座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆今が、主を求める時だ。

2018年04月01日 17時12分31秒 | 聖書
(ホセア一〇・一二)
エイプリル(四月)ということばは、ラテン語の「開く」という意味の動詞から来ていると言われる。なぜなら、すべてのつぼみは今や開こうとしており、私たちは花の季節の門口に立っているからである。
友よ。もしあなたがまだ救われていないならば、この万物が目覚める季節にあなたの心が開かれて、主を受け入れることができるように……。咲いている花はすべて、「今が、主を求める時」であることをあなたに警告している。自然に逆らうようなことをしてはならない。あなたの心に、聖なる願いの花を開かせよ。
あなたは、温かい青春の血が自分の血管の中に躍っていると告げるか。では、その活力を主にささげることを私は懇願する。私が若いうちに召されたのは、私にとって筆舌に尽くしがたい幸いであった。救いは、それがいつ来ようと、測りがたい価値をもつ。しかし、人生の初期における救いには二倍の価値がある。若い友よ。あなたは人生の盛りに達する前に世を去るかもしれない。「今が、主を求める時」である。
老化の最初のしるしを感じつつある人よ。あなたの歩調を早くせよ。あなたの力のない咳、体力を激しく消耗させる熱などは、のんびりしていてはならないと告げる警告である。まことにあなたにとって「今が、主を求める時」である。かつて美しかったあなたの黒い髪には、今は何本かの白髪が見える。寄る年波は急速に迫り、死は駆け足で近づいてくる。毎年春が訪れるたびに、あなたの罪を清算するように努めよう。
愛する友よ。もしあなたが老年になっているなら、私はあなたに懇願する。一刻も猶予してはならない。今はあなたにとって恵みの時である。しかし、それは限られた時であり、時計の音とともに次第に短くなる。
この静かな部屋の中で、この月の最初の夜に、私は神のしもべとして心の底からあなたに警告する。「今が、主を求める時だ」と。これは、あなたを滅びより救おうとする最後の呼びかけであり、恵みのくちびるからの最後のことばであるかもしれない。だからこのことばを軽視してはいけない。
 
コメント

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

2018年04月01日 17時11分34秒 | 聖書

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」(ローマ8:5)

「肉的なこと」とは、どんなものだろう。
自己中心的な考え、ネガティブな考え、肉の快楽だとは想像がつく。
しかし、もし教会に忠実に出席し、奉仕をしていたとしても、自分の欲望のため、自分の誉れ、栄光のためにするなら、「肉的なこと」だ。

又、「御霊に属すること」とは、御霊からくる思いであり、信仰的、創造的、肯定的であり、そこには喜びと平安がある。
すべての事についての感謝がある。
私たちは自分の考えを、コントロールすることは困難だ。
自分の心はちぢに乱れ、思いは幾らでもさまよう。どうすれば良いのか。

御霊に自分の心を明け渡して、支配していただくことだ。
その時、御霊が正しく導いて下さる。
信仰生活が喜びであり、幸福感をもって、歩んでいる人々がいる。
又、そうでなく、いつも愚痴と不満でいっぱいの人々もいる。どこが違うのか。

いつも喜びのある人は、喜びに目を向け、考えている人であり、愚痴だらけの人は、愚痴に目を向けている人だ。
環境は全く関係がない。環境が原因ではない。
その人の思いがどうかだ。いつも恵みを数え感謝している人は、幸せだ。

何に目を留め、何を考えているかで、生き方が決まる。
「現在の状況がどうであれ、神は必ず良くして下さる、神を信じていよう」これは御霊による思いだ。
肉の思いと御霊の思い、どちらの思いで生きているだろう。
-----------
肉の思いを見て生きるなら一瞬の喜びもまた肉に妨げられて不満となる。
肉を捨てて御霊の思い、御霊の導きを見つめて生きて行こう。
注がれている恵みの一つ一つを謙遜に受けて揺るがないの平安の中におられる。

コメント

おはようございます。

2018年04月01日 06時24分38秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

コメント

今日の聖人の記念日

2018年04月01日 06時23分55秒 | キリスト教

聖フーゴ司教

1052年-1132年

 この時代のフランスの教会は風紀が乱れており、貞潔の誓願を立てている司祭たちも、女性とともに暮らす者が多くいるありさまだった。フーゴは27歳の若さで、教皇グレゴリウス7世からグルノーブルの司教に任命され、教会内の秩序を正しい方向に導くために働いた。宝石などをお金にかえて貧しい人々を助けたり、土地を贈って修道院を建てたりし、その後52年間、教区を道徳的、経済的に改革して、80歳で帰天した。

コメント

◆二 つ の 名 前

2018年04月01日 06時22分40秒 | 聖書

正しい者の呼び名はほめたたえられ、
悪者の名は朽ち果てる。       (箴言一〇7)
つい三年ほど前、私のアメリカ人の友人がタクシーの中に、重要書類とカメラの入ったカバンを忘れました。様子が分からないので、すぐ私に電話で相談してきました。ホテルのフロントに聞いたり警察に届けたりする方法を教えても不安でした。ところが、次の日その人から「ハトリさん。私のカバンもどってきました。感謝。日本人正直ですね」と、電話があり、ほっとしました。きっと友人の心の中に、日本人は正直な国民というイメージが焼きついたでしょう。
職場やご近所や学校で、××さんというと私たちにはすぐ浮かぶイメージがあります。「ああ、○○さんね。いい人だ。思いやりがある」とか、「あ、△△さん。いやなやつ。エゴイストだよ」など、さまざまです。実は、その「人さま」のいだくあなたに対するイメージを決めるのはあなた自身なのです。
第一に、あなたの行動=やってきたことの積み重ねが、あなたのイメージをつくります。
第二に、あなたのその行動を支配するのは、人にも自分にも見えない心の動機です。
いつも下卑たことを考えている人は、必ず下卑たイメージをつくり出します。いつも損得ずくで物事を考えていると、あの人はエゴイストだと、はっきりイメージができあがってしまいます。だからリンカーンは、四十すぎの顔は親の責任ではなく自分の責任だと言いました(聖書という鏡に映してみると、自分のゆがんだイメージがよく分かります)。
心の奥底から、正しいきよい愛深い思いを持つには、どうしたらいいでしょうか。神の存在を知り、いつも神に助けていただく――すなわち、神を心に宿す以外にはありません。
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ一27)。
 
コメント

◆あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。

2018年04月01日 06時21分51秒 | 聖書
(雅歌一・二)
数日間、私たちは救い主の苦難について考えてきた。なおしばらく、この点を考えることを続けたい。新しい月の初めに、選ばれた花嫁のような熱愛をもって主を慕いたい。
花嫁はただちに主にとびつく。あいさつのことばもなく、名前さえも呼ばない。そしてただちに、話題の中心に入る。彼女はこの方のことだけを話す。彼女にとって、この方は全世界でただ一人の人である。その愛はなんと大胆であろう。罪を悔いて泣く女性に、主の足に香油を塗るようにさせたのは、非常な謙遜であり、優しいマリヤに主の足もとに座して教えを聞くようにさせたのは、豊かな愛である。しかしここでは、強烈な愛が、さらに高い尊敬のしるしを求め、さらに深い交わりに入ることを求めて燃えている。エステルは、アハシュエロス王の前に立った時に震えた。しかし花嫁は、全き愛の喜ばしい自由の中にあって恐れを知らない。もし私たちがその自由な霊を受けているならば、はばからずに、同じような願いをささげることができるだろう。
ここに言う口づけとは、信者がイエスの愛を受ける際の種々な愛情の表現であると思う。私たちは回心の際に和解の口づけを経験した。それは蜜蜂の巣にしたたる蜜のように甘かった。また豊かな恵みのゆえに主が私たちの人格と働きとを受け入れてくださったことを知るので、受容の口づけは、なお温かく私たちの額に残っている。私たちは、毎日の交わりの口づけが日々くり返されることを熱望する。そしてそれはたましいを地上から取り去る歓迎の口づけに変わり、最後にはたましいを天国の喜びで満たす完成の口づけとなる。信仰は道中であり、イエスとの交わりは旅人が渇きをいやす泉である。
おお、私のたましいの恋人よ。私をうとんじないでください。あなたの祝福のくちびるを私の願いのくちびるに、あなたの満たしのくちびるを私の欠乏のくちびるにふれてください。そうすればただちに口づけの効果があるでしょう。
 
コメント

詩篇96篇7-13節

2018年04月01日 06時20分07秒 | 聖書

96:7 国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。
96:8 御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭に入れ。
96:9 聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。


私たちは自分が恐れる者、また自分が頼っている者に心を向けます。

国もそうです。

頼りになる国、また援助を与えてくれる国、そうした国々に支配者は頼り、褒め称えます。

しかしここで作者は、私たちが真に褒め称えるべき方、また私たちの力として寄り頼むべき方、褒め称えるべき方は、主なる神であられると告げています。

この方こそ、神としての栄光、真の支配者と力に富んだ方であると語っています。

 ここでは「ささげよ」と言う言葉が何回も語られています。

「ささげる」とは、より頼むということです。

この天と地を造られた主なる神こそ、唯一の神であることを覚えて、このお方を恐れ、敬い、寄り頼めというのです。

まず、主なる神を神として敬い、その主のみことばに聞いて歩むことこそが、主にある者への祝福の基なのです。

コメント

黙示録13章9~10節

2018年04月01日 06時17分19秒 | 聖書

★耳のある者は聞きなさい。とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。


■O:今日のコラム
終わりの時にはあらゆるものの統一が起こります。統一された政治と政府と軍隊、統一された経済と貨幣と流通、統一の言語と価値観、そして統一宗教、これらの上に君臨する政治的なリーダーが反キリストであり、宗教的なリーダーが偽預言者です。

黙示録13章にはこの二人の偽りの指導者たちが一時的に世界を支配することが預言されています。

1節には海から上って来る獣について記されていますが、黙示録に記されている海やこの地の大水とは、国々の民族、群衆、国民、国語を表す言葉です(黙示録17章15節参照)。つまりこの1節の獣は政治的な領域で支配する反キリストを指しています。

また11節にはもう一匹の獣が地から上って来ます。この獣は小羊のような二本の角を持っていますが、話す言葉は竜のように語ります。

うわべは小羊である主イエスのように素晴らしく、聖く、敬虔そうに装いながら、内側は貪欲と汚れと偽りに満ち、人々を惑わすヘビの性質を持った宗教的な指導者、偽預言者なのです。

この偽預言者があの最初の獣、つまり反キリストの像を拝むように推奨し、世界中がその偽りに惑わされ、反キリストの像を拝まない者はみな殺されていきます。そしてついに、全ての生活が世界政府によって管理され右手か額に獣の刻印を受けなければ、買うことも、売ることも出来ない、超管理社会となってしまうのです。

現在マイクロチップの開発やAIの技術の進歩、またインターネットの普及により、既にその超管理社会の兆しが見え始めています。しかし私たちが本当に興味を持ち、探るべきことは、反キリストが誰で、666の数字が何かということではなく、9節に記されている「耳のある者は聞きなさい。」という言葉を覚え、主の御声に耳を傾け、主の御言葉を日々心に刻むことです。

多くの人々は、自分が獣の像の前に立った時、果たしてそれを拝まない信仰を持つことが出来るだろうか。と心配します。しかし、真実な信仰は一夜にして得られるものではありません。日々の歩みが重要となります。

ダニエルと三人の友は、日々の歩みの中で主を礼拝し、主の御言葉に従い、主を愛し、主を恐れかしこみ、主を敬い、主だけにひざをかがめる生き方をしていました。その中で、王や国家の政策により偶像を拝むことを強要されても、彼らはその偶像にひざをかがめず、たとえ命を失うとしても主だけを礼拝することを選んだのでした。それは、彼らの日々の歩みの中で構築されていった信仰だったのです。

日々、私たちは罪に屈し、肉の弱さに屈し、この世の流れと心配に屈して生きることから、主イエスの恵みに依り頼み、聖霊の力を受け、十字架の血潮によってきよめられ、それらの生き方に打ち勝ち、主だけにひざをかがめ、主の御言葉に従って生きることが出来ます。

その日々の歩みの中で獣の像には決してひざをかがめない、炎を通過することの出来る真実な信仰が築かれていきます。今日という日が主に従うために最も大切な日なのです。



■A:考えてみよう
今日一日の歩みの中において、主に従い、主の道を歩むことが出来るように、御言葉を朗読して主の言葉に耳を傾けましょう。

また、主に従い生きることが出来るように、心を砕いて切実に主を求めて祈りましょう。



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

コメント

3月31日(土)のつぶやき

2018年04月01日 02時35分14秒 | 仏教
コメント