座間コミニティー

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◆あなたはかつて

2018年04月18日 17時29分33秒 | 聖書
「わたしは必ずあなたをしあわせにし……。」と仰せられました。    (創世三二・一二)
ヤコブがヤボクの渡しの手前まで来ると、エサウが武装した部下を連れて来ようとしていた。ヤコブは熱心に神の保護を求めたが、その主な理由は、「あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし……。』と仰せられました」というところにあった。なんと力強い嘆願であろう! 彼はみことばによって神にすがりついた。神のご誠実という徳は、すがりつくのに最もふさわしい祭壇の角である。しかし、その徳と、それにまさるものを含む神の約束はさらに力強い頼りである。「あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし……。』と仰せられました。」このように言われた神が、それを実行されないことがあろうか。神は真実なお方ではないのか。約束のみことばを守られないのか。そのくちびるから出るすべてのみことばが堅く立ち、かつ成就されないだろうか。
ソロモンは神殿の献堂式にこれと同じ力強い祈りをささげた。彼は神に、父ダビデに語られたみことばを思い起こしてくださいと嘆願し、その場所に祝福を祈り求めた。人が誓約書を出す時、出す人の信用が問題とされる。署名者は時が至ればそれを実行しなければならない。さもなければ信用を失う。神は決して手形をほごにはなさらない。いと高きお方の信用はかつて問題になったことがなく、今後も決して問題にされることはない。神は時を厳守される。繰り上げることも延期されることもない。神のみことばを徹底的に調べ、神の民の経験と比較するならば、両者が初めから終わりまで一致していることを見いだすであろう。多くの白髪の族長たちは、ヨシュアとともに「あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかった」と言うのである。
神の約束をもっているならば、「もし」などということばで願う必要はない。確信をもって求めてよい。主は約束を成就しようと考えておられる。さもなければ、約束を与えられないだろう。神は、みことばのとおりになさろうとするので、お語りになるのである。
 
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「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、

2018年04月18日 17時28分27秒 | 聖書

感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)

心配事があるだろうか。人は多くの問題を抱える。親子、夫婦、家族、対人関係、仕事、進路、経済的問題、次々と悩みが来て不安に陥る。
しかし、主は「思い煩うな」と。思い煩いは無用と。なぜ無用なのか。

それにより何一つ変わらないし、何をも成し遂げない。
「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができるか」の通りだ。
不安と恐れで心が真っ暗になり、それで、何かを変える事ができるのか。思い煩いは全く何の益もない。
有害無益だ。

又、思い煩いは、実際より、物事を巨人のように大きく見せる。
冷静に対処するなら、乗り越えて行ける事が、パニックに陥ってしまう。
カナン視察の後、ヨシュアとカレブは大丈夫だ、前進しようと言ったが、民は恐れて怯えて泣き伏した。

その思い煩いは絶えず脳裏に浮かび、それを受け入れ続けていると、不安と恐れの要塞を築き上げ、それを尚も固くし、思い煩いのモンスターにしてしまう。
自分がしている。モンスターにはとても打ち勝てず、不信仰に陥る。

しかし、それは現実、実際とは異なる。想像上のモンスター、自らが描く最悪のシナリオは成ったためしがない。
「あらゆる場合に」「祈りと願い事によって」その不安、あの思い煩い、この恐れ、主に知って頂き、主に渡そう。
「そうすれば」神の平安が心に臨む。
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思い煩う時、ふっと神様を忘れてしまっている。
先のことを全て知っておられ、今の恐れを平安に変えて下さる方に祝福を求めて祈ろう。
不安ではじまっても、神様が共におられるから結果はいつも祝福と感謝で終わっているのではないか。

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おはようございます。

2018年04月18日 09時46分42秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

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今日の聖人の記念日

2018年04月18日 09時45分56秒 | キリスト教

聖アポロニオ殉教者

?-186年

 アポロニオは、2世紀のキリスト教迫害時代に生まれた。上流階級の学者で、好奇心から聖書やキリスト教著書を学んだが、その真理に心を捕えられて信者となった。立派な言行で信者の手本となり、信仰を求める人にはよき指導者となった。時の皇帝コドモはキリスト信者に寛大だったので信者の数は増えたものの、地方の総督たちが勝手に迫害するのを止めるということはしなかった。

 ある日、アポロニオに恨みを抱く小間使いが「アポロニオはキリスト教徒である」と訴えた。逮捕されたアポロニオは信仰を捨てなければ処刑すると言われたが、信仰を貫き通し、「全世界の人々の前でも私は大声で言います」と信仰を表明し、斬首の刑となった。

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◆二 つ の 態 度

2018年04月18日 09時44分47秒 | 聖書

神を敬わない者は
その口によって隣人を滅ぼそうとするが、
正しい者は知識によって彼らを救おうとする。(箴言一一9)
ここに、生き方の根本的態度が二つ対比されています。
第一に、隣人を滅ぼそうとする態度。
第二に、隣人を救おうとする態度。
まず隣人を滅ぼそうとする態度というと、そんな大それたことは考えたこともないと、大方の方はおっしゃるかもしれません。しかし、自分だけよければいいというあらゆる自己中心・エゴイズムの態度は、隣人を滅ぼそうとする態度ではないでしょうか。足の長いスマートな若者が足を広げてデンと座り、年寄りに席をゆずらない。あるいは受験生が、友人が病気やけがで脱落するのを見るたびに、悪いと思いながらも、これで競争相手が減ったと喜ぶ。ここにもそういう態度が見えます。
この第一の態度は、人の幸福を心から喜べません。人の悲しみにはもらい泣きをしても、人の幸せを祝福できない心の中にも、この態度をとらせる自己中心があります。最後には、家族も友人も、自分の子どもや妻までも、自分の奴隷か競争相手か敵にしたててしまいます。人生最大の不幸と孤独を生み出すものです。
しかし第二の態度・生き方は、あなたを新しくし、祝福の人生のスタートラインにつかせます。それは、けっしておせっかいな生き方ではありません。自分の弱さ・みにくさ・罪深さの極限を知りつくして、神の限りない救いと恵みの愛に信頼していきます。神の絶対的な愛のいのちを注ぎこまれて、小さな自分の心にも愛と善意があふれ、人々が助け・慰め・友情を求めに集まってくるような人になるのです。そういう人になる秘訣は、キリストのところに来ることです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント五17)。
 
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◆彼女は窓に赤いひもを結んだ。

2018年04月18日 09時43分55秒 | 聖書
(ヨシュア二・二一)
ラハブは斥候の約束に頼って、命を守りたいと思った。彼女にとって斥候はイスラエルの神の代理であった。彼女の信仰は単純であったが強固であり、きわめて従順であった。赤いひもを窓に結ぶのは些細なことであるが、彼女はそれをおろそかにしなかった。
私のたましいよ。ここに貴重な教訓があるのではないだろうか。おまえはすべての主の御旨に絶えず注意を払っているか。たとえご命令がそれほど重要でないと思えた場合にも。またおまえは、信者の二つの儀式、バプテスマと聖餐式を正しく守っているか。怠ることはおまえに愛がないことと不従順を示す。今後すべてのことを――たとえひもを結ぶという小さなことでも――神のご命令なら必ず慎重に成し遂げるようにせよ。
ラハブの行為はさらに厳粛な教訓を与える。私は、イエスの尊い血を絶対的に信頼していたか。私の信頼が絶対に解けないように、赤いひもを固く窓に結んだであろうか。キリストの御血を見ることなく、またすべてのものを祝福に満ちた御血の力との関係において見ることなくして、どうして私の罪の死海と望みのエルサレムを見ることができるだろうか。
窓に鮮やかな色彩のひもがあるならば、通行人はだれでもそれに目を留める。私の生涯が、贖いの効力をすべての人々にはっきりと示すなら、それはまことにすばらしい。それを恥じるべきなのか。人や悪魔が怪しんで見るとしても、無視したらよい。御血が私の誇りであり、歌である。
私のたましいよ。おまえの信仰が弱く、赤いひもを見ることができなくても、それを絶対に見落とされない神がおられる。主、すなわち報いを与えられる方が、それを見てあなたを見逃してくださるのである。
エリコの城壁は崩れ落ち、ラハブの家は城壁の上にあったが、難を免れた。私の性質は人間の城壁の内に建てられているが、人類滅亡の時にも私は安全に守られる。私のたましいよ。新たに赤いひもを窓に結べ。そして平和のうちに安息せよ。
 
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詩篇100篇1-5節

2018年04月18日 09時42分29秒 | 聖書

100:3 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
100:4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。


主なる神は、私たちにとって2つの意味で、人の創造に関わってくださっています。

1つめの創造は、私たちが赤ちゃんとして生まれてきた時の創造に関わっています。

しかしそれは、アダムが神の戒めを破って罪を犯してしまった為に、堕落した者、滅ぶべき者とされています。

2つめの創造は、私たちがイエス様の十字架の死による罪の贖いを信じて、その救いに預かった時のことです。

その時に、私たちは霊において、神の御前で全く新しい者とされました。

もはや病も死もない、永遠の命に預かる者とされたのです。

新しい創造です。

 この新しい創造に預かった者は今、歓喜に溢れています。

神の恵みに目が輝き、希望が溢れる者とされました。

ですから作者は、この救いに預かった者達に対して、心からの感謝と賛美を主に献げよう、と告げているのです。

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創世記7章1節

2018年04月18日 09時39分58秒 | 聖書

★主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」

■O:今日のコラム
イエス様が再臨される時は、ノアの時代のようだと、イエス様は語っておられます。

「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」(マタイ24:37)

再臨を待ち望み、主の日に備える時代に生きる私たちは、ノアのように生きることがとても重要です。ノアのように生きる。それは、主の御目に正しい者として歩むことです。今日の箇所にあるように神は悪がはびこる時代の中にあって、ノアのことを主の御前に「正しい者」であることを見られました。

人は本能のままに生きるなら、自分自身が良いと思う道、めいめいが自分の目に正しいと思う道に進んでしまいます。

誰かのために良かれと思ってやったことが、裏目に出たり逆効果だった、という経験は無いでしょうか?私自身も、友人が好きだろうと思ってプレゼントした食べ物が、よりにもよってその友人が苦手で食べられない食べ物だったことがあります。その人の好物が何かをまず調べておけば良かったと後悔しました。

マタイの福音書でイエス様が、御国に入ることが出来ない人とはどのような人かを語っておられます。

「その日には、 大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、 主よ。 私たちはあなたの名によって預言をし、 あなたの名によって悪霊を追い出し、 あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。 』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。 不法をなす者ども。 わたしから離れて行け。 』」(マタイ7:22~23)

主に「あなたがたを全然知らない」と言われてしまう人が大勢いると語っておられます。このことから、人の多くは自分たちこそ、「正しいことを行っている」と信じて疑わない、ということが分かります。けれども、人の目に正しいと見える事柄が、神の御目にも正しいとされるとは限りません。

私たちの内にも「自分こそが正しい」と決め込んでいて、でも実は神の目には正しくなかったという領域があるかも知れません。

私たちは日々、自分の歩みや生き方が、自分が正しいと思っているだけのものなのか、それとも神の御目に正しいものかを見つめることがとても大切だと感じます。

神の御前に正しいとされる者の歩みとは、神が大切にしておられることを大切にする歩みです。主は何を大切にしておられるでしょうか?それは主と私たちとの関係です。神を知り、また神に知られているという関係です。

神を知り、神の愛を知り、神がどれほどの愛で私たちを赦されたのかを悟っていくのなら、また、神との親密さを深めていくのなら、戒めを守り行い、みことばの通りに生きていくことは、喜びでしかないでしょう。神の心を喜ばせることにしか興味がなくなるでしょう。それこそが、神の御目に正しいとされる者ではないでしょうか。

また、時代や世の流れに揺るがされることがない、正しさの基準となるものは、神のことばです。自分の歩みを御言葉で照らし、果たしてその通りに歩んでいるか、自分の心は主に向いているかということを日々見極めることも大切です。

私たちは、不法のはびこる時代の中にあって、是非、ノアのように主と共に歩む者、神の御前に正しいとされる者となっていきたいと願います。

「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。」(箴言21:2)



■A:考えてみよう
自分の信仰の歩みを吟味し、またあらゆる人間関係を吟味し、御言葉に照らし合わせてみて、自分が正しいことを行っていると信じている領域が果たして本当に正しいのか、御父の御心からそれていないかを、もう一度思い巡らしてみよう。また、日々、その点検をする習慣をつけよう。

「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)

「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(黙示録19:8)




■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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