座間コミニティー

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おはようございます。

2018年04月11日 07時28分52秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

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今日の聖人の記念日

2018年04月11日 07時28分13秒 | キリスト教

聖スタニスラオ司教殉教者

1030年ごろ-1079年

 スタニスラオは、ポーランドの保護者である。両親はポーランドの名家の出身だったが、子どもに恵まれず、祈りながら待ち続けて30年後にやっとスタニスラオが授かった。感謝の心から、両親はスタニスラオを聖職者として神にささげることを決め、信仰の面でも愛の行いの面でも立派になるようにと彼を厳しくしつけた。

 彼は両親の期待によくこたえ、学業の面でも信仰の面でも進歩し、貧しい人の世話もよくした。ポーランドの一流大学を卒業後、パリ大学で7年間学び、41歳でクラクフの司教となったが、国王ボレスラフ2世の不品行を戒めたことから、王の反感をかい、ミサをささげているところを、王の部下によって殺害された。

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◆こ と ば の 力

2018年04月11日 07時26分56秒 | 聖書

正しい者のくちびるは多くの人を養い、
愚か者は思慮がないために死ぬ。   (箴言一〇21)
ことばは力を持っています。私の心ないひとことで、私の妻は死ぬ思いをします。反対に、愛のこもったひとことで、はればれします。
D・L・ムーディは、十八世紀のアメリカが生んだ大伝道者です。彼が街角に立つと、一万五千もの人が話を聞きに来ました。そして彼が語ると、多くの人が前に出て、泣きながら罪を悔い改め、神の愛を受け入れました。一九八〇年に東京にビリー・グラハムが来られた時も、後楽園が五万人でうまり、同じように前に出て祈った何千もの人の人生が、新しくされたのです。まさに「正しい者のくちびるは多くの人を養う」のを、私は目のあたり見てきました。
イエス・キリストの行かれるところに、人々は集まりました。海辺に山に、どこまでもついていき、彼のことばを聞こうとしました。男だけでも五千人もの人に、イエスはマイクなしで話されたのです。そして、イエスの話を聞いた人々は、第一に、死んだような苦しい生活の中に、生きがいを感じるようになりました。第二に、他人に言えない苦しみやあせりの中にある人が、心の重荷がおりて、明るく、はればれした人に変わりました。第三に、希望を見失って死にたいと思っていた人は、新しい人生の目的を発見しました。きよい愛に満ちた神の仕事に、生き生きと参加するようになりました。
現代は、ラジオ・テレビの時代です。しかし、この世界に電気が止まったら、どれだけ、力強い愛のことば・人を生かす権威のことばが残るでしょうか。今も響き続けるキリストの愛のことばに、耳を傾けてください。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(Ⅰヨハネ四9)。
 
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◆私は、水のように注ぎ出され、

2018年04月11日 07時26分14秒 | 聖書
私の骨々はみな、はずれました。(詩篇二二・一四)
地よ。天よ。かつてこれほどまでに痛ましい光景を見たことがあるか。主は、心身共に衰え、地に注ぎ出される水のように感じられた。十字架を穴の中に打ち立てる時、釘づけられた主のおからだは激しく揺り動かされ、すべての肉の腱は緊張し、あらゆる神経は痛められ、そのすべての骨ははずれた。ご自身の体重のために刻一刻と苦痛は増し、実に六時間もの間苦しみ続けられたのである。全く衰え果て、気を失うばかりの悲惨な状況にあった。
ダニエルは大いなる幻を見た時こう言った。「私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った」と。ダニエルよりさらに大いなる預言者イエスが、神の怒りの恐ろしい幻を見、それをご自身のたましいに感じられた時の苦痛はどれほどであろう。私たちなら主のような苦痛にはとうてい耐えることができず、気を失うことによって解放されたであったろう。しかし主は傷つけられ、しかも剣の冷たさを感じられた。主は杯を飲みほし、最後の一滴をも味わい尽くされた。
「おお、悲しみの王よ!(この肩書きは奇妙であるかもしれないが、すべての王の中の王にだけふさわしい。)おお、傷ついた王よ! 私のすべての苦しみをとどめてくださったあなたのために、私はどう悲しんだらよいでしょう!」
天に上られた救い主の御座の前にひざまずく時、主がどのようにして私たちのために恵みの座を備えられたかをよく覚えようではないか。霊において主の杯を飲み、暗黒と抑圧の時がいつ来ても、それによって強められるようにしようではないか。主の肉体のあらゆる肢体が苦しんだように、霊的な意味における主のからだもそうあるべきである。しかし主のおからだが、あらゆる悲哀と苦悩に損なわれることなく栄光と力の中に現れたように、主の奥義的なからだである教会も炉の中を通り、火のにおいもなく出てくるであろう。
 
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詩篇99篇1-5節

2018年04月11日 07時23分28秒 | 聖書

99:1 主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。
99:2 主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。


主が王であるとは、「主こそが、王である」ということです。

また「この主のみが、王である」ということです。

王というのは支配者のことですが、この地上にも数多くの支配者がいます。

しかし、この天と地を支配されている王は、この主なる神ご自身のみであると言っているのです。

 そしてこの主なる神のみが、天地の支配者であられると知らされますと、1つのことが求められてきます。

それは、このお方に対して「恐れおののき、震えよ」ということです。

このお方の支配の下に生きる者として、このお方のみを神とし、また王として礼拝し仕えるということです。

では、具体的にはどうしたら良いのでしょう。

それは、このお方の御心を、このお方の言葉である聖書を通して学び、そのお心に聞いて従うこと。

つまり、「み言葉への服従が、この方への恐れだ」と知るのです。

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◆ 私たちはみな、羊のようにさまよい、

2018年04月11日 07時19分33秒 | 聖書

★ 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。ー万軍の主は仰せられる。ー わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。


■O:今日のコラム
お金に関するトピックは私たちの生活と直結することのため、個々の信仰や立場、事情、それぞれ集う教会の見解などが尊重されて然るべき事柄です。

そのことを踏まえた上での今日の記事となりますが、多くの先輩方が示してくださる信仰の姿勢と生き方に励まされ、私自身もそのように歩みたいと願い心がけていることは、十分の一献金を所属する教会にささげることについてです。

十分の一献金を捧げるすることのチャレンジにおいて、どれほど神が私を祝福してくださるか「ためしてみる」ことは勧めとしてよく聞いてきたことですし自分自身にも言い聞かせてきたことです。しかしその結果がどのようなものかというのは漠然とした「祝福」くらいにしか捉えていなかったことに気づかされました。

11節に書かれている素晴らしい約束に目が開かれたいと願います。

「わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。・・万軍の主は仰せられる。・・」(マラキ3:11)

即ち、あらゆる種類の収入の十分の一を捧げることを通して、主が私たちの魂の見張りをしてくださるという約束です。私たちから良いものを奪い、食い尽くそうとするいなごのような悪の力を主ご自身が退けて、心、働き、人間関係等すべての領域で豊かな実が結ばれるまで私たちを守ってくださる。まるで、屈強な警備員よりもはるかに頼もしい神様です。

だからと言ってなんでもかんでも捧げれば後は神様がやってくれる、というような無責任な心ではなく、十分の一を捧げたあとの90%を管理する責任は私たちにありますし、守るべき領域はしっかりと知恵をもって治めつつも、私たちの知恵や経験だけでは限界があることを認めて、私たちの預かり知らぬところで、主が眠ることなく働いてくださっていることに感謝しつつ捧げるのです。

逆に、「労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前に預かるべきです。」(2テモテ2:6)とあるように、主が種を植え、耕し、私たちが良い地とされ実が結ばれたゆえに、その初めの収穫を農夫に例えられる主に捧げるというのはある意味では自然なことと言えるでしょう。

様々な事情で十分の一を捧げることに葛藤を覚えることも時にはあるかもしれません。私自身もそのような心の迷いを通る時期がありました。しかしそれでも主に信頼して捧げるとき、このことを実践して来られた方々が一様に証しておられることと同じく、振り返ると足りないことは何一つなく、むしろ主は私の杯をいつも溢れさせてくださっていた!と感謝するばかりなのです。

来たる年に向けて、主との歩みを再確認していきましょう。あらゆる面で感謝にあふれ、神の平安に治められる年とされますように。

「『すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。』と万軍の主は仰せられる。」(マラキ3:12)



■A:考えてみよう
・この年、神様はどのようなことについて実を結ばせてくださったでしょうか。振り返り、感謝する時を持ちましょう。

・収入の十分の一を捧げることについて、みことばにより信仰を新たにされたいと願います。今まで実践してこられた方は、ますます感謝にあふれて、最も良いタイミングで捧げることができるように、そしてマタイの福音書23章23節を確認しつつ、「正義と誠実とあわれみ」を実行することができるように祈りましょう。
今後、十分の一献金のチャレンジに導かれる方は、収入の90%で生活を設計する知恵と喜びと信仰が与えられるように祈りましょう。

「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」(箴言3:9-10)

「またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。」(ヘブル7:2?4)



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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4月10日(火)のつぶやき

2018年04月11日 02時32分39秒 | 仏教
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