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◆わたしは……

2017年08月13日 16時18分32秒 | 聖書
わたしの契約を思い出す……。(創世九・一五)
約束の型に注意せよ。神は「あなたが虹を見て、わたしの契約を記憶しているならば、わたしは地を滅ぼさない」とは言われなかった。契約は、私たちの気まぐれな弱い記憶には基づかず、無限にして不変な神の記憶に基づいている。「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て……永遠の契約を思い出そう。」おお、私の安全の基礎は、私が神を思い起こすことにはなく、神が私を思い起こされるところにある。私が神の契約をとらえるのではなく、神の契約が私をとらえる。
救いのとりでの全体は、神の力によって守られている。とりでの中の小さな塔すら、全能の御力によって守られている。契約を覚えることすら、私たちの記憶に任せられていない。私たちは忘れるかもしれないからである。しかし、私たちの主は、ご自分の手のひらに刻まれた聖徒たちを決してお忘れにならない。
私たちは、エジプトにおけるイスラエル人のようである。家の入口の二つの門柱とかもいに血が塗られていた。しかし主は「あなたがたが血を見る時、わたしはあなたがたの所を通り越そう」と言われたのではない。「わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう」と言われたのである。私が主を仰ぎ見れば、喜びと平安が与えられる。しかし、私の救いと、すべての選ばれた者の救いが確かなのは、神がイエスを見られることによる。私たちの神は、血を流された私たちの保証人であるキリストを見、すでに主にあって処罰されている罪のゆえに、なお私たちに怒りを発することはおできにならないからだ。
救いは、私たちが契約を思い起こすことによるのではない。それは、人から来たものではなく、人によるのでもない。ただ、主のみによる。私たちは契約を覚えるべきであり、神の恵みによってそうしようとする。しかし私たちの安全のかなめはそこにはない。すなわち神が私たちを記憶してくださることにあるのであって、私たちが神を記憶することにあるのではない。それゆえに、その契約は永遠の契約なのである。
 
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