座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆うなじのこわい者

2012年11月26日 12時39分33秒 | 聖書

責められても、なお、うなじのこわい者は、
たちまち滅ぼされて、いやされることはない。(箴言二九1)

ある時、私が大切にしていたつぼを娘が落として、粉々に割ってしまいました。娘は粉々になった破片を拾って、こうでもない、ああでもないと、くっつけていました。妻が「もうどうにもなりゃしないわ。早く掃いて、燃えないごみの中に捨てなさい」と、いとも簡単に言いました。私は、いささか未練がましくまだながめていたのですが、妻のことばにはっとしました。うなじのこわい魂の滅びの様に、思い当たったからです。
聖書中に、「陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない」(エレミヤ一九11)ということばがあります。いつまでもがんこに我を張りとおし、「ごめんなさい」とか「私が悪かった」と言えない魂。自己主張・自己満足でこりかたまった魂。――そんな魂が、何かのことでハンマーでがんとやられると、粉々に壊れて収拾がつかなくなってしまいます(もちろん、神のさばきの座の前では最後的な結末となるのです)。
しかし、神の細い声を聞き入れ、良心の責めることばで心を柔らかくする人は、柔らかく練られた粘土のように、神の愛の手の中で新しく造りかえられることができます。
ですから、ダビデは旧約聖書の中でこう歌いました。「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇五一17)。
新約聖書の中で、パウロも言いました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント五17)。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◆あなたの手もとにあるなすべ... | トップ | 申命記1章19-25節 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事