのルートだったこともあり、すぐに東下津井駅跡に着きました。「下津井東駅」として、下津井駅までの延伸時に開業しました。昭和31(1956)年に下津井東駅に改称されています。草に気をとられていて、うっかり通り過ぎるところでした。

1面1線のホームも、草に覆われていました。

終着駅の下津井駅に向かいます。右手の山の上に見えていたせとうち児島ホテルや遊園地の鷲羽山ハイランド、鷲羽ハイランドホテルが後ろに過ぎたとき、工事中のところがありました。

駅表示のような案内板が建てられていました。工事をしておられる方にお聞きしますと、2日後に花畑の開会式があるとか。そういえば、ここまでに「さざん花の会」や「ライオンズクラブ」の表示のある、お花畑に出会いました。線路跡を花で飾ろうという動きが、また広がったようです。その先、線路跡は草が生い茂っているため、再び狭くなりました。ここは、下りながら、穴蔵の中に入っていく感じがしました。

しかし、すぐに草の道は終わり。下りながらの、ゆったりとしたサイクリングになります。

そして、坂を下りきって道路の下をくぐると、終点の下津井駅跡です。

ここまで、児島駅跡から6.4km。なんと2時間かかってしまいました。

この写真は、下津井駅跡から東下津井駅跡方面を撮ったものです。ホームの間に線路跡が残っていました。

下津井駅跡には、かつて活躍していた車両が展示されています。この車両は、最後につくられた軽便鉄道の車両、メリーベル号です。製造されてから3年程度で廃線になってしまった不完全燃焼の現役生活。下津井みなと鉄道保存会の方々によって、大切に保存されています。

旧児島駅で展示したらという企画もあるようですが、移動させるのに800万円ぐらいかかるそうで、倉敷市の財政が許してくれないのだそうです。なんとか、活躍の場をと思うのは、私だけではないでしょう。

駅跡を出ると、目の前に下津井の港がありました。
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1 コメント

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ご無沙汰です (山田のクリ)
2011-11-03 20:27:33
 再び、風の道を走られたのですね。坂を下りたら下津井でした。懐かしい想い出がよみがえってきました。帰りはどうされたのですか?私は自転車で茶屋町まで行って家に帰りました。1日中自転車に乗っていました。

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