トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

”青春18きっぷ”のポスターの駅、JR小島駅

2014年09月30日 | 日記
四国山地に源流をもち東に向かって流れる吉野川に沿って、阿波池田駅から徳島駅に向かう鉄道があります。「よしの川ブルーライン」こと、JR徳島線です。徳島県内だけを走る全長67.5kmの鉄道です。

秋晴れの一日、阿波池田駅に向かいました。葉たばこの取引で栄えた阿波池田の街は以前歩きました(「阿波池田 うだつの町並み」2012年8月16日の日記)ので、今回はスルーして、すぐに徳島線の出発する3番ホームに向かいます。徳島線は、明治32(1899)年に徳島駅と鴨島駅間が開業した後、少しずつ延伸し、大正3(1914)年、阿波池田駅まで開業しました。土讃線より早く全線が開通しています。

10時22分発徳島行き普通列車が入線していました。2両編成でしたが、後ろの車両は「回送扱い」になっていました。ワンマン運転のディーゼルカーです。定時に、徳島に向かって出発しました。

最初の駅である佃駅まで5.1km。徳島線と土讃線が共用している区間です。佃駅の先で両線が分岐します。

この列車は徳島線の特急「剣山」です。四国最高の山の名前を冠した特急列車です。右のホームを出た特急は、そのまま直進し右側の線路に入って進んで行きました。ここで、左の線路に入り、左にカーブしながら吉野川に架かる鉄橋に向かって進んでいくのが土讃線です。

徳島線は、”四国三郎”の名をもつ「荒れ川」吉野川に沿って進んで行きます。吉野川の流域は年間降水量2200mmという全国屈指の降水量を誇ります。しかも、降るときはたっぷり降るという降り方で、大洪水を毎年のように起こしていました。江戸時代の流域の農民は、そのため、米づくりよりも藍や葉たばこなど商品作物の栽培に力を入れました。洪水が、栄養分を多く含んだ山間部の肥沃な土をもたらしてくれたからでした。江戸時代の寛政12(1800)年、徳島藩の藍は、全国最大の生産量になっていたそうです。

阿波池田駅から40分、貞光駅に着きました。「剣山登山口」と書かれていますが、貞光は、阿波池田と同じように、葉たばこの取引で財を成した商人たちの「うだつのある邸宅」が並ぶ町(「うだつのある町 徳島県脇町と貞光町」2011年3月14日の日記)で知られています。

貞光駅の次の駅に着きました。前方に三角形をした樹木が見えます。小島駅です。徳島線は全線非電化・単線の路線です。乗車してきた列車は、ここで行き違いのためしばらく停車していました。ここで下車しました。小島駅は、大正3(1914)年、川田駅・阿波池田駅間の開通の時に開業しました。今年、開業後100年を越えました。

めざす小島駅は「こじま」駅ではなく「おしま」駅でした。徳島県美馬市穴吹町にあります。ちなみに、小島駅の次は穴吹駅。「うだつの町並み」で知られる脇町は、この先の穴吹駅から吉野川を渡った対岸(吉野川左岸)にあります。藍の取引で栄えた商人が住んでいた町として知られています。

阿波池田行きの下り列車がやって来ました。1面2線の小島駅。両側に列車が並ぶ光景です。

これは、平成26年春の”青春18きっぷ”の季節に、ポスターとしてJRの各駅に掲示されていた写真です。満開の桜の下で手を振っている若い人の姿が印象的な写真です。「『ずっと友達だよ』と言うかわりにみんなで旅にでた」のコピー。「それぞれの青春をのせて」のタイトルがついたポスターの印象から、いつか訪ねてみたいと思っていました。秋晴れの天気に誘われて、この日ここまでやって来たのでした。

下車したのは私一人。上りと下りの列車が出発して行くと、静寂が訪れました。わずかに吉野川の右岸にある国道192号線を走る車の音が聞こえてくるだけでした。 しかし、この駅はいわゆる「秘境駅」ではありません。牛山隆信氏が主宰される「秘境駅ランキング」にもその名はありません。写真はホームにあった待合いのスペースです。屋根と8人分の椅子が設置されています。

阿波池田方面に行く下りの線路の脇にあったキロ表示です。徳島駅から44kmのところにあることを示しています。

同じく下りの線路に沿って植えられた桜並木。かなりの大木です。ポスターのモデルが手を振っていた桜並木です。桜の季節にはさぞかしと思わされます。

ホームの脇に白い建物がありました。ホームから見るとこの白い建物に向かって線路が続いています。かつては、車両の整備工場だったのでしょうか?

駅から出るため、跨線橋を上ります。

跨線橋の上からホームを撮影しました。青春18きっぷのポスターはこのアングルで撮影したようです。手を振る人がいないことと、桜の花がないので近くの民家がよく見えることが違っていました。

11時50分過ぎ、阿波池田からやって来た特急剣山6号です。跨線橋の上から撮影しました。キハ185系の2両編成でした。もちろん、小島駅は通過駅です。

跨線橋から下りて、駅舎の前に着きました。木造瓦葺きの駅舎です。

駅舎の跨線橋の下にあった使用済み切符の回収箱。中はよく見えませんでした。

駅舎内部です。作り付けの長いベンチと島式のベンチが設置されていました。駅舎の中には大きなゴミ缶とほうきが置いてあります。掃除も行き届いた清潔な駅舎でした。

時刻表です。1日14往復。日中は2時間に1本のうんこうという時間もありますが、通勤時間帯には本数も配慮されているようです。

運賃表です。阿波池田駅から、660円でした。

駅舎から外へ出ます。驚いたのは駅舎の回りを囲んでいた自転車の波でした。通学に利用する中学生や高校生のもののようです。

駅周辺を歩きます。吉野川の方(駅の北側)に進みます。駅から右の道を進むと5分ぐらいで吉野川の土手に着きます。正面の橋の向こうには、うだつの町並みが続く脇町があるはずです。

吉野川の手前は、国道192号線。駅からすぐですから車の音が聞こえるはずです。車の進む方向は徳島方面です。

国道から小島駅に向かいます。国道からも、駅の跨線橋が見えました。

駅の山(南)側に行くには、外へ出て左方向に向かいます。

振り返って駅を撮影しました。青い空に稔った稲の黄色が映えて本当にきれいです。正面の桜の木も元気そうでした。来年の春はまた花満開になることでしょう。

その先にあった小島西踏切。この踏切を渡ると駅の山(南)側の地域に入ります。

駅の裏側からみた小島駅です。桜の季節はもっときれいでしょうね!

駅の山(南)側です。実りの秋の山里の風景です。懐かしい農村風景が広がっています。

13時過ぎに、小島駅にやって来た下り阿波池田行きの列車です。11時にこの駅に着いてから最初に停車する列車です。この列車で引き返すことにしました。

青春18きっぷのモデルになったJR小島駅は、私の少年時代と同じ農村風景の中にありました。全国にある駅は、どこも桜の季節が似合います。ポスターの「ずっと友達だよと言うかわりに みんなで旅に出た」というコピーに惹かれてやって来た小島駅は、少年時代のたくさんの記憶を思い出させてくれました。次は、桜の季節に訪ねてみようと思っています。