こもれび日記

TVのこと、孫のこと、ボランティア活動など日常のことを書く

政治は「除菅」が、地上では除染に注力し!皆が「ひまわり」のように明るくいきたい!

2011-08-13 22:29:30 | Weblog
政治では「除菅」が決まったようだし、除染「ひまわり」のように明るくいきたい!(癒しの老猫
とささやかなヒマワリ)
◎放射能・放射性物質・・・・8月は嫌な月である。原爆がヒロシマに投下されたのが6日であった。今年もこの日には多くのことがあった。加えて「原発」事故の被害が大きく、大きくXX雲となって日本を覆っている(世界的にも・・・)
毎日のTVには、色々な角度からの放映・報道がなされている。そして「原子力」の利用については、平和と戦争の両面から広く論じられている。それらについて書くことは、私のBLOGの範囲を遥かに超えているので無理である。判っているが敢えて数件記録する。
(1)昭和38年にY県I市に研究所があるM社へ入社した。
その年のX月Y日に、ヒロシマにある原爆ドームと広島平和記念資料館を見学した。
その時の驚きと怒りと悲しみと・・・言葉には表せない・・奇怪な感情・・「自分は、何故・・ここにいるのか」と、言った。文章にならない感情。今でも目を閉じてその資料館を、その空気を思うと「鳥肌が立つ」のである。
1995年に定年退職して以来、毎年8月にはTVの映像をみ、新聞を読んで嫌な思いをするが・・・しかし時間が緩和していたことは事実であった。
(2)2006年6月に、私は放射能の恩恵を受けたのである。
前立腺がん患者として「小線源療法」という手術で丁度「シャープペンシル」の芯程度の放射性物質を約12本患部へ埋めた。
幸いなことにそれから5年以上経過した現在「前立腺癌マーカー」の「PSA」は低くOKですよと、8月5日に主治医の先生に言われて「放射線の医学利用(平和)」に感謝している。
しかし治療中のある期間には極々小さいのだが、先生が「放射線の影響(被害)」と思われる下痢を暫く経験した(勝手なもので今では簡単に書くが)その期間は悩んだものである。
(3)原発事故以来の(広い意味での)被害者の苦しみ。
どの範囲にどれほど長く続くのか、物も見えないし、先も見えない。(ヒロシマ・ナガサキの被ばく者の苦痛を見るにつけ思う)

(4)除染。将来を担う子供の為にも一層の除染の努力を!!:小さなことでも、と、先のBLOGで土からの除染「ひまわり」(明るくていい)を書いた。毎日新聞でも東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働 委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んだと報じ、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を紹介していた。
政治では「除菅」が決まったようだし、除染「ひまわり」のように明るくいきたい!ものだ!
がんばれニッポン!!