トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

梅小路蒸気機関車館に住まう栄光のSLたち(2)

2011年09月28日 | 日記
梅小路蒸気機関車館には、7両のSLが動態保存されていました。
C56160号機、C571号機、C612号機、C622号機、D51200号機、
8630号機、B2010号機の7両です。

静態保存のSLでは、お召し列車風に展示されていたC51239号機とC581号機、
客車(オハ4613)を牽引する形で展示されていたC621号機とD511号機の重連。

これ以外に、静態保存のSLは、8両が展示されていました。

1080号機(1070形)
明治34(1901)年、イギリスから輸入されたD9形651号機でした。
明治時代の代表的な機関車で、急行列車を牽引していました。
大正15(1926)年、1070形1080号機に改造され美濃太田機関区で活躍した後、
日鉄鉱業に移り、石灰石の運搬を昭和54(1979)年まで続けました。
日本で、80年近く現役を続けた、小柄ですがタフなSLでした。
10番機関庫、B2010号機の後ろが終の棲家です。

9633号機(9600形)
大正3(1914)年、川崎造船製。小樽機関区から移動してきました。
大正2(1913)年から大正15(1926)年にかけて、770両が製造されました。
日本で初めての本格的な標準形国産車です。愛称「キュウロク」。
梅小路蒸気機関車館の、9番機関庫で体を休めています。

D50140号機(D50形)。
大正14(1925)年、日立製作所製。直方機関区から移動してきました。
D50形は、大正12(1923)年から昭和6(1931)年にかけて380両が製造された、
大正期を代表する蒸気機関車。9600形を上回る性能を備えていました。
現役時代、東海道・山陽本線で活躍していました。愛称は「デゴマル」。
この140号機は、D50形で最後まで動いていたSLだそうです。
16番機関庫に展示されていました。

C1164号機(C11形)
昭和9(1934)年に川崎車両で製造され、会津若松機関区から移って来ました。
C11形は、昭和7(1979)年から24(1949)年までに、支線や区間運転用に
381両が製造されました。
炭水車のついていないタンク車として、最も多く製造され、
使い勝手がよかったので、日本の各地で使われました。愛称「Cのチョンチョン」
C1164号機は、梅小路の8番機関庫で展示されています。

左の19番機関庫のC5345号機(C53形)。
C5345号機は、昭和3(1928)年汽車製造製。
昭和36(1961)年から交通科学博物館に展示されていたそうです。
運転席が開放されています。
乗ってみると、運転席は狭く前方の視野もきわめて狭い、加えて、
運転席の大部分は石炭をくべる窯が占めており、
暑さも尋常ではなかったはずです。
厳しい環境の中、安全運転を義務づけられた機関士の方の苦労がしのばれました。
C53形は、昭和3(1928)年から昭和5(1930)年にかけて、
97両が製造されました。

右の20番機関庫のC551号機(C55形)。
昭和10(1953)年川崎車両製。
旭川機関区から交通科学博物館を経てやってきました。
C55形は、昭和3(1928)年から昭和5(1930)年にかけて97両が製造されました。
東海道・山陽本線で特急列車を牽引していました。
その1号機です。

C59164号機(C59形)。
18番機関庫の住人です。
このSLは、戦後の昭和21(1946)年日立製作所製。
糸崎機関区から奈良運転所を経て移動して来ました。
C59形は、昭和16(1941)年から昭和22(1947)年までに、
173両が製造されました。
東海道・山陽本線で、特急つばめ、かもめ、富士、さくらなど
当時の代表的な花形特急列車を牽引した、花形蒸気機関車でした。
長さ、21.575m、最長のSLでした。
C59形の最後に製造された最新の機関車がC59164号機でした。

D52468号機は、昭和21(1946)年、三菱重工業製、五稜郭機関区から
移動してきました。D52形は、昭和18(1943)年から昭和21(1946)年にかけて、
285両が製造されました。
戦時中の石炭等の輸送力の増強のために、D51形の1000トンの牽引を上回る、
1200トンの牽引をめざして設計されましたが、戦争の終結のため、
昭和21(1946)年に285両で製造が打ち切られました。
このような経緯のため、欠番が多く、285両しか製造されていないのに、
468号機となっています。
また、D51が全国で活躍したのに対し、D52形の活躍の場は、主に
山陽本線と函館本線に限定されていました。
D51形(デゴイチ)を性能的に上回る、日本最大で最強の蒸気機関車でした。
17番機関庫の住人です。


梅小路蒸気機関車館に移築されている旧二条駅舎の中の展示資料を
見ていたとき、興味深い説明に出会いました。そこには、

SLの代表的な存在であるD51形(デゴイチ)は、
1km走るのに40kgの石炭が必要でした。
その火力を最高の状態にするためには、広い火室の中に石炭を均等に投入し
完全燃焼させることが必要でした。
ショベルで、7分30秒間で150杯(1杯約2kgなので300kg)の石炭を
ばらまくように投げ入れなければなりません。
機関助手の見習者は、1日5~6回の練習を約1ヶ月間続けて
機関助手をめざしたと、説明されていました。

高い性能を持ったSLの力を発揮させるのは、やはり人の力だったのです。
栄光の蒸気機関車を眺めながら、それを支えた人々の存在に、
思いをはせたひとときでした。