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◆わたしは……

2016年10月22日 11時10分22秒 | 聖書
喜んでこれを愛する。(ホセア一四・四)
この聖句は神性の本質の縮図である。この意味を理解する者は一流の神学者であり、その深い意味をくみ取ることができる者は、クリスチャンの中でも奥義を極めた者である。これは私たちの贖い主キリスト・イエスによってもたらされた輝かしい救いのメッセージの要約である。
この聖句の中心は「喜んで」ということにある。これは愛が天より地に注がれるための栄光に満ちた神の方法である。すなわち、自発的な愛が、それを受ける価値のない者、買うことのできない者、また求めることをしない者に注がれるのである。事実、神が私たちのような者を愛される方法はこのほかにない。
今朝の聖句は、私たちの側に神の愛を受けるに値する何かがあるという議論に致命的な一撃を与える。「わたしは……喜んでこれを愛する。」もし私たちの側に、神の愛を受けるために必要な何かの適性があるならば、神は私たちを喜んで愛されないであろう。私たちはつぶやく。「主よ。私の心はあまりにもかたくなです」と。しかし「わたしは喜んで愛する」と答えられる。「しかし、私は心に願っているように、キリストの必要を感じないのです。」「わたしは、あなたが必要を感じるから愛するのではない。わたしは喜んであなたを愛する。」「しかし、私は心で欲しているようなたましいの素直さを感じることがありません。」覚えよ。たましいの素直なことは条件ではない。恵みの契約に条件はないからである。それゆえ、私たちは、何の適性もなくキリスト・イエスにあってなされた「御子を信じる者はさばかれない」との約束にすがることができる。神の恵みが常に喜んで提供され、準備も適性も価もなく与えられることを知るのは幸いである。
「わたしは……喜んでこれを愛する。」このみことばは信仰から離れた者を呼び返す。事実これは特に信仰後退者のために記されている。「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。」信仰の衰えた者よ。この寛大な御約束はあなたの心をただちに砕き、あなたが悲しませていた神の御顔を求めさせるであろう。
 
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