繁栄を望む者が勤勉に家業にいそしむことは、広く認められている。信仰においても同様である。あなたがイエスに仕える働きで成功することを望むならば、あなたは心を尽くして働かなければならない。あなたが家業に打ち込むように、あなたの力、精力、誠意、熱意をキリストの事業に打ち込め。なぜなら、それは家業よりもはるかにやりがいがあるからである。
聖霊は私たちの弱さを助けてくださる。しかし、私たちの怠惰を奨励することはなさらない。聖霊は活動的な信者を愛される。教会で最も役立つ人はだれであろう。心を尽くして神のために仕事をする人々である。教会学校で最も良い成績をあげる教師はだれであろう。最も才能のある者か。否、最も熱心な、火のように心の燃えている人たちである。彼らは、主が堂々たる救いの進軍をなさるのを見る。
不屈の努力をしているということは、全心を打ち込んでいる証拠である。最初は失敗するかもしれない。しかし熱心な働き人は言うであろう。「それは主のわざである。ぜひ成し遂げなければならない。私の主が私になせと命じられる。そして私は、主の御力によってそれを成し遂げる」と。主にある友よ。あなたはこのように「心を尽くして」あなたの主に仕えているか。イエスの熱心を思え。主がどれほど心を尽くしてそのわざをなされたかを。主は「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と言うことがおできになったのである。主が血の汗を流された時、その肩に負われるべき荷は決して軽くはなかった。そして主が心を注ぎ出し、その民の救いのためになされた努力は決して小さくはなかった。イエスがこのように熱心であられたのに、私たちがなまぬるくあってよいだろうか。