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ピリピ人への手紙1章 9~11節(イザヤ書50章)

2016年10月01日 07時47分18秒 | 聖書


★私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。

■O:今日のコラム
私は個人的な祈りの生活において、異言で多くの時間祈り、また悔い改めとイエス様の血潮を宣言して日々祈ります。さらに、御言葉を朗読して御言葉を告白しながらそれを自分の祈りとします。これら一つ一つの祈りにはとても豊かな霊的恵みが用意されていますが、今日は特に御言葉を告白して祈る事に注目して見て行きます。

パウロの書簡を読むと、パウロが諸教会に対して様々な祈りを捧げている事を知ります。その中でも有名な祈りがエペソ1章17~19節やエペソ3章14~21節ですが、これらはパウロが教会をキリストにあって健全に建て上げる為の切なる願いであり、使徒の権威を持って祈った祈りです。それなので、このエペソ1章17~19節やエペソ3章14~21節を朗読して、自分の祈りとして祈る時、その祈りは教会を真のキリストの教会として建て上げる為にとりなす、使徒的な油注ぎが伴う祈りとなるのです。

イエス様ご自身が教えて下さった主の祈りにおいて、前半部分は「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」(マタイ6:9~10)。となっており、祈りは天の父なる神に対する礼拝から始まり、御国が来ること、みこころが成される事と、賛美からとりなしの祈りへと入って行きます。とりなしとは家族や教会、人々や国々の必要の為に祈る事もとりなしの大切な要素ですが、最も重要なとりなしの部分は私達の願いや心ではなく「主のみこころが成るように祈る」事にあります。

主のみこころが成されるように祈る為には、主のみこころを知らなくては祈れません。ではどのようにして主のみこころを知る事が出来るのでしょうか。もちろん啓示や幻、様々な事を通して主は私達にみこころを教えて下さいますが、私達がはっきりとしたみこころを知る為には、御言葉に目を向けなくてはいけません。御言葉を朗読し、告白しながら、この御言葉の約束が成就する事を願って祈る時、それはみこころが成る事をとりなす、力強いとりなしの祈りとなるのです。

ピリピ1章9~11節にもパウロがピリピの教会の為に祈った祈りが記されています。この様に聖書に書かれている祈りを自分の祈りとする時、それは主のみこころを祈る祈りとなり、天に届く祈りとなるのです。


■A:考えてみよう
「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」
この御言葉を3度朗読して自分の告白、宣言としてこの御言葉を祈りましょう。


■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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